Jun 15, 2011

テストです。


ブルーベリーの幼果です。
6-8blueberry4
Posted at 21:38 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Nov 08, 2009

メモ

RIMG0003


http://www.haizara.net/~shimirin/on/akiko_01/a01_kan/
(メンテ)

http://www.haizara.net/~shimirin/on_poem/rin_1/upload.php
(アップロード)
Posted at 01:36 in n/a | WriteBacks (0) | Edit

Sep 25, 2009

別室

Fukurou

 季節はめぐり、立秋をすぎました。少しだけ気分を変えて、「ふくろう日記・別室」を開きました。ご訪問をお待ちしています。しばらくはここをお休みいたしますが、鍵をかけることはありません。またここに書くこともあると思います。では、よき秋の日々をお過ごしくださいませ。
Posted at 05:10 in n/a | WriteBacks (2) | Edit

Sep 17, 2009

ベルギー幻想美術館

 15日午後より、澁谷のBunkamura・ザ・ミュージアムにて観てまいりました。副題は「クノップフからデルヴォー、マグリットまで」となっています。大雑把に括れば19世紀末のベルギーの「象徴主義」の画家たちと言えるのでしょうが、それぞれの目指した絵画は、さまざまな主張と試みがみられます。

フェルナン・クノップフ(1858~1921)
ポール・デルヴォー(1897~1994)
ルネ・マグリット(1898~1967)
フェリシアン・ロップス(1833~1898)
ジェームズ・アンソール(1860~1949)
ジャン・デルヴィル(1867~1953)
エミール・ファブリ(1865~1966)
レオン・フレデリック(1856~1940)

 これらの画家の113点の作品は「姫路市立美術館」所蔵のものです。1983年(昭和58年)に開館したこの美術館は、開館以来、ベルギー美術品の収集に力を入れたのは、姫路市とベルギーの工業都市シャルルロワ市と姉妹都市関係にあったからです。ベルギーの近代美術史を語れるほどの作品が収集されているとのことです。


 1830年に建国したベルギーの文化はフランスの影響を大きく受けていました。フェリシアン・ロップスは、パリで活躍した画家で、風刺画や本の挿絵を多く描くようになり文学者との交流を深めていきました。詩人シャルル・ボードレール(1821~1867)の「悪の華」の挿絵も担当しています。こうした文学者たちとの交流が多く見られるというのが、19世紀ベルギーの画家の1つの特徴と言えるかもしれません。

akunohana
(多分、この絵ではないか?と思います。展覧会にはありません。念の為。)

*訂正。この表紙絵は「エドワルド・ムンク」の「マドンナ・1895年」です。失礼しました。

 またジェームズ・アンソールの「キリストの生涯・32点組」のリトグラフ。あるいはポール・デルヴォーの「クロード・スパークの小説「鏡の国」のための連作・最後の美しい日々・8点組」のエッチングや「ヴァナデ女神への廃墟の神殿の建設・11点組」のエッチングなどもありました。

 この絵画の時代的背景をみますと、19世紀後半から20世紀前半にかけてのベルギーは、本国の何十倍もある植民地(コンゴ)からの富が産業革命を加速させ、飛躍的な繁栄をもたらした時代です。その恩恵は芸術の世界にも及び、リベラルな若い実業家たちは新しい芸術を支えました。こうして芸術は宮廷文化から、裕福な階級の人間たちの文化に変わってゆきました。宮廷に庇護されることから、値踏みされる芸術の時代の到来と言ってもいいかもしれません。しかしながら皮肉にもその芸術の中身は、発展する近代社会における人間の疎外を表わすものともなったのです。

 展覧会全体のなかで気付いたことですが、女性を描いた絵画の圧倒的な多さでした。それは美しい女性像であったり、あるいは世紀末の魔性の女性であったりと。。。これがベルギー幻想美術の1つの特徴です。

jan_delvil
(ジャン・デルヴィル夫人・ジャン・デルヴィル)

omoide
(ヴェネツィアの思い出・フェルナン・クノップフ)


 さらに産業革命は、19世紀後半のベルギーでは労働争議などが頻発していました。画家たちも労働者の現実に目を向け、それを題材にした作品も描きました。

tyo-kuuri
(チョーク売り・レオン・フレデリック)

 絵画のみならず、あらゆる芸術は、その時代背景(戦争、経済など。)を如実に表わすものであることをわすれてはならないでしょう。
Posted at 05:36 in nikki | WriteBacks (0) | Edit

