Sep 09, 2006

どこまでも反省するというのはまるで反省してないようにも見える

 さっき、ベランダでタバコを吸っていたら、下の階から、咳払いがして、男のものだった。怒られているような気がした。今日は夜、感想文をこりこり書いていたのだが、あんまり出来がよくない。文章が楽しそうじゃないのだ。そんなこんなで、虚しい気持ちになっていたところだった。だから何というわけではない。でも、無理にマジメモードになったって仕方ないじゃないかと思う。もう一回書いてみようかな?
 昨日、「年賀状に好きだと書いてしまうこと」を書いたが、別にかいたっていいじゃないかという気がしてきた。ぶっ放してしまうのも、もちろん普通に考えれば世間知らずなのだが、それでいい。私は反省が苦手なのだ。なぜなら反省というのがきりがないタチなのだ。中学時代「反省しない!」と強く思ったことがある。反省で頭が変になりそうになったのだ。そんなに悪いことした記憶はないのに。どこまでも反省するというのはまるで反省してないようにも見える。外からは内的な過程というものがわからないからだ。全然見当違いになってバツの悪い思いをする。キリの良い反省というのがあったらいいけど、それも変だし、それよりも、別のことをして答えを出すほうがそこに何かがあらわれているとすればそれでいいことなのだ。小泉さんは反省してない態度がお気に入りだがああいうのも何かちがう。あれはある種の反動でそうなっていると思う。
 昨日から、大槻ケンヂの「リンダリンダリンダラバーソウル」を読んでいた。読了。何か急に詩はヒップホップに近いんじゃなくてロックじゃないかと思ったりする。バンドブームの頃のお話。読みやすい。同時に今さらみたいだが「アルケミスト」も読んでいる。どうも翻訳がよくない気がする。いい意味でも悪い意味でも強引な物語運びだ。
Posted at 01:52 in nikki | WriteBacks (2) | Edit
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