Apr 20, 2008

集まりに行く

 昨日はある詩の集まりに行きました。西成区が会場。大先輩詩人の木澤さんに誘っていただいたのです。木澤さんの新詩集について感想をお送りしたことがきっかけでした。
 車両事故で環状線のダイヤが乱れ少し遅れてしまいました。けれど他の方もそのあおりをくらったようでした。
 昨日は打ち合わせということで、言葉の音や声について考える会にしようということになりました。世界には鳥や風や車や話し声、くしゃみ、ありとあらゆる音が満ちています。その中で聞くということ。私たちはある音のつらなりを選択して聴いているから、音楽や話、朗読が聞けるのです。木澤さんの補聴器の体験、清水さんのジョン・ケージの話が印象的でした。
 木澤さんは耳が悪くなって始めて補聴器をつけて音楽を聴いたとき、いままで聞いていた音楽が実は様々な深みで成り立っていると気づいたと言います。また清水さんは大阪万博の時にドイツ館に入ったら、ジョン・ケージがいて大きな砂嵐のようなノイズを聴かされ、演奏が終わると皆出て行ったといっていました。
 私たちは音の海の中から無意識にある音を選択しているのですが、そこには実は様々な制約があること。音を発する側と聞く側にお互いの交流がないと、を使った芸術は見るも無残なこと。これはつまらないライブや朗読会でかんじることがあるのではないでしょうか。
 音環境のほかに、お互いがシンクロしてしまう瞬間がある。私が思ったのは実はリラックスして聞いているほうがよく集中できるからより深みを経験できるし、更に言うと私たちは気まぐれに程よい雑さをもって聴いたり聴かなかったり、声を出したり出さなかったりしている。皆さんで一致していたことは程よい雑さに目覚めることが意外に音の体験を深くするのではないかということでした。

 これからはお互いの声を確かめるということで詩歌に縛られず、様々なジャンルの本を皆で音読しあってみようということになりました。
Posted at 11:04 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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