Sep 15, 2009

オルフォイスへのソネット・・・メモ3 

noa

 順不同ではありますが、このソネットのなかで何度もわたくしが立ち止まった「第二部・24」について書いてみます。冒頭からは大分飛んでしまいますが、もともとソネット全文について書くつもりはありませんので、気付いたことから書いてゆきます。ちなみにドイツ語は全くお勉強したことはありません。赤子と同じです。翻訳者の註解を頼りにしつつ、反面ナマイキにもそれらを疑ったりしながら読んでいます。だって翻訳者同士の解釈の異論が錯綜するのですから、最後の決断はこの未熟な読者のキッパリ(?)とした判断しかないのです。

  *   *   *

《第二部・24》

おお この歓び、つねに新たに やわらかな粘土より!
最古の敢行者たちにはほとんど誰も助力しなかった。
にもかかわらず、街々は祝別された入江にそって立ち、
水と油は にもかかわらず 甕をみたした

神々を、まず大胆な構想をもって、私たちの描く者たちを
気むずかしい運命はまた毀してしまう。
だが神々は不滅の存在。見よ ついに私たちの願いを聴き入れる
あの神の声が 私たちにひそかに聴き取れるのだ。

私たちは 幾千年も続いてきたひとつの種族――母であり父たちであり
未来の子によってますます充たされてゆき、
のちの日にひとりの子が私たちを凌駕し、震撼させるだろう。

私たち 限りなく敢行された者である私たちは、何という時間の持ち主なのだろう!
そしてただ寡黙な死 彼だけが知っているのだ、私たちが何であるかを、
そして彼が私たちに時を貸し与えるとき、何をいつも彼が得るかを。

(田口義弘訳・「オルフォイへのスソネット」河出書房新社)


ゆるく溶かれた粘土からうまれる歓喜、たえずあらたなこの悦び!
最古のころの敢行者を助けた者はほとんどなかった。
街々は、それにもかかわらず祝福された入り海にうまれ、
水と油は、にもかかわらず甕をみたした。

神々を当初われらは大胆な構想をもって設計するが
気むずかしい運命がふたたび砕いてしまう。
しかし神々は不滅だ。ついには望みをかなえてくれる
あの神々の声音を盗み聞くがよい。

われらは何千年を閲した種族。母たち そして父たち、
未来の子によっていよいよ実現せられ、
ついには、いつか、その子らはわたしたちを超え、わたしたちの心をゆるがす。

限りなく賭けられたもの、なんとわれらの時は広大なのか!
そして無言の死だけが、わたしたちがなんであるかを見通し、
わたしたちに時を貸すとき、なにを獲(う)るかを知っている。

(生野幸吉訳「世界の文学コレクション36・リルケ」・中央公論社)


  *   *   *

 恐れもなく自己流解釈をします。「粘土」という言葉からは、当然神が人間を粘土から作り賜うたというものであるという前提はあります。「祝別された入江」あるいは「祝福された入り海」というところからは、人間の集落は必ずと言っていいほど、水辺から始まったということ(これはわたくし自身の永年の確信犯的発想です。)に繋がってゆくようです。そこには粘土で作られた家、それから甕、そしてそこには水も油も満たされている。人間のいのちはそこで「幾千年も続いてきたひとつの種族」となっていくのでしょう。そして「未来の子によってますます充たされて」あるいは「未来の子によっていよいよ実現せられ」人間社会は連鎖してゆきます。ですが気むずかしい神の手によって毀されることもある。人間が堕落した時の神の怒りでしょう。こうして人間は生きながらえてきました。「何という時間の持ち主なのだろう!」・・・と。人間のいのちには限りがありますが、それを連結してゆくことは可能です。時間はこのように神から人間に賜ったものではないか?このような解釈ではいかがなものかな?(←最後は気弱だなぁ。)

《付記》  生野幸吉訳を追加しました。
Posted at 16:52 in book | WriteBacks (0) | Edit

Sep 11, 2009

オルフォイスへのソネット・・・メモ2 

Orpheus

ふたたび冒頭の「第一部の(1)」の4行について、お2人の邦訳を並べてみました。


すると一本の樹が立ち昇った。おお 純粋な超昇!
おお オルフォイスが歌う! おお 耳のなかの高い樹よ!
そしてすべては沈黙した。 だが その沈黙のなかにすら
生じたのだ、新しい開始と 合図と 変化とが。   (田口義弘訳)


