Sep 10, 2007

贈答の詩⑥ 白井明大詩集『くさまくら』への挨拶詩

docu0026

 この物語は詩集『心を縫う』(二〇〇四年)からはじまったように思えます。そして二〇〇七年の『くさまくら』に物語は続いているようです。ささやくような愛の物語、窓辺を流れるかすかな風のような哀しみ。そうして日々は続く。白井明大さんの詩集『くさまくら』にささやかな祝福の詩を。。。


  わたしの誕生を司った天使が言った
  喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
  行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも。

   (ウイリアム・ブレイク・・・中野孝次訳)


ちいさなひと

二人で歩き出した時間のとなりで
いつのまにか
四分の一くらいの歩幅で
歩いているちいさなひとは誰?

太古からの時間を潜り抜けて
それから進化の時間を
生きているような
桃色の産毛のあるひとは誰?

あのうつくしいひとの
僕たちは序章なのかもしれない
ゆっくりと歩いてみよう
あのちいさなひとの歩幅くらいに

 *   *

あたたかな夜の闇のなかで
ふいに泣きだしたちいさなひとを
こわがらせるものはなんだろう?
僕たちがふと君の存在を忘れたのか
それとも闇の重さ
それとも窓辺の風の音

生きている。
汗をかいてミルクをのんでいるひと
生きていることはこわくないと
僕たちはちいさなひとにささやく
ささやきながら
僕たちはおそれる。
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Dec 28, 2006

贈答の詩⑤ 朝吹英和句集『光の槍』への挨拶詩

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 『光の槍』とは、ケルト神話に登場するダーナ神族の一人である太陽神「ルー」が持つ武器「ブリューナク」に由来するとのことです。朝吹さんの「あとがき」ではこのように書かれています。

 『モーツァルトの交響曲三十八番二長調。仄暗い聖堂を出た騎士の青きサーベルに煌く陽光。駿馬の如くしなやかで力強いアレグロの主題がクレッシェンドしながら夏野を駆け抜ける。対位法的展開が綾成す光と影の時空を切り開いて前進する音楽のシャープなエッジ。闇の底から麦秋の煌きへの鮮烈な転位、「光の槍」に刺し抜かれて精神の夏が輝く。』

 朝吹さんの俳句は、一読して音楽を中心として美術や歴史などへの造詣の深さがうかがえます。また、おだやかな日常風景も描かれていまして、句集全体の均衡関係がとても見事だと思いました。さて、この句集にどのよな挨拶詩が似合うのでしょうか?朝吹さんが書いてくださいました、わたくしの詩集「空白期」へのご批評のテーマが「時間」でしたので、それをたぐりよせながら、書きはじめましょう。


  時間の煌き

  この広大な世界 ちいさなわたくし
  遠いひと ここにいるわたくし
  神からの比べようのない贈り物
  煌く時間の彷徨
  そして 光の槍

  春の朝
  ブラインドの傾きをくぐりぬけた
  幾筋もの光が一瞬照らし出したものは
  モーツァルトの弾いたチェンバロ
  レ音のない未完の楽譜 遠い時間

  夏の真昼
  雲の峰を仰ぎみながら
  熱砂を歩く駱駝のおだやかな足取りを思う
  その背に揺れる永い時間
  足跡を失くしたひとはふたたびそこを訪れるでしょう

  秋の夕暮れ
  柱に刻まれた幾筋かの傷を残して
  飛びたっていった子供たちよ
  残照のなかに込められたふたたびの希望
  あるいは時間の鍵はみつかりましたか?

  冬の夜
  青葉木菟の語る物語は
  はじまりもおわりもない
  騎士の投げた光の槍が
  音もなくどこまでも時の闇を切り開くように

   (二〇〇六年・ふらんす堂刊)
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Nov 27, 2006

贈答の詩④ 秋山公哉詩集「河西回廊」への挨拶詩

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 「西域」は秋山公哉さんの少年時代からの憧れの地、大学も「大谷探検隊」の資料に触れることのできるところとを選んだ程の長い夢であったようです。どうやらこの詩集はその旅を終えた報告の書と言えそうです。また、この詩集は以前からの詩集とは異なり、すべてご自分で手作りされたそうです。見事な作りで驚かされましたが、この「手作り」に拘ったということにも、秋山さんの深い思いがあるのかもしれません。
 旅は四章に分けられて、「河西回廊」「蒙古高原」「玉門関」「天山南道」となっています。残念ながらわたくしが記憶を共有できるのは「蒙古高原」のみですが、この詩集から幻の旅をさせて頂きながら、一編の詩を書いてみました。


  砂の記憶

  そこには草原と空だけがあった
  その境目あたりから
  風が吹き 砂が舞い 光が広がる
  雲は雲の形で地上に影を落す。

  陽に焼けた額に知恵を満たしている
  羊飼いの少女よ 馬上の少年よ
  草の海の人々よ
  わたくしたちは潮の海を渡ってまいりました。

  幻の回廊をめぐり
  牛が水を飲む一筋の河を渡り
  砂に埋もれた城壁をさがしつつ
  揺れる空中桜閣を追って。

  そして草原から砂漠へ
  生きているものはすべて砂に還り
  神々は静かに風紋を渡り 
  わたくしたちの足跡も消えました。

  永い旅の終わり
  またここから始まる旅
  吾亦紅の咲く野辺に立って
  この花の名前の由来を再び思うのです。

   (二〇〇六年・私家版)
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Sep 07, 2006

贈答の詩③ 清水哲男詩集「黄燐と投げ縄」への挨拶詩

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 清水哲男さんは、この詩集以前に「夕日に赤い帆」「緑の小函」と二冊の詩集が出版されています。「赤」「青」「黄」と交通信号三部作だそうです。ふうむ。「止まれ。」「渡れ。」「注意せよ。渡れる自信ある者は渡れ。」ということになりますね。詩集をぱらぱらとめくりながら読んでいるうちに、「何か書けそうだな。」という気持が動きました。黄色の信号が点滅しているうちに、ちょっと頑張って渡ってみます。作品のなかには、この詩集のなかの言葉をお借りしていますことを明記しておきます。哲男さんからは「こういうケースは高田さんのオリジナルなのですから。」という許可を頂きました。


