Sep 25, 2006

読めなくなっていた間に

 今日は、大森望・豊崎由美「文学賞メッタ斬り!リターンズ」を読了した。最近の文学事情に疎かったので、というか立ち読みしてて面白かったので、昨日買った。ゲストに島田雅彦を迎えている。2004から今年にかけて、文学賞の体質、作品についてわりかた徹底的にそしてわがままに検証しているが、わがままと矛盾するようだが、こういうものは謙虚な読みというものがないと成立しない。自分の無知といったものは、あったとしても、楽しんで読むということを最近ずっとしてないなと痛感する。私の中では阿部和重あたりから、進化しているのは、数人だろうという実感しかない。そして、だいたいその通りだったのである。数人の例外を除いては。つくづく、現代文学のまともな読者ではないといわざるをえない。でも、笙野頼子さんが「レストレス・ドリーム」とか「二百回忌」なんかを出していたときは興奮した。あの人は命がけという感じがしたが。というか、何かが進歩していくという流れに私はついていけなくなった。私はどこかで立ち止まらざるを得なくて、いろんな意味で阿呆になったりしていた。良い子だったので、反動が来たのである。人間はどっかあほの部分がないと生きていけないのである。感覚が冴えている人ですら、そうだと思う。三島由紀夫は秀才だったが、彼には自分の背中が見えていなかった。そしてそれでいいのである。しかし、本物の文学というのは、どこへいってしまったのだろう。あるのかもしれないけど、この人が巨人ですといえる人はすごく少ない。そして、それでいいのかもしれないが、実際それでいいのだろうか。わからないことが多すぎるので、追っかけるのを止めたのである。というかほんまに本が読めなくなってしまっていたのである。で、こういう本でちょっとのぞいてみるんだが。島田雅彦はみんなが思っているより素敵な作家だ(だった?)と思う。「預言者の名前」とか「彼岸先生」とか帝国ものとかけっこう冴えていたのではないかと思う。みんな覚えているのだろうか?島田さんはけっこう読ませていただきました。
Posted at 23:37 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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