そのときひともとの樹が生い立った。 おお純粋の昇騰!
おおオルフォイスは歌う! おお耳のなかに聳立(そばだ)つ大樹!
そしてすべては黙っていた。そして沈黙のうちにさえ
あらたな開始、合図、変化が起きつつあった。    (生野幸吉訳)


「メモ1」では、先走りの解釈をしてしまったようですので、改めて書いてみます。まず「オルフォイス」の歌声あるいは竪琴の音色だろうか?それによって、1本の(ひともとの)樹が超昇(昇騰)するのですが、これは耳のなかに聳立つ樹なのでした。あくまでもここでは聴覚の段階です。しかしそこには沈黙もあり、その対比のなかで、なにかが起きるであろうという予感です。大変すぐれたプロローグとなっています。「うつくしい耳鳴り」と言ったら叱られるかな?

《追記》

過去ログを検索しましたらリルケの「若き詩人への手紙」について書いた日記が出てきました。リルケに拘り続けた原点をみつけたような気持でした。
Posted at 17:15 in book | WriteBacks (0) | Edit

Sep 10, 2009

オルフォイスへのソネット  リルケ ・・・メモ1 

redon-3

翻訳:田口義弘

 この詩集の初めには「ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる」と記されています。
 
 このソネットは「ドゥイノの悲歌」が書かれた時期と大分重なっているようです。ただし「悲歌」のように第一次大戦などの大きな障害のなかで、ペンが進まず10年の歳月がかかったのに比べて、比較的順調に書かれたようです。このソネットに大きな影響を与えたものは、ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」でした。この詩は手書きで紹介するのにはあまりにも長いので、ここにリンクさせていただきました。この翻訳者の方は存じ上げませんが。リルケはこの詩を独訳していますが、この「海辺の墓地」との類想と対峙が「オルフォイスへのソネット」にはみられます。

 このポール・ヴァレリーの詩は、堀辰雄の「風立ちぬ」のなかで引用されている1行「風立ちぬ いざ生きめやも」でも有名な詩ではありますが、どうもこの1行だけが1人歩きしているような気がします。
 
 「ドゥイノの悲歌」のなかで呼び出される「天使」は、彼岸でも此岸でもなく、この大きな統一体に凌駕するものとして存在しましたが、この「ソネット」のなかでの「オルフォイス」は、神話のなかに登場する比類なき楽人のことです。神ではありますが、絶対化されていながら、無常な一個の人間としての姿も見えてきます。

 冒頭の4行は・・・

すると一本の樹が立ち昇った。おお 純粋な超昇!
おお オルフォイスが歌う! おお 耳のなかの高い樹よ!
そしてすべては沈黙した。 だが その沈黙のなかにすら
生じたのだ、新しい開始と 合図と 変化とが。



 ・・・・・・とはじまります。そこから第一部(1~26)第二部(1~29)の55のソネットが続きます。この冒頭の4行から予感されることは、1本の樹が立ち「昇った」という邦訳から、地上にこの1本の樹が在るということは、葉が繁り、花が咲き、果実が実り、ということは地下に眠るさまざまな死者からの「押しあげ」ではないか?と言うことです。梶井基次郎の「桜の樹の下には」なども思い出されます。

 この「オルフォイス」はかなりポピュラーな神であって、絵画、オペラ、彫刻、戯曲、バレエなどなどさまざまな分野で表現されています。わたくしの古い記憶を辿れば、映画「黒いオルフェ」もそれだったと思います。

 では序章はここまでと致します。

  (2001年・河出書房新社刊)
Posted at 06:15 in book | WriteBacks (2) | Edit

Sep 06, 2009

若き女性への手紙  リルケ

Duino castello

 「リルケ」と「リーザ・ハイゼ」との往復書簡は、1919年「ベルサイユ条約」調印式によって、第一次世界大戦が終息した時期の1年前の1918年から1924年まで続きました。「リルケ」はスイスにいましたが、「グラウビュンデン、ソリオ」「ロカルノ(テッシン)」「チューリヒ州、イルヘル、ベルク館」「ヴァレリー州、上ジエル、ミュゾット館」と次々に住いを変えていますが、「リーザ・ハイゼ」からの手紙はもれなく届いているようです。最後の「ミュゾット館」において、1914年以来中断されていた「ドゥイノの悲歌」が1922年に完成され、それと時期が重なるように「オルフォイスヘのソネット」も完成します。1923年、この2冊が「インゼル書店」から出版されます。

