Feb 20, 2006

言葉、文体

 言葉は不自由なものだ。というより、自分の手持ちの言葉が少ないのだろうか?でも、未知なものは、からだの中にあり、それが言葉を出させる。言葉の置き方だろうか?そして、そこに安住できないのか、悩みは尽きない中で、なかなか自分の思うとおり言葉が出ずに日常を送っている。でも、そのとき出せた言葉がベストというか限界なんだろうと思う。
 昨日は合評会があり、大先輩と友達と詩について、というより、恋とか、宇宙とかいろんなことを話した。いい時間だった。その後飲み会にいってきた。友達は家族について悩んでいた。僕の親は、僕に頼ってきたり、きれたりしない。だから、正直難しい問題だ。でも、僕は、その友達の事を、肉体的でなく、タフだと思っているので、大丈夫と云った。普段は、うじうじすることもあるが、そのあたりは信頼している友達だ。
 とはいえ、彼の力を超えた話でもありそうなので、彼なりに切り抜けられたらいいなと思っている。ずっと詩を一緒に書いてきた仲間だから。健闘を祈っています。

 合評に出てから、冷静に話せてる自分を発見した。他人のことも少し見えるようになってきた。うつがひどいときはテレビも見られなかったし、躁のときは、きつい事ばっかり考えて、嫌がられたりもした。よく家族は耐えてくれたなあと思う。彼女も。そういうのが、信頼の力。苦しいときに支えられたという経験。だから、お返しをしなきゃと思う。働けるようになったら、何かお返しができたらなと思っている。でも、僕を支えてくれる人たちは、見返りを求めていないかもしれない。

 詩のことだが、自分の文体はまだ作れていないと思う。というか、ずっと変化の中にある。ほとんど直感で書いている。何人か評価してくれている人もいる。もちろん、あわない人もいるだろう。でも、どこかで好き嫌いを超えた、しっかりした文体を作りたい。でも、文体って何だろう?きっと、その都度、限界を乗り越えていく事。己の中にある名状しがたい力を自覚すること。まだまだだ。まだいけるはずだ。

こないだ、アジアンカンフージェネレーションの「ワールドアパート」というCDを買った。表題曲がなかなかいい。それと、コールドカットというグループの新作を買った。ぼちぼち。
 本では渋谷望「魂の労働」青土社がいい感じかもしれない。
 茨木のり子さんが亡くなった。戦後のある世代の書き手が亡くなっていく。
Posted at 22:55 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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