    兄の記憶

  その先の角を曲がれば
  兄の背中に追いつけるだろうか
  そんなあわい想いをかかえながら
  黄燐の匂う道を辿る

  曲がり角にさしかかって
  ふっとわたくしは想う
  夢のなかで
  やさしく小さな歌を歌ったのは誰だったの?

  数十年生きても
  白く笑う癖は直らない
  戻ることのできない夢が
   兄の背中に今もおぶわれているわけではない・・・・・・

  生きてきたことに間違いはなかった
  死ぬことはきっと間違いなくできる
  あの夕暮れの歩道橋で
  手を振っている幻の人だけが知っていること

  福生セントラルの暗闇に
  今もボールを握ったまま
  佇んでいる少年の兄よ
  わたくしはその時
  金網におでこを貼り付けていた
  眼ばかり大きな少女だった

  曲がり角に佇んで
  電柱のかげに隠れて
  空の魚や
  老いた猫や
  巨きな父上や
  兄の背中をみつめている
  そのわずかな距離の果てしなさ

  まだ、その道に行けない
  頑迷なわたくしの足元では
  言葉の叢が
  一斉に風に騒いでいるから・・・・・・


  (二〇〇五年・書肆山田刊)
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Aug 21, 2006

贈答の詩② 小川三郎詩集「永遠へと続く午後の直中」への挨拶詩

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 小川さんの詩作品はそれぞれがシュールな物語のワンシーンのようでした。あなたはその物語をみずからの歩幅で歩いてゆく。時には走る、時には落ちる。その言葉には「バネ」のようなものがあって、それは時には粗暴で、時にはやさしかった。
 さてさて批評を書けないわたくしは、この詩集の美味しい言葉の素材を頂いて、別のお料理をしてみましょう。「たべてくれるな」と呟いてももう遅いです(^^)。不出来ではございますが、どうぞめしあがれ。。。

【付記】この作品掲載については、小川三郎さんの許可を頂いております。


    二度とないものを

  あの女の胎内の児は
  どうやら翼があるらしい
  たまごの殻を破るのか
  暗い産道を潜りぬけるのか
  その双方の合意がないままに
  胎児はずっと不機嫌だった

   女が散漫な日々を過している家では
  百歳のおんなが死んだ
  枕辺に残された人形は不死
  限りあるものとそうでないものが
  古い家のすみずみまで
  強い糸で結ばれている

   季節は狂いなく進む
  男はまた一年の節々を丹念に死ぬ
  そして繰り返される
  彼岸花の野原のひろがり
  赤鬼の昼寝

  そうしてあの胎児は
  時を切り裂いて生まれてきたのだった
  永遠へと続く午後の直中へ
  飛ぶのか
  這うのか
  歩くのか?

  名付けてあげよう
  二度とないこの時間を生きるには
  愛するものから呼ばれるためには
  一つの名前が必要だ


  (二〇〇五年。思潮社刊)
Posted at 23:30 in greeting | WriteBacks (2) | Edit

Aug 15, 2006

贈答の詩① 足立和夫詩集『暗中』への挨拶詩

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 足立さんの詩集には魅力的な言葉が多々存在していました。その言葉は日常の実感から出発しながら、確かな詩語に手渡されていたと思います。そしてその詩語は読み手のわたくしに正確な重さを持って届けられました。わたくしは詩集評は書けないのですが、この詩集には、なにかを送りたかった。そんな思いからこの「挨拶詩」を書いてみました。この詩のなかには足立さんの詩集『暗中』と『空気のなかの永遠は』にある魅力的な言葉をいっぱい紛れこませてあります。

 【付記】この作品掲載については、足立和夫さんの許可を頂いております。


  奇妙な孤独

   君のなかには時間と実感が混在していて
  そのまわりを静かな闇が包んでいる
  それはゆっくりと言葉になってゆく
  饒舌から沈黙へ
   あるいは沈黙から饒舌へ

  近づくと
  その闇はいつでも溶けそうなのに
  そこには昔の人たちの姿が立ち並び
  壁面のように君のまわりに立っているのだ
  どいてくれないか その闇の番兵たち

  わたくしたちは
  地下の喫茶店に下りてゆき
  地球の芯の真上に腰をおろして
  世界を草のように食みながら
  やさしい会話を交わすことができる

  一五〇年の勤務者と
  懐かしい暗黒の街へ出ると
  闇はわたくしたちの孤独を新しくして
  お酒を酌み交わすのだった
  乾杯!生きることはそれに集約されるね

  怜悧な星たち
  夜の地上はみだらな光を散りばめている
  てらてらした草は
  たえまなく生えてくる
  目的のない潔さ

  暗中のなかに見る永遠の帰宅の仮説
  わたくしたちは消えてゆきそうな素足から
  現実の靴を脱ぎすてて
  果てしのない独り言を
  睡魔が断つのを待っている


  (二〇〇六年。草原詩社発行・星雲社発売)
Posted at 15:40 in greeting | WriteBacks (0) | Edit
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