 この往復書簡の始まりは「リルケ」の「形象詩集」を読んだ「リーザ・ハイゼ」が感動して、未知の詩人に手紙を書いたことから始まります。残念ながら2冊の本にあたりましたが、「リーザ・ハイゼ」の手紙は省略、あるいは簡単な説明があるだけでした。手紙好きの「リルケ」ではありますが、こうして未知の女性に真剣に優しい言葉を書き送るという厚意は稀有なことに思えます。若くして両親のもとを離れ、その後、夫はなく1人息子と共に真摯に生きようとする彼女(=自然を生きるということ。)への尊敬と危惧を抱きながら、送られた手紙でした。最終部分では「リルケ」はすでに病んでいます。


 リルケの第1信ではこのように書かれています。『芸術作品と孤独な人間とのあいだに起こるこの欺瞞は、太古以来神の所業を促進するために聖職にある者が用いてきたあの欺瞞と相通ずるものがあります。(中略)ですから私の方でも、あなたに劣らず正確に立ち向かいたいと思い、ありきたりのご返事ではなしに、心に触れたありのままの体験をお話しようと思います。』・・・と長い時間をかけて続くであろう、この往復書簡の予感をすでに書いています。

 最後の手紙は不安を残しているようです。これは「リーザ・ハイゼ」の転々と変わる境遇への不安、それを見届け、手を差し伸べることの出来ない「リルケ」自身への不安でしょうか?『あれほどに力を注いで素朴な、価値ある仕事をなさったあとで、謙虚に、しかしやっぱりなんらかの形で認められたいという純粋な期待を持ちながら立っておられるあなたには、偽りのものが語りかけたり、触れたりすることはできるはずがない――と思います。』

 
(1994年「世界の文学セレクション36」所収・中央公論社刊)
 (翻訳:神品芳夫)

(平成19年・第62刷・新潮文庫「若き詩人への手紙・若き女性への手紙)
 (翻訳:高安国世)

  *   *   *

 さてさて「リルケ」の追っかけ(?)がどこまで続くことか?我が書棚には、大作「オルフォイスへのソネット」「オーギュスト・ロダン」などが、どっしりと鎮座していますが。。。
Posted at 14:41 in book | WriteBacks (0) | Edit

Sep 05, 2009

音の歳時記

5

今朝の天声人語昨日の天声人語の麻生太郎の「バッド・ルーザー」ぶりと、うってかわって、さわやかな話題でした。「詩の歳時記」などを続けている自分が恥ずかしくなりました。


「音の歳時記」    那珂太郎

一月 しいん

石のいのりに似て 野も丘も木木もしいんとしづまる
白い未知の頁 しいんーとは無音の幻聴 それは森閑の
森か 深沈の深か それとも新のこころ 震の気配か
やがて純白のやははだの奥から 地の鼓動がきこえてくる

二月 ぴしり

突然氷の巨大な鏡がひび割れる ぴしり、と きさらぎ
の明けがた 何ものかの投げたれきのつけた傷? 凍湖の
皮膚にはしる鎌いたち? ぴしりーそれはきびしいカ行音
の寒気のなか やがてくる季節の前ぶれの音

三月 たふたふ

雪解の水をあつめて 渓川は滔々と音たてて流れはじめ
る くだるにつれ川股に若草が萌え土筆が立ち 滔々た
る水はたふたふと和らぎ 光はみなぎりあふれる 野に
とどくころ流れはいっそう緩やかに たぷたぷ たぷ
たぷ みぎはの草を浸すだらう

四月 ひらひら

かろやかにひらひら 白いノオトとフレアアがめくれ
る ひらひら 野こえ丘こえ蝶のまぼろしが飛ぶ ひら
ひら空の花びら桃いろのなみだが舞ひちる ひらひら
ひらひら 緩慢な風 はるの羽音

五月 さわさわ

新緑の木立にさわさわと風がわたり 青麦の穂波もさわ
さわと鳴る 木木の繁りがまし麦穂も金に熟れれば ざわ
ざわとざわめくけれど さつきなかばはなほさわさわ
と清む 爽やか、は秋の季語だけれど 麦秋といふ名の
五月もまた 爽やか

六月 しとしと

しとしとしとしとしとしとしとしと 武蔵野のえごのき
の花も 筑紫の無患子の花も 小笠原のびいでびいでの
花も 象潟の合歓の花も うなだれて絹濃のなが雨に聴き
いる しとどに光の露をしたたらせて

七月 ぎよぎよ

樹樹はざわめき緋牡丹は燃え蝉は鳴きしきる さつと白
雨が一過したあと 夕霧が遠い山影をぼかすころ ぎよ
ぎよぎよ 蛙のこゑが宙宇を圧しはじめる 月がのぼる
とそれは  ぎやわろっぎやわろっぎやわろろろろりっ
と 心平式の大合唱となる

