Jan 12, 2006

自分と他人

今日はカウンセリングに行ってきた。東大阪の小さなクリニックで、週一回開いている。今年初めてだった。
カウンセリングの話をする前に、今日テレビで、千葉ロッテのボビー・バレンタイン監督を見た。とんねるずのやっている「食わず嫌い王」だった。とんねるずは嫌いだが、バレンタインは素敵なので見た。
うにのお寿司や、すき焼きなどが出たが、嫌いなのはお好み焼きだった。僕は好きなので、少しさみしかった。彼は、日本語は片言なのだが、合いの手を入れたりする間合いが、言葉はわからないはずなのに、いい感じだった。波をつかむのがとても自然なのだ。
それに、お好み焼きが嫌いそうには見えない見事な食べっぷりで、相手をだましていた。名プレイヤーだと思った。

カウンセリングは、もう三年以上になるのだが、どうしても時々こんなことしてて、いいのかなと思う時がありながら、やってきた。
時々さめてしまうのだ。カウンセリングは河合隼雄によれば、「深くて親しくない関係」なのだそうだが、そうじゃなくて、もっと違う場所で、親しい関係を作り、そこで相談すれば、というか関西風にいうと、ツッコミを入れてくれれば、いいんじゃないかと思ってしまうのだ。でも、先生はそういう話も聞いてくれる。その辺りの間口の広さがまだ通わせているのかもしれない。
そこで問い返される。僕は先生の感想だと、他人の反応を気にしながらコミュニケーションをとる人なのではないかと。僕は、他人の反応を気にするのは、当たり前だと答えたけど、僕の他人の反応に頼ったコミュニケーションのとり方を見抜かれたような気がした。
自分の意思は、実は頑としてある。ストーリーもある。そこに自分の中で、たくさんツッコミを入れながら、生きている。そこで、自分の思いが、まるまる受け入れられたいために、相手の反応を気にしているのだ。そこで、どう受け入れられるかという方法ではなく、気持ちが先走ってしまう自分がいる。
どうも、そんなところがあるみたいなのだ。先生にも言ったけど、これは、弱点にもいい点にもなる。一歩間違うと我がままに見えるし、逆に他人本位に見える。しかし、その対立の底に、自分の意思があって、深いところで、好き嫌いとか、この人と合うか合わないかを見抜いている。それは、直感みたいなものだろう。直感は他人と自分の接点だ。ここをよくみとかないと、極端に相手に頼った表現になったり、頑なに見られたりしてしまう。今年は、そういう頑なさが、どう社会の中で発揮されて、失敗もし、そこから何を学ぶかになると思う。

思えば、怒りの二年間、不安の一年間を超えて、やっとゼロ地点に立てた。そこはまっさらではない。これまでの経験の総和だ。しかし、そこからでも学べる。正直、病気になる前も、なってからも、社会でやっていく自信はないし、今の社会が自分にとって、ベストの形で立ち現れている、なんて、思った事ない。介護の現場で、障害者の人と少しは仲良くなれた気がするけれど、まだ、それは確信ではない。自信がないくらいがちょうど良いかと思うが。自分は、どっちかといえば、排除された側だという意識が、どこかで、僕の中にある。社会は肝心なとき、助けてくれないという感覚も、まだある。しかし、その前に、頑としてある社会で、どう自分の身を成長させていくか、身銭を切れるかということなのだと思う。社会の辛さは、つい自分だけのものと思うし、その感覚はある程度正しい。でも、そこで、社会なんてと投げやりになってばかりではいけないと思う。音を上げそうな時に、どういうタイミングで、助けを求めるか、甘えられるかだと思う。ひがまずに。そういうとき縁がある人が必ずやってくると思う。

もう一度いうが、まっさらなスタートではない。自分の頑なさみたいのは、どこかで間の悪さみたいな形で、出ると思う。あまりに頼ろうとしてかなえられず、すねたり、その逆に、自分でがんばりすぎて途方にくれてしまうこともあるかもしれない。その危ういライン上を、直感で、渡っていくしかない。もう他人はたくさん羨んできた。となりの芝生は青く見えるものだ。そういうのは、もういい。(といいながら、またやってしまうかもしれないけど)

ここまで、読んできてくれた方には、ありがとうをいいたい。なんだつまらん苦悩じゃないかともしかすると思う方もいるかもしれない。いささか書いていて自信ない。当たり前のことをつらねているだけかもしれない。

でもここまで来るまでに大分かかったし、本当の勝負はこれからだ。自分の根元はかわらない。しかし自分は自分でしかない。それで、勝負していかねば。

今日、実は加藤典洋の「戦後後論」(「敗戦後論」ちくま文庫2005)を読んでいて、カウンセリングに行く途中に電車を乗り過ごしてしまった。太宰に触れた以下の文章が眼にとまった。



(引用)

つまり、彼は文学を信じるのでも自分の思想を信じるのでもない。彼は逆に他者の思想のほうを信じる。それをそのまま、真に受けて、生きるすると彼に、これでは自分は生きていけない、死ぬしかない、というその不可能の形が見えてくる。彼は自分がいかに醜い存在であるかを記し、死のうとする、すると、その記したことがきがかりになり、もう少し書かなくては、と思う。彼は書く。しかし足りない。彼は書く。これでは死んでも死にきれない。彼はこれを最後とさらに書くが、こうして愚直に最後までこの道をたどると、そのどこまでも、他者の思想を信じ、しかしそれでは生きていけない、と感じることが、彼の前に嘆きの壁を作り、今度は歩いていく彼をゴムマリのように、逆に生のほうに、ころころと転がすのである。
わたしの理解をいえば、太宰にとって、文学は、やはりどのような限定の中にあっても失われることのない、そういう無限を意味している。

僕はここまで、文学を徹底しているか自身疑問だけど、思春期からこういう葛藤、そして「ゴムマリ」は経験したように思う。 僕にとって「ゴムマリ」は異物であった。それくらい自分が生きることが壊れていたのかもしれない。そして、ここまで来た。ワンサイクルだ。
Posted at 22:57 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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