Aug 16, 2007

白梅学徒隊

  この酷暑の中で、久々に清掃の仕事に行った。汗が全身から、噴き出して、気分が悪くなるほどだった。口の中がねばねばして気持ち悪く、お茶を飲んでもなかなか治まらない。職員さんとこんなとき「炭酸が飲みたいよねー」と云っていた。帰り、CCレモンを買った。家でシャワーを浴びて、ごくごくと飲む。やっと、すっとした。この酷暑で、熱射病になったりして、亡くなったひとはいないかと心配になる。
 最近、夜ご飯を食べたらすぐ寝てしまい、なかなかレポートが進まず。一昨日は、デイケアでエアロビクス。夏バテしないように昨日は焼肉「平和」に食べに行った。敗戦記念日に「平和」とは、なんとも不思議である。横では、小人のようなおっちゃんやおばちゃんのグループがスープの味に文句をつけたりしていた。なのに、焼肉をタッパーかなんかに詰めて、おみやげにしていた。こんな暑いのに、焼いているとはいえ、腐ってしまわないのかと思う。まず、翌朝には腐っているので、晩、あれだけ食べたのに、さらにおみやげ?誰か待っているんだろうな。
 昨日、関西テレビのアンカーで、沖縄戦で6人が亡くなった白梅学徒隊の特集をやっていた。有名な「ひめゆり」とちがい、お参りするものもほとんどいないという。ひめゆりは有名だが、女子学徒隊は、他に6部隊あったと聞いた。白梅の死者の遺骨の引き取り手は無かった。どれが、自分の娘の骨かわからなかったからだ。だから慰霊塔のうらに遺骨がしまわれていたという。国もきちんとした追悼施設をつくらず、そうなっていたというのだ。それが、20数年前の出来事らしい。今でも自決した壕や、学徒隊が派遣されていた病院であった壕は残っている。最近、どちらかの壕の上に、公園が作られたという。なんと、壕の中に、工事で出た土砂を捨てていたという。弔われていない、大切にされていない死者の数は恐ろしいほど多いのだと、悲しくなった。
 白梅学徒隊は、女学校生で、16歳くらいの少女が大半だったという。看護の手が足りないので野戦病院に派遣された。病院といっても、岩場に掘られている壕であり、手術室にベットはひとつ。薬品も物資もほとんどなく、毎日、負傷兵が運び込まれ、手足を切断するような手術が行われていたという。女学生達は、負傷者の排泄の後始末や、世話に日夜追われた。ショックと疲労のため、ほとんどの女学生達は生理がなくなったという。そんなとき、病院は物資が底につき、病院としての機能が果たせなくなったので解散ということになった。女学生達は突如、戦場に放りだされることになった。彼女達は、逃げ惑う人たちに混じって、逃げるが、爆撃もある。海岸方面に逃げた人たちは命を失わなかったが、戦闘が最も激しかった国吉方面に逃げた数名が、壕に逃げ込んだところへアメリカ軍が侵攻し、日本兵と共に自決したという。(この辺り、教科書でも話題になっている記述の部分かもしれない)いろいろ、思うことはあるのだが、それはうまく言葉にならないので、聞いたことだけ、書きとめておく。
Posted at 17:18 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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