八月 かなかなかな

ひとつの世紀がゆつくりと暮れてゆく 渦まく積乱雲の
ひかり 光がかなでる銀いろの楽器にも似て かなかな
 かなかなと ひぐらしのこゑはかぼそく葉月の大気に
錐を揉みこむ 冷えゆく木立のかげをふるはせて

九月 りりりりり

りりりりり......りり、りりり......りりり、りり......り、
りりりり...... あれは草むらにすだく虫のこゑか それと
も鳴りやまぬ耳鳴りなのか ながつき ながい夜 無明
長夜のゆめのすすきをてらす月

十月 かさこそ

あの世までもつづく紺青のそら 北の高地の山葵色の林
を しぐれがさっさつと掠めてゆくにつれ 幾千の扇子
が舞ひ 梢が明るみはじめる 地上にかさこそとかすかな
気配 栗鼠の走るあし音か 地霊のつぶやきか

十一月 さくさく

しもつきの朝の霜だたみ 乾反葉敷く山道を行けばさり
さり 波うちみだれる白髪野を行けばさくさく 無数の
氷の針は音立ててくづれる  澄んだ空気に清んだサ行
音 あをい林檎を噛む歯音にも似て

十二月 しんしん

しんしん しはすの空から小止みなく 白模様のすだれ
がおりてくる しんしん茅葺の内部に灯りをともし 見
えないものを人は見凝める しんしんしんしん それは
時の逝く音 しんしんしんしん かうして幾千年が過ぎてゆく
Posted at 02:26 in nikki | WriteBacks (2) | Edit

Aug 29, 2009

子どものいない世界  フィリップ・クローデル

Claudel

翻訳:高橋啓
挿画:ピエール・コップ


 「フィリップ・クローデル・1962年フランスのローレンス生まれ」の著書は、「リンさんの小さな子」「灰色の魂」に続いて彼の著書を読むのはこれが3冊目です。前記の2冊とも全くタイプの違う小説でしたが、この「子どものいない世界」は絵本です。翻訳者の高橋啓氏も大いに戸惑い、かつ翻訳に苦しんだようでしたが、でも楽しんだのではないでしょうか?この著書の献辞には・・・・・・


  日々驚嘆させてくれるうちのプリンセスのために
  いずれは大人になる子どもたちのために
  そして、かつて子どもだった大人のために


 ・・・・・・と書かれています。この「うちのプリンセス」とは、「フィリップ・クローデル」のベトナム生まれの養女「クレオフェ」のことでしょう。この著書のプロデュースは「クレオフェ」の養母であり、また「フィリップ・クローデル」の奥さまでもある「ドミニク・ギョーマン」です。ここには20篇のお話や詩篇が収録されています。

 その第一話が「子どものいない世界」です。ある日突然世界中の子どもたちがいなくなってしまうのです。以下のメッセージを残して。


 『いつもしかられてばっかで、ぼくらのはなしなんかぜんぜんきいてくんないし、あそびたくてもあそべないし、やたらにはやくねなくちゃなんないし、ベッドでチョコたべちゃだめだし、いっつもはをみがけってうるさい。おとなにうんざり、でていくからね。あとはかってにしたら! 子どもいちどう』

 
 ここの部分の「高橋啓」の翻訳作業はさぞ楽しかったのではないかと想像します(^^)。さて、子どもたちが行ったのは、世界中の大人が知らない「マデラニア」という国の南の果てにある「ケランバラ」というオアシスでした。子どものいない世界は奇妙な眠りのなかにおちてしまったようで、教皇、ダライダマ、各国の大統領、元首、首相、親たちがテレビとラジオで必死で呼びかけ、子どもたちはようやく帰宅したものの、その子どもたちもやがて大人になって・・・・・・。お話はえんえんと繰り返されていくのです。。。

 もう一話「どうかでかっぽじっとくんなさい!」という奇妙なタイトルの物語は、意味をなさない造語で綴られた作品で、フランス語の「音」の効果で出来た作品ですので、翻訳者が「ほとんど翻訳不可能に近い。」と言いつつも、匙を投げるわけにはいかず、著者とのメールのやりとりで、なんとかかたちにしたそうです。フランスの子どもたちなら大笑いするそうですが、日本の子どもにはわかるだろうか???この物語の全部がこうした言葉で翻訳されているのですから。最後はこのように終ります。わかりますか?

