Mar 25, 2008
血迷う思い出
灰皿町の布村さんのブログを読んだら宇多田ヒカルの最新アルバムのことが書かれてありました。で、自分もその前の"URTRA BLUE"はMDに入れてたので聴いてみた。直に戸惑いや逡巡からある種の願いや祈りにいたる振幅と襞の表現は細密で驚く。紫式部はおおげさだけれど、世が世ならある種の典雅な歌人や舞人になっていたかもしれないと思う。ひとりの女が「あなた」を愛そうと懸命に悩んだり健気な気持ちになっていること。それは単なる夢物語にとどまらず二人の距離や関係についての極めてシビアで現実的な認識に支えられている。しかし、そのように聡明であることと、気持ちの燃え立つ感じがうまく整合せず、ぎりぎり悲鳴に近接し、それを免れて、深い祈りや願いにちかづいているのだ。宇多田がこのアルバムで、少女や聖女や女性や母や男気としてさえ現象するようには私は多様なジェンダーは持たないと思う。けれども、そんな一介の冴えない男である私でさえ、自分の中におやじや母や子どもや老人がいるような気がするのである。
このアルバムはそういう前提の上でいうと、一種の古典的な女性のあり方が見える一方、それに還元されない、裂け目というか強い圧力となってあらわれる声が苦しく迫ってくる。
なんだか偉そうに書いているわけであるが、時々音楽評のまねごとのようなことをしたくなる。実は20代前半の頃Cutという雑誌を読んでロッキングオンのアルバイトか社員に応募したことがあるのだ。何を血迷ったか、職歴のほとんどなかった私が2度ほど応募した。確か履歴書と作文で、民生のことを書いたっけ。
この頃から大した才能もないのに東京に出て一旗上げたいとでも思っていたのか。私にはそういう尊大極まりないところがありそうである。たぶん、万が一採用されても、半年でうつ病や失踪だったにちがいない。
一方で私は、ノートに雑文を書くだけで、まともな活動はほとんどしていなかった。雑誌を読んだりして、評論家気取りで反論を書いたり、あるいは詩を書いて、新聞の懸賞論文やタバコ会社の詩の賞に応募したこともある。自分の文章は人様に見せられるものではないと思いながら、あわよくばという見込みの甘い願望があったのだ。何か世に訴えたいのだけれど、何を云いたいのかもわからずに。かなり危ない人だ。
しかし、その後はいくつかの修行の場で鼻を何本かへし折られた。それでも、しつこく書いているのだからかなり図太い。今でもはっきりしたメッセージはあまりない。肥大した自意識のために書いているのかと疑う。それでも時折昔書きたかったことや、これは書きとめておこうと思うことが折に触れて浮かび上がり、書いたときは「いいかな」と思うが、あとでふつふつとあれではきちんといえてないと思えてくるのである。今は自意識の割合にわずかに「きちんといえてなかった」という痛みや申し訳なさのようなものが加わって、よりよいあり方を探しているのだと思う。それは大げさな言い方だけど、私を放さない私が逃げることの出来そうもない生命と他者のお導きでないかとも時々思う。でもカフカを例に取るとカフカが怒るだろうけれど、自分の原稿を燃やしてとはいえない。私はまだまだ文章に向かう姿勢がなってないのだ。そんな私ですがこれからもよろしくお願いします。
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