Jul 01, 2008

歩荷

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歩荷くる山を引き摺るやうに来る     加藤峰子

本日富士山のお山開き。夏山登山がシーズンを迎える。歩荷(ぼっか)とは、ヒマラヤ登山のシェルパ族や、新田次郎の小説『強力(ごうりき)伝』で登場する荷物を背負って山を越えたり、山小屋へ物資を届けたりする職業である。現在ではヘリコプターが資材運搬の主流となり、歩荷は山岳部の学生や登山家がトレーニングを兼ねて行っているというが、以前は過酷な労働の最たるものだった。実在のモデルが存在する『強力伝』で、富士山の強力小宮正作が白馬岳山頂に運んだ方位盤は50貫目(187.5kg)とあり、馬でさえ荷を運ぶときの上限は30貫目(112.5kg)だったことを思うと、超人と呼べる肉体が必要な職業だろう。立山連峰で歩荷の経験のある舅に当時の思い出を聞くと、ぽつりと「一回に一升の弁当がなくなる」と言った。歩荷の経験が無口にさせたのか、無口でなければ歩荷は勤まらないのか定かではないが、口が重いこともこの職業に共通した大きな特徴であるように思われる。食べては歩く、これをひたすらに繰り返し、這うように進む。眼下に広がるすばらしい景色や、澄んだ空気とはまったく関係なく、道が続けば歩き、終われば目的地なのだ。掲句では上五の「くる」で職業人としての歩荷を描写し、さらに下五で繰り返す「来る」でその存在は徐々に大きくなって迫り、容易に声を掛けることさえためらわれる様子が感じられる。歩荷は山そのもの、まるで山に存在する動くこぶのような現象となって、作者の目の前をずっしりと通り過ぎて行ったのだろう。『ジェンダー論』(2008)所収。(土肥あき子)


これは七月一日の「増殖する俳句歳時記」のコピーをいただきました。このあき子さんの解説から思い出すことがあまりにもたくさんありました。それはすべてお聞きしたり、読んだりしたものですがちょっとメモを書いてみます。


★まず思い出したことは【駄】 です。
(1)荷物を運ぶ馬。
(2)馬または牛一頭に背負わせるだけの分量。助数詞的に用いる。

「千駄木」「千駄ヶ谷」などという地名はおそらくここからきていると教えて下さったのは先輩詩人でした。そしてそのような地名だったところは、かつては雨乞いのために火が焚かれた場所であろうということでした。


★「一回に一升の弁当がなくなる」で思い出したこと。
遠縁の漁師のおじさんのお話。漁に出る日にはお風呂の木製の桶(浴槽ではなく。笑。)に似た大きなお弁当にご飯を入れて持っていくそうです。それからお醤油。釣り上げた魚を船上でお刺身にして、食事するそうです。


★「強力」「歩荷」で思い出したこと。これが一番素敵なお話。
一九八九年元旦の朝日新聞には、ミヒャエル・エンデの「モモからのメッセージ」が掲載されました。今でも大事に持っています。そこに書かれていたお話です。

中米奥地の発掘調査チームの報告よりミヒャエル・エンデが特記した部分。調査チームは必要な機器などの荷物一式を携行するためにインディアンのグループを雇いました。調査作業の全工程には完璧な日程表ができていました。初日から四日間は、そのプログラムの予想以上にはかどりました。
ところが五日目になって、インディアンたちは、全員が輪になって地べたに座り込んでしまって動かない。調査団が叱っても、脅しても、賃金アップを提案しても動かない。しかし彼等は二日後には黙って立ち上がり、荷物を担ぎ、予定の道を前進しはじめる。その理由はなんだったのか?彼等の応えはこうでした。

「はじめの歩みが速すぎたのでね。」
「わたしらの魂(ゼーレ)が、あとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした。」

人間の外的時間と内的時間の大きな差異、すでに十九年前に書かれていたことでした。
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