 『では、たらっちょ、こむむすさま、たらっちょ、がりれば、よいほろんちを!』

 同じ日本国内であっても、ほぼ標準語で育ったわたくしには、特に高齢者の方言は理解不可能なほどわからないことがありますが、音を聞き分けるとなんとかぼんやりと標準語に置き換えることはできます。そんなことを思いだしました。

  *   *   *

 近頃「翻訳」というものがいかに困難なことであるのかを実感(←と言ってもわたくしができるわけではありません。すみませぬ。)しています。「翻訳」ということを考える時にいつも思い出す言葉があります。それはポーランドの1996年ノーベル文学賞受賞詩人「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」の「橋の上の人たち」を翻訳された「工藤幸雄」の言葉です。

 『未知であった彼女の詩集の1冊をこのように晴れがましい形で〈試訳〉する幸福を訳者は恵まれた。あえて〈試訳〉とへりくだって、そこに拘泥する。訳詩とは、あくまでも〈試みの翻訳〉に過ぎないと思うからだ。ひとつの訳語の選択は詩想の伝達を大きく左右する。原詩の心の揺れの総量がそのまま伝達できるとは訳者は思えない。
 畏れ多い名を掲げるなら、かの上田敏「海潮音」、また堀口大学「月下の一群」ほか諸先輩の訳業に及ぶべくもない。』

 (2006年・みすず書房刊)
Posted at 04:39 in book | WriteBacks (2) | Edit

Aug 26, 2009

女児として育てられたリルケ


毎度ばかばかしいお話ですみませぬ。
こんなことを書くきっかけになったのは、愚息一家が帰省した日の出来事からです。1日だけだからと思って1歳5ヶ月の男児の「むつき」の用意はしてきたものの、着替えを持ってきませんでした。しかし公園に連れ出したら、砂遊び、水遊びで、そのまま家には入れられない状態に。バスルームで裸にして、洗って拭いてから「むつき」だけははかせたものの、さて着替えがない。

思いついたのは、身長120~130センチ用の女児タンクトップでした。(自慢じゃないけど、これを着られるわたくしめです。)わたくしはチビですので子供服売り場で、セーター、Tシャツ、パジャマ、スパッツなどをよく買いますが、こういう時にも役立つのでした。さすがにそれでも孫には大きくて、ワンピースになってしまって、でも結構似合い、女の子にみえます。あわてて洗って乾かした元の男児服に着替えたら、あら不思議!男児に戻りました。その姿からの連想が以下のものです。

joshua

この絵画は、イギリスの画家ジョシュア・レノルズ(1723~1792年)が最晩年の1788年に描いた「マスター・ヘアー」です。2歳の「フランシス・ジョージ・ヘアー(1786~1842年)」の肖像画です。このころの就学前の男児がみんなそうであったようにモスリンの女児服を着て、長い髪形ですね。何故このような風習があったのか?一説によれば、女児の方が男児よりも生命力が強いので、その願いからとも言われていますが、イギリスは女王の国でもありますね。

Rilke-2

リルケは1875年生まれですから、これは1877年の写真ですね。これは「マスター・ヘアー」のような考え方からきたものではなく、母親ゾフィアの屈折した考え方からきたのではないかしら?「ゾフィア」は裕福な商家に生まれ、フランスの血をひくと自称し、大皇紀のような黒衣を好み、虚栄心が強く、凡庸な夫のとの生活に幻滅して、「リルケ=ルネ」を連れて別居します。そこで女の子として育てられました。「ゾフィア」は「リルケ」よりも長生きをしていますが、彼の生涯にわたる影響力を持っていました。良きにつけ悪しきにつけ・・・・・・。

Pieter_de_Hooch

今度はオランダの画家「ヨハネス・フェルメール・1632~1675」と同時代の「ピーテル・デ・ホーホ・1629~1684」の描いた「食料貯蔵庫の女と子供」です。この子も実は男の子です。肩布と金のボタンで、男の子だとわかるのだそうですが、帽子、ドレス、髪型は女の子ですね。


さてさて、こうして男児が女児の服装で育てられた真相ははっきりとはしませぬが。。。
Posted at 06:03 in nikki | WriteBacks (0) | Edit

Aug 24, 2009

ドゥイノの悲歌ーメモ7

8-22-2

リルケの翻訳者

リルケの「ドゥイノの悲歌」の翻訳者は、今まで把握できた範囲では「手塚富雄」と「古井由吉」のお2人しかいらっしゃいませんでした。図書館から借り出した「世界の文学セレクション36・中央公論社・1994年刊」の「リルケ」では以下のとおりです。


