Oct 02, 2007

芸術とくらしに関してダラダラ(長文ごめんなさい!!!)ーしんどい方は最後の最近読んだ詩と音楽だけみてもいいかも。

 どんな文学作品であっても、読むときにそもそもその世界に入りたいと思うかどうかがとても大事なんだと思う。一行目、あるいは装丁を見て読者は「ああこれはどんなのかなあ」と思ってくれるかどうかがけっこう大事である。例えばそれは店に似ている。ちょっと誰かと食事をしようなんてときに、予算とか今食べたいものも大事であるが、何より店の前で感じる雰囲気が大事である。「何かこの店良さそう」という直感をバカにしてはいけない。もちろん直感はよく間違うわけでもあるが、その直感というのは何より大事である。

 如何に読者を引き入れるかにマーケティング的に腐心している方もおられる。しかし、いくら計算しても入りたいかどうかという、読者の直感は偶然的でもあって計算とは違う要素がたくさんあるんである。もちろんいかに詩を広めるかという議論も大事であるし、その効用は認めないわけではない。ただ詩が難しいから入りたくないとか、詩の世界が開かれていないというのだけが詩に読者が少ないように見える理由ではない。大体宮沢賢治もカフカもニーチェもまあ色んな人が生前には文学では食えなかったので、活字離れといわれながらでも、こんだけ本が売れているというのが今の消費社会特有のものといえなくもない。はたして人類は進化したとだけいえるのかな。昔、サルトルがいっていたが、何か読めるというだけで、すごく豊かなのだ。しかし、それだと豊かさ批判みたいになるな。。

 いろんな人に読まれるのがよいというのもわかる。けれど細々とでも常連さんがついてくれるというのもよいのである。友達が100人、マイミクが100人出来るのも相応に大事であるが、たった一人でも友達がいる、それを大事にするという営みは人にとってなくてはならないかもしれない。人でなくても、猫でも空でももちろん素敵な事である。また美しいものや友達に囲まれていないという生活で満足している人もいないわけではない。僕はいいもの、美しいものがある生活が好きだからそうしているわけであるが、暮らしの大半は何気ないもの、意味があるかは即座にわからないものもあるのだと思う。そういう人やものの中で美しいと思うものを探したい、楽しくありたいという中で文学、芸術を選択する人がいる。これは多様化でもなんでもなくて、人類の暮らしってそういうものでないかなと思う。

 僕も子どもの頃絵を書くのが好きで、絵を描くっていうのが無性に楽しかった。ラスコーの洞窟に狩りの絵を書いた人がいるけれど、生活の必要だけで描いたのではなかろう。しかし、それは生活にとってかけがえのない暇の過ごし方であったはずだ。また、かつて農作業や漁の時に歌いながら働いていたりした。仕事の中に遊びを入れていた。しかし仕事が辛いということの慰めや、みんなと共にあるという感覚のために歌があったばかりでない。歌がなければ仕事がやってられないというのもあったと思う。もしかしたら、生活の中に遊びがあったというだけでなくて、歌がなければ暮らしも成り立たなかったといえるかもしれない。だから遠山の金さんも、寄席や歌舞伎が倹約令で廃止されそうになったとき、そういう遊びがあるから、みんな仕事もがんばれるのだと反論したのかも。

 うまくいえないのであるが、小林秀雄が「実生活なくして思想はない。しかし、そうして思想は実生活から離陸して行くのだ」というようなことをいったが、これはトルストイが奥さんから逃げたときに正宗白鳥に対して云った言葉だ。正宗は奥さんが恐かったからトルストイは逃げたんだというわけであるが、正宗は暮らしと芸術を即物的にわけるわけである。それもわかる。しかし暮らしは「昏し」ともいえるのであって、よくわからない暗がりや欲望やセオリーとも別のものが暮らしの中で生まれるわけであって、その「昏し」のグラデーションや味や音を(暮らしで用いるやり方とは一見違うような方法や空間や時間で、)形にしようとする衝動がある。それが芸術とよばれ、なぜか生活とちがうような次元に見えるわけであり、どこが暮らしと分かれていて、どこがくっついているのかわからないけれど、安易に暮らしと分けたり、くっつけたりすると芸術のうまみは消えてしまうと危惧している。しかし、孤高の芸術家というのもカッコいいかもしれないですけれど。永井荷風も考えてみて面白い存在である。晩年はストリップ小屋に通ってカツどん食って死んだけれど、荷風も大逆事件にショックを受けて厭世の度を深めたとも云われる。芸術と暮らし、芸術と世間、単純ではなさそう。

 ◎最近よかった詩
 細見和之『ホッチキス』
 山本泰生『声』
 現代詩手帖2007年9月号須藤洋平の詩

 最近洋楽ばっかり聴いている。コールドプレイ『静寂の世界』、ナインインチ、レディオヘッド『ベンズ』、ジョニ・ミッチェル『ブルー』、SAM41『チャック』、ウエザーリポート『ナイト・パッセージ』、シカゴ(何かジャズのビッグバンド風のもの)こういうのは大体知り合いに教えてもらって聴いているのでジャンルバラバラ。詩や音楽の感想も時間があったら書きたいけれどレポートを書かなきゃならんのです。
Posted at 09:14 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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