Feb 12, 2008

変化するもの

今日は病院の診察に行きます。
いつも通りの診察なんですが、風邪薬も出してもらおうと思います。
こないだ雪が大阪府にも降りました。その日は彼女が風邪を引いていて、家事やら看病めいたことをやりました。
彼女の具合がよくなったなと思ってたら、昨日あたりから僕の喉や鼻が変です。僕にも順番が回ってきました(汗)
あとは体がだるいけれど飯は食えます。

ここ何年風邪ひかなかったのですけどね。これが実習中だったら、辛かったろうけど。きっと緊張感が抜けて冷え込むもんだからかなあ。
最近は漫画では、石川雅之『人斬り龍馬』、文庫では養老孟司・宮崎駿『ムシ眼とアニ眼』を読みました。どっちも、読みやすい。石川のは時代ものの短編集です。主に江戸末期あたり、会津の二本松の少年兵の話は、くるしくなりました。官軍に対して兵力を圧倒的に欠く会津が、訓練された少年兵を送り出す。維新で、何が変わったかだけでなく、何を失ったのだろうか。

負ける方に肩入れしたくなるのを判官びいきといいます。けれど単に気持ち的な面だけでなく、何が消えることで、今の世界が成り立っているのか気になるところ。

養老、宮崎の対談は、もののけ姫から、千と千尋の神隠しあたりまでのもの。オウムや、911テロの色が濃いですね。このふたりは僕の父親より、少し上です。自然に帰ろうみたいな主張もあるんだけど、宮崎駿は最近の家や建物は書けないと。宮崎駿が成長しておとなになるまで住んでたのは木造やら、モルタルで、今の部屋の大きさより小さい。こういう部屋は実際はカメラが入らない。少し大きめに書く。すると批判がくる。
宮崎いうに自分の親しんだ家の作りは、実は歴史的にはごく短い間にあったもの。実際には消えつつあるもの。
僕の親の実家にはちゃぶ台や土間や、天皇のご真影までありました。だから、なんとなくわかります。小さいんだけど落ち着く。ストーブにヤカン乗せてみたいな感じ。これも大きな変化かなあ。
Posted at 17:19 in nikki | WriteBacks (2) | Edit
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ちいさな家

堺市の金岡団地に、昔の団地を復元したモニュメントがあるのですが、実際にその中に入ると昔の家の慎ましい規模に驚きます。風呂なんか、よくこんなのに入れたなあと思うくらい。でも僕自身も子ども時代はそういうところにいたはずなんだけれど。
昔の団地、建物は小さいけれど、屋外空間は今のマンションよりはるかに豊かだったりします。
(私はプロの団地マニアなのです)

Posted by 高野五韻 at 2008/02/13 (Wed) 09:59:09

高野さん

それ非常に興味深いです。
団地は高度成長下で、ある時期まで夢のライフスタイルとして喧伝されたようです。
枚方、千里、平野あらゆるところに昭和30、40年代の団地や集合住宅がありますね。今と道幅や建物の高さも違い、人は住んでいるのに夢の痕のようにも見えます。

以前古い公団に住んでたことがあるけれど、確かに風呂は狭かったなあ。鏡も自分で入れるし。

Posted by 石川和広 at 2008/02/14 (Thu) 09:49:57
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