マルテの手記       杉浦博      (大山定一)
神さまの話        手塚富雄     (谷友幸)
ドゥイノの悲歌      手塚富雄     (手塚富雄&古井由吉)
オルフォイスへのソネット 生野幸吉     (田口義弘)
オーギュスト・ロダン    星野慎一    (塚越敏)
若き詩人への手紙     生野幸吉     (高安国世)
若き女性への手紙     神品芳夫     (高安国世)

解説:生野幸吉   年譜:神品(こうしな)芳夫

やはり「悲歌」の翻訳者は2名しか見当たりませんでした。
新しく知ったリルケの翻訳者は「神品芳夫」でした。

*( )内のお名前は、わたくしの手持ちの本の翻訳者のお名前です。
Posted at 05:31 in book | WriteBacks (0) | Edit

Aug 16, 2009

ドゥイノの悲歌ーメモ6

sora-2

リルケの「1913~1920年の詩」のなかに、「天使」について書かれた作品があります。「ドゥイノの悲歌」のなかで、度々呼びかけられる「天使」と同じ「天使」ではないか?と推察いたします。「1913~1920年の詩」たちは「ドゥイノの悲歌1912 ~1922年」の序曲と思われますが、書かれた時期の重複期間から察するに、同時進行だったのではないでしょうか?「ドゥイノの悲歌」全体の完成までの期間には、修行僧のごとき詩作が繰り返されていたように思います。「天使」という大きなキーワードから決して離れなかったリルケがいたということですね。


天使に寄す  リルケ   富士川英郎訳

たくましい 無言の 境界に置かれた
燭台よ 空は完全な夜となり
私たちはあなたの下部構造の暗い躊躇のなかで
むなしく力を費している

私たちの運命は内側の迷宮の世界にあって
その出口を知らぬこと
あなたは私たちの障壁のうえに現われ
それを山獄のように照らしている

あなたの歓喜(よろこび)は私たちの世界を超えて高く
だが 私たちはほとんどその沈滓(おり)を捉えることはない
あなたは春分の純粋な夜のように
昼と昼とを二分して立っている

誰にできようか 私たちをひそかに濁らせている
この調剤をあなたに注ぎこむことが。
あなたはあらゆる偉大さの光輝をもち
私たちは区々たる小事になれている

私たちが泣くとき 私たちは可憐のほかのなにものでもない
私たちが見るとき 私たちはせいぜい目覚めているにすぎない
私たちの微笑 それは遠くへ誘いはしない
たとえ誘っても 誰がそれについてゆくだろう?

行きずりの或る者が。天使よ 私は嘆いているだろうか?
だが その私の嘆きはどんな嘆きだろう?
ああ 私は叫ぶ 二つの拍子木をうちたたく
でも 私は聞かれることを思ってはいない

私がここにいるとき あなたが私を感じるのでないならば
叫ぶ私の声もあなたの耳に大きくなりはしないのだ
ああ 耀けよ 耀けよ 星たちの傍らに
私をもっとはっきりさせるがいい なぜなら私は消えてゆく


ここで少し解説が必要ですね。
最初の一行目の「境界」は人間の世界の果て。人間の可能性の限界を言っています。
二行目の「燭台」は、天使の光り輝く燭台でしょう。三行目の「暗い躊躇」は人間の世界は天使のいる位置からすれば、ずっと下方(下部構造)の闇のなかにある。その闇そのものが落ち着きなく浮遊していることと、人間の不決断を現しているのだろうと思います。「この調剤」は人間を譬えたもので、濁って不純な混合液なのです。


《追記》
このメモを書く度に、いろいろなことを教えて下さる方がいらして、再考する機会を頂けます。恥多きメモも度胸よく書くのもいいものですよ(^^)。

あなたは春分の純粋な夜のように
昼と昼とを二分して立っている
(3連目の2行)

つまり「春分(秋分も同じですが。)」は夜と昼の時間が同じになること。ですから、その季節の夜は、大変うつくしく「昼と昼」を分割しているということです。

リルケは詩作の日々のなかで、繰り返し繰り返し「天使」に呼びかけましたが、その歳月のなかで、天使との距離が変化してきた、あるいは「啓示」を受けるようなこともあるということですね。
Posted at 06:34 in book | WriteBacks (2) | Edit

