Jul 13, 2007

寿退職

 デイケアの女性の職員さんが結婚で退職なのである。もちろんおめでたいことであるが、ちょっとさみしくもある。めでたくもあり、さみしくもあり。頭のいい人であった。昨日、友人に電話して、そのことを話していた。
 通信の『社会学』の第一回レポートの添削結果が返ってきた。おおお、素敵な講評である!教科書にはあまり載っていないフーコーのことをちょこっと書いたら、「その辺もっと展開してみてください」とのこと。おお、勉強しているって感じだ!どっかの誰かさんとはエライ違いである。成績もA判定である。うれしい。通信の先生も当たりはずれがあるとつくづく思った。通信はレポートとスクーリング以外、先生のお言葉を聞く機会はないため、先生の質というものは特に大事だと思う。通信を受ける方、この辺りにはくれぐれもご注意を。
 社会学は、けっこう興味はあるが、あまりちゃんと勉強してない。最近、気になった本では、入門書だが、良書らしい『ジンメル・つながりの哲学』、ホルクハイマー=アドルノ『啓蒙の弁証法』。ユダヤ人つながりである。
 ここからは、オタクによる、知ったかぶりの独り言なので適当に聞き流してほしいが、昔、マーティン・ジェイのアドルノ論を読んで、「プリズム」とか挑戦したが難しかった。
 ハイデッガー批判の本は皮肉全開で面白かった。どんなに難しくても、遠まわしのようで実は直接的に批判している、それも、アドルノもハイデッガーもレトリックの達人であるから、嫌味に念が入っているのである。そういうのは痛快である。ひねくれインテリの喧嘩である。
 確か『本来性という隠語』という本。「本来性」というのは、カトリック由来の言葉であるらしいのだが、まあ関西弁でいえば「ほんまもんらしさ」(まともに訳すと、アイゲントリヒカイトはもともととかそういう意味になりますが敢えてこうしてます)くらいの感じか。要はアドルノは、ハイデッガーが巧妙に、これは「ほんまもん」でっせといって、「本来性」という言葉を便利に乱発して、ハクをつけようとしていおるように見えて、そのやり口に怒っているのである。そんな便利にほんまもんっていいやがって。そんなことしていたら、インチキ宗教が「これはご利益がある。本物の教祖の髪の毛です」といっているのとかわらん。あたかも「本物のゲルマン魂」とかがあるような排他的な幻想を作り出し、近代人はひっかかったというわけである。そう、オリジナルの捏造。悪質だと怒っているのである。日本でも同じ時期に同じようなことが起こっていたように思う。
 このハイデッガー批判が的を射ているのかは、ハイデッガーの全貌を知らないだけに何ともいえない。ナチに加担したからわるいという批判より、そういう本質主義によるゴマカシがいやだといっているようなのだ。もし、ハイデッガーが悪者だといって、血祭りにあげるのなら、ハイデガーの「本来性」と同じように思考停止であると考えているのだろう。ハイデッガー批判の難しさだ。言葉の問題に絞っているのが、アドルノの批評眼である。批判は時として、批判者の人格の低劣さがあらわれたりもするから。この点、アドルノも言いがかりに近いのだが、それでも、ハイデッガーの負の影響を直感していたのだと思う。
 まあ、私は「本来性」という言葉自体に罪はないと思うが、ハイデガーはどういっても偉大な哲学者であることは間違いないが、アドルノにとっては、ハイデガーが教祖化されて、無批判に受け取られていく事を危惧したのではないか。以上、うろ覚えですが。(アドルノに詳しい方、自己流のめちゃくちゃな要約すいません。形而上を形而下にしてしまった気もします)
 でも、同輩のベンヤミンのほうが肌に合っていた。(どんどん脱線するがアレントの『人間の条件』は感動した)マニアックな話でスンマセン。アドルノは、ばりばり、音楽通で、ジャズには批判的であった。二十世紀前半の人で、古典教養バリバリだから、商業音楽はぜんぶ嫌いだったのかもしれないけど。よく知らないが頑固親父っぽい。
 最近、お金を節約しているので、購入は未定。アドルノは、大学時代、徳永 恂先生の授業で出てきた。先生はフランクフルト学派研究の第一人者である。お弟子さんに細見和之さんがいる。細見さんの『アドルノ』は、ドナドナの来歴が書かれていたと覚えている。ナチによるユダヤ人狩りがあのうたのテーマなのだ。確か作者も収容所送りかと、確かに泣けるのよね、あの歌。幼心にも重いものが感じ取れたのである。
 アドルノといえば、「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である。」で有名だが、この言葉には何重にも、含みがありそうなので、「プリズム」で挫折した無学の私としては、ここでは言及を控えます。こういう言葉について、すっと書けたらいいけど、あまり考えると裏読みに走ってしまうような気がするので…
Posted at 08:39 in nikki | WriteBacks (6) | Edit
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>アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮である。

 は有名ですが、たしか後期になって訂正したとも聞きます。

Posted by H.F. at 2007/07/14 (Sat) 02:16:48

灰色の空から雨が降る如く。

本日、その寿退社女性ソーシャルワーカーさまに、プレゼントとメッセージカードを持って、会って来ましたあ。
もう、これで、一生、お会い出来ないと思うと、涙がこぼれそうになりました。
けっこう、精神的にダメージを受けております。
情が移ってしまった人との別れは、本当につらいですね。
昨日は、今回の件を知らせてくださって、誠にありがとうございました。
もし、教えてもらえなかったら、最後に会うことが出来ませんでしたもの。
感謝しております。

Posted by 大和路のでぶ猫 at 2007/07/14 (Sat) 02:21:34

私だ!

わはははははははははははっー、私だ!大和路の怪人Zだ!
今、社会学というと、パオロ・マッツァリーノなのだ!
それはそうと、さっきから、近所の「猫」と名乗るでぶ野郎が私の部屋に来て、「もっと早くに言って欲しい」とか「京都の奴は幸せ者だなあ」などと、めそめそと、愚痴ばかりをこぼしてかなわん!
むぅ、男らしくない奴だ!
石川君からも何か言ってやってくれたまえ!
頼む。
では、さらばじゃ!
わはははははははははははははっー!

Posted by 大和路の怪人Z at 2007/07/14 (Sat) 02:35:50

H.F.さん、ありがとうございます。
知らなかったです。勉強になります。

Posted by 石川和広 at 2007/07/14 (Sat) 07:56:25

猫さま、どういたしまして。
お別れがちゃんとできてよかったと思います。
お互い気を落とさずに、いきましょうね。

Posted by 石川和広 at 2007/07/14 (Sat) 07:58:11

怪人さま
マッツァリーノ博士は、私も大好きですよ。
でも、ちょっと最近マンネリのような。。
怪人さんは、猫さまをご心配されるとは、ほんとうに
やさしい方なのですね。
猫さまは、男らしくないかもしれないですが
そこがいいんじゃないですか、情って大事ですよ。
猫さまとはまたお話しようと思います。
そのときは怪人さんもデイに来てくださいね。

Posted by 石川和広 at 2007/07/14 (Sat) 08:02:40
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