Feb 23, 2006

田村隆一の「見えない木」について

 ある人が田村隆一の「言葉のない世界」の「見えない木」が好きだと言ったので、ちょっと引いてみる。「雪のうえに足跡があった」といって、それは、動物達がつけたものなのだが、それを追っていくと、「ぼくの心にはなかったもの」が想像されるという詩だ。普通に初期の田村から見れば、きわめてシンプルな世界である。田村の詩は訴えない。その力で、揺さぶりをかけてくる。しかし「見えない木」はやさしい詩である。しかし、そこで見られているものは、やさしいとかやさしくないとかじゃない、大きな広がりの世界だ。田村は、動物達の足跡を見て、本当に宇宙について考えたのではないか。それはこんな風に。

たとえば一羽の小鳥である
その声よりも透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてしなかった
この羽跡のような 肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかったものだ(引用)

 ここでは足跡は言葉である。その透明さが物語っている。本当に静かな詩だが、同時に激しいのは、それが「恐怖」と名指されている事からわかる。僕も、深く深く潜っていきたい世界だが、足跡はそれを許さない。雪の表面の足跡として、その痕跡をつかの間残すだけなのだ。だから、田村は幸運だったといえる。しかし、生き物を注意深く見たら、生き物の言葉は普通に僕らにも見える。その巨大さ、単一さ、肯定を通して、働きかけてくる。
 だからこの詩はぼーっと読むといいと思う。そうすると生き物の「言葉」の世界があらわれてくる。ここで、田村は単純さを心がける事でそれをメッセージではなく現代詩たらしめているが、その底には、ちゃんとメッセージがあるのである。それは恍惚より巨大な世界である。だからこういうのだ。

ぼくは
見えない木
見えない鳥
見えない小動物
ぼくは
見えないリズムのことばかり考える(引用)

 僕もそういうリズムを聞いたことがある気がする。でもなんとなくうらやましい。僕は最近人間の言葉の端々ばかり拾っては転んでいるからである。少しの沈黙にも耐えられない。しかし、生きていくということは、見えないリズムを生きる事ではないだろうか?
生きることに静かにおののいている、とてもきれいな姿が見える詩だ。

*引用;田村隆一「腐敗性物質」講談社1997
Posted at 17:37 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
Edit this entry...

wikieditish message: Ready to edit this entry.

If you want to upload the jpeg file:


Rename file_name:

Add comment(Comment is NOT appear on this page):
















A quick preview will be rendered here when you click "Preview" button.