Aug 21, 2006

贈答の詩② 小川三郎詩集「永遠へと続く午後の直中」への挨拶詩

05-11-18ityou-gyoen2

 小川さんの詩作品はそれぞれがシュールな物語のワンシーンのようでした。あなたはその物語をみずからの歩幅で歩いてゆく。時には走る、時には落ちる。その言葉には「バネ」のようなものがあって、それは時には粗暴で、時にはやさしかった。
 さてさて批評を書けないわたくしは、この詩集の美味しい言葉の素材を頂いて、別のお料理をしてみましょう。「たべてくれるな」と呟いてももう遅いです(^^)。不出来ではございますが、どうぞめしあがれ。。。

【付記】この作品掲載については、小川三郎さんの許可を頂いております。


    二度とないものを

  あの女の胎内の児は
  どうやら翼があるらしい
  たまごの殻を破るのか
  暗い産道を潜りぬけるのか
  その双方の合意がないままに
  胎児はずっと不機嫌だった

   女が散漫な日々を過している家では
  百歳のおんなが死んだ
  枕辺に残された人形は不死
  限りあるものとそうでないものが
  古い家のすみずみまで
  強い糸で結ばれている

   季節は狂いなく進む
  男はまた一年の節々を丹念に死ぬ
  そして繰り返される
  彼岸花の野原のひろがり
  赤鬼の昼寝

  そうしてあの胎児は
  時を切り裂いて生まれてきたのだった
  永遠へと続く午後の直中へ
  飛ぶのか
  這うのか
  歩くのか?

  名付けてあげよう
  二度とないこの時間を生きるには
  愛するものから呼ばれるためには
  一つの名前が必要だ


  (二〇〇五年。思潮社刊)
Posted at 23:30 in greeting | WriteBacks (2) | Edit
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拝読しました

素敵な詩ですね。それに、挨拶詩って素敵です。

四連を読んでいて、百年の孤独のラストを思い出しました。
そういえば、小川さんの詩の死生観って、どことなく南米的かも。んむむ。

Posted by 白井明大 at 2006/08/24 (Thu) 10:30:48

ありがとうございます。

以前からこういう試みをしてみたかったのです(^^)。自分が詩評を書けないことに気付いて、こうした試みならできるかもしれないと思ったわけです。
「相聞」「連詩」「贈答」などなど。。。
竹西寛子の「贈答のうた」という著書がありますが、そこには日本の詩歌の伝統の源は「贈答」にあったのだと書かれていまして、とても納得しました。

白井さんにも、いつかお贈りしたいです。。。

Posted by あきこ at 2006/08/24 (Thu) 16:24:00
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