Mar 28, 2007

宮崎駿、「プロフェッショナル」で語る

 昨日、NHK火曜夜10時に「プロフェッショナル」が放送変更されていた。何と宮崎駿。『崖の上のポニョ』の製作過程を追う。息子、吾朗氏のことを「まだまだ子どもだ」と映画を見たあといっていたのは、印象的。大変な父親をもったんだろうな。駿さんも、吾朗氏が子どもの頃映画にかかりきりで、あまり接してやれなかったという。
 いくつか心に残るのがあって、一つは、裸で作らないといけない。その人の思想が作品に出てごまかしがきかないと語っていた。これは、思い当たる節大有りである。二つ目は、今までの精密画路線では行き詰る、ラファエロ前派を見てすでにやられていると思ったと語ったこと。これは、今までの絵作りの先に行きたいということだろう。第一人者ならではである。三つ目は、理想のない現実主義者はいやで、理想のある現実主義者でありたいと語ったこと。多くの人を、自分で動かしていく人ならではと云う気がした。でもわかる。何かを成し遂げようとするとき必要な気概だ。また、子どもにはごまかしがきかないということ。四つ目は、半分素人でありたいと語った事。これも、僕は宮崎駿のようなプロではないが、ある世界に対して、さらであること、徒手空拳であることは、文学においても大事ではないだろうか。業界ズレしないのは、大切かもしれない。
 たぶん、いかに苦しくても、楽しいものを産むということなのだろう。宮崎駿は、創作が出来上がってくるとどんどん不機嫌になる。「なるべく自分の思いに浸っていたいんだよ。そうもいかないからニコニコしている」と云っていた。握力は若い頃の半分になり、衰えは来ているが、張り詰めた顔を見て、想像力(狂気?なぜか、ギリシャ語のダイモーンという言葉が浮かんだ)があふれそうでぎりぎりの顔だと思った。コントロールには相当な理性がいるんだろうなと思った。みなぎっている。いくつかの系が彼の頭の中で立体的に形づくられる。イメージボードがコンテより先というのがわかる気がした。イメージのふくらみを生かし、それを待って捉えるのだ。(番組では脳内に釣り糸をたらすといっていた)小さい頃から好きだった宮崎アニメは、こういう人から作られているのだと思うと、何だかそう感じる自分が新鮮でした。大人で子ども。ほんものの芸術家なんだなと。
Posted at 08:33 in nikki | WriteBacks (2) | Edit
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