Aug 15, 2009

ビルマの竪琴(1985)

biruma

監督:市川崑
原作:竹山道雄
脚本:和田夏十
音楽:山本直純

《キャスト》
中井貴一(水島上等兵)
石坂浩二(井上隊長)


 原作者の「竹山道雄・1903年~1984年)は、評論家、ドイツ文学者、小説家。第一高等学校教授、東京大学教養学部教授などを歴任した。一高教官として多くの教え子を戦場に送り出した体験に基づき、1947年に小説『ビルマの竪琴』を発表。1948年に毎日出版文化賞を受賞。「竹山道雄」が唯一書いた「児童読み物」という意味でも、この小説への思いの深さがわかります。
 さらに、この小説の映画化は、同じ監督「市川崑」によって、1956年、1985年と2回行われているということも稀有なことかもしれません。

 ビルマ(現・ミャンマー)に送られた部隊の兵士たちの敗戦から捕虜収容所での日々と帰国までの物語です。事実ではないと言われてはいますが、水島上等兵のモデルは、福井県永平寺で修行中に召集され、南方戦線を転戦しビルマで終戦。捕虜収容所では合唱団を結成していたという。復員後、群馬県昭和村で僧侶になった方のようです。その後ミャンマーキンウー市に小学校を寄贈、2008年12月17日死去。享年92。

 小説と映画のなかでは、「水島上等兵」は部隊の方々と共に復員せず、ビルマで僧侶となり、ビルマで戦死した多くの兵士たちの御霊を守るために残ります。

inko

 おそらくビルマにはたくさん生息していたのではないか?と思われる、人なつこい「インコ」が2羽登場します。1羽は部隊を離れて僧侶として、ビルマの戦没者埋葬に働く「水島上等兵」の肩に。もう1羽は「井上隊長」率いる部隊に。前者が覚えた言葉は「にほんにいっしょにかえれない。」・・・後者は「みずしま、いっしょににほんへかえろう。」でした。この「インコ」は島に住む老婆によって交換され、後者は復員船に乗りました。

ミャンマーの竪琴

 竪琴の美しい音色はいつまでも耳に残ります。戦争は何だったのでしょう?さまざまな凄惨な場面を見て、あるいは体験してきた人々すべてが狂気の時間だったはずです。その「シンドローム」から開放された人々が果たしているだろうか?
Posted at 13:38 in movie | WriteBacks (0) | Edit

Aug 11, 2009

HACHI・約束の犬

HACHI

監督:ラッセ・ハルストレム
パーカー・ウィルソン教授:リチャード・ギア



HACHI・約束の犬


ご存知、渋谷駅前の「忠犬ハチ公」物語のアメリカ版です。
アメリカ郊外のベッドリッジ駅。寒い冬の夜に、迷い犬になった秋田犬の子犬を保護したパーカー・ウィルソン教授は、子犬を飼うことになりました。首輪のタグに刻まれていた漢字「八」から、「ハチ」と名づけられた子犬は、パーカーの愛情を受けてすくすくと成長していくのでした。ここまではアメリカ版。何故迷い犬になったか?それは日本の「山梨」という土地のお寺(←なぜだか、わかりませぬ。)からアメリカまで送られることになった子犬の檻に、付けてあった荷札が、列車、飛行機、トラックと移送される間にちぎれてしまい、しかもアメリカに辿りついたものの、走行中のトラックから落とされてしまった檻から逃げ出した子犬だったのでした。

 これ以上のお話はいりませんね(^^)。

 では一言。秋田犬はとってもお利口で可愛い。ただし実は、子犬の「ハチ」には柴犬の子犬を使っていたのです。以前のテレビドラマ「幼獣マメシバ」というのも観ていたのですが、これには柴犬の子犬が登場していました。あまりにも似ていたので、事実を知って「やはり・・・」とも思いましたが、秋田犬はすぐに大型犬になってしまうからだったそうです。わたくしは実は犬好きなのです。夢は「セントバーナード犬」ですが、人間よりも短命だと知った少女期から犬は飼っていません。それなのに「ハチ」は教授に先立たれてしまうのです。

 リチャード・ギア教授はステキ♪でも、講義中に倒れ突然死だった。。。

 地元の「MOVIX」に初めて行ってきました。


以前観た、教授役「仲代達矢」の「ハチ公物語」の日本版です。
Posted at 16:09 in movie | WriteBacks (0) | Edit
September 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
         
Search

Categories
Archives
Syndicate this site (XML)

Powered by
blosxom 2.0
and
modified by
blosxom starter kit
新規投稿