Dec 15, 2006

「生か死か」か?;小泉義之『病いの哲学』にふれて思い出したこと

 今日、日本の医療現場のレポートのような番組をやっていた。tPAという血栓溶解剤の話が紹介されていた。小泉義之の本を読んだ私は、何かとても複雑に感じた。小泉は「生か死か」という問いは愚かだというのだが、そしてこれを引用しだすとキリがないくらいなのだが、私は彼の云う「陰気な」議論を別にしたいとは思わないのだけど。tPAについて読売ON LINEの記事を引用する。



「国内の治験では、脳梗塞の発症後3時間以内にtPA治療を行うと、3か月後に、ほとんど後遺症なく社会復帰できた割合は37%だった。米国での治験もほぼ同じで、社会復帰の割合は処置しない場合より5割高かった。
 全員に効果があるわけではないうえ、副作用もある。tPAの早期承認を訴えてきた日本脳卒中学会理事で札幌医大名誉教授の端(はし)和夫さんも「血栓を溶かすtPAは、脳出血を起こしやすくする。使用の際、医師は細心の注意が必要だ」と指摘する。
 発症から長時間たった後にこの薬を使うと、脳出血の恐れが高まり、効果も乏しくなる。そこで、治療の対象は▽発症後3時間以内▽CT(コンピューター断層撮影)検査で、脳出血の危険性が低いことを確認――などの場合に限られている。
 患者・家族にとって重要なのは「脳梗塞を起こしたら、3時間以内に病院で治療を受ける」ことだ。だが、国立循環器病センターの調べでは、発症後3時間以内に受診した患者は19%しかいない。脳梗塞と気づくのが遅れた、救急車を呼ばず自力で来院した、などが原因だった。」引用元=こちら



 テレビでは一刻も争う、つまり、父が脳梗塞で倒れ、息子が、いち早く、「ハイリスク=ハイリターン」の治療を選択するかどうかという風に流れていた。幸い薬が効いたということだった。
 私は様々な文脈に反応する小泉氏の議論に正直うまくついていけなかった。(これが知的レベルの問題なのか実感の問題なのかわからない)生命の倫理に貢献したい彼の意図はわかるのだが。そして、医療の現場に立たされる素人としての自分の感覚を思うのだった。(いくら知恵をつけても、やはり素人である。小泉氏の言うとおり、それは情報開示などではうまらない非対称性なのだ。)それは、現在の私でもあるし、2~3年前の私でもあるし、小学校のとき、盲腸の腹膜炎で、腹に管を入れて何日か過ごした私の姿だった。
 腹膜炎は手術をしないと、腹膜がやられ、普通の言い方でいうが死に至る可能性は高いのだった。だから、手術という医療技術しかなかった。その前の病院でひどい誤診があって、盲腸でなく下痢と思われていたので、盲腸が裂けて腹の中に膿がでてしまったのだ。私はさらに子どもだったので無力だったかもしれない。しかし、誤診がわかった時の医師の奇妙にニヤニヤした顔を覚えている。恨んではいないが、覚えている。幸い次の病院に救急車で運ばれて、手術を受けて、大事な夏休みがほとんど、つぶれてしまった。退院の前日御巣鷹山に日航機が墜落した。いわく「金属疲労」。
 私は何か云いたいというよりも、小泉氏の述べることをある意味で理解できるのだった。私は、子どもや女の人が入る病棟にいたのだが、病人同士で話すというのも独特の雰囲気で、おばあさんから旦那さんの霊を見た話をされたり、色々摩訶不思議なことがあるのだった。これは山口昌男の言葉だが「負の祝祭性」ともよべるものだ。今無くなりつつある病院の喫煙室で、お見舞いに行ったときなどタバコを吸うときもいろんな人が点滴をぶら下げたりして、包帯を巻かれたり、色んな形で存在するのだった。私が倉田さんの『風について』という詩集を読んだときも感じたことだった。同時に子どもの私にとって、入院というのは、ストレスフルでもあって、舌が回りにくくなったりした。仲のよかった隣りの子もそうなっていたので、なるほどなと感じた。医療現場にはある「祝祭」と、いうも言われぬストレスがあって、私なりに小泉氏の議論を敷衍すると、「祝祭」の側面を解放したいということではないかと思う。しかし、裏腹のように、高度な医療技術や閉鎖性があるのは、単に、みんなが深刻ぶっているからではないと感じる。
 私は低次元の議論を批判し、「低次元」といわれている生を肯定するといっている小泉氏の気持ちがある程度わかる気もするが、現場には精一杯やっている人もいて、そうでない人もいて、tPAの話のようにそこにたどり着く人もつけない人も、存在して、そういう多様性があるような気がしてならないのだ。小泉氏の要求するレベルの医療あるいは医療批判というものがあるとして、小学校のときの私は、やはりその次元に立っていないという記憶が残っている。そしてそれはそれで歴史だと思うのである。こういう積み重ねの上に今がある。私はなぜか、その時医者になりたいと思った。理数系がダメで、無気力であった私は医者になるという夢をわすれた時期もあった。そしてふらふらと福祉の道に入った。夢はダメな医療を受けた反動であろうか、しかし、その医療に助けられもしたのだった。私は、先生がおなかの傷口を見て、「大きくなったら、手術できれいにできるかもね」といったことをよく覚えている。しかし、おなかの下のほうだし、目立たないので整形はしていない。管は三本はいっていたので、三箇所、長い一箇所は10センチには満たないケロイドの傷跡である。大きな傷だったらどう思っただろう。「陰気な」思い出話になっただろうか?そもそもこれは小泉氏への答えになっているだろうか?昨日書いた記事も私の思いであり、さらに思ったので書いた。
Posted at 23:32 in nikki | WriteBacks (22) | Edit
Edit this entry...

wikieditish message: Ready to edit this entry.

If you want to upload the jpeg file:


Rename file_name:

Add comment(Comment is NOT appear on this page):
















A quick preview will be rendered here when you click "Preview" button.