Apr 19, 2006

灰色の魂  フィリップ・クローデル

haiiro

 フィリップ・クローデルは一九六二年フランス、ロレーヌ地方生まれ。四月十日に書いた「リンさんの小さな子」と同じく翻訳者は高橋啓だが、こちらの原作は翻訳者泣かせの作品であり、日本語にならないフランス語特有のレトリックや言い回しに満ちていたとのことです。また読み手にとっても物語全体の構成も登場人物(本の扉の裏には「主な登場人物」の紹介がある。)も複雑で、「リンさんの小さな子」と比べますと、重苦しくて難解な印象がありますが、この二つの作品の根底にあるテーマは、おそらく同質ではないかと思うのです。「リンさんの小さな子」が子供への伝言であるならば、この「灰色の魂」は大人の読者への伝言であるように思えます。

 この小説は一九一四年から一九一八年の間にあった戦争の時代が背景となって、その時代に起きたさまざまな出来事を、「私」が回想するかたちで書かれています。舞台となっているフランスの小さな町は、すぐ近くまでが戦場でありながら、軍需工場で町の経済は支えられていて、かろうじて戦場とはならなかった町でした。しかし、町の病院は次第に傷病兵にあふれ、主要な道路は軍需優先と化してゆくなかで、人々はさまざまな表情を見せることになります。

 検察官、判事、警官、居酒屋の家族と小さな美しい娘、小学校教師、獣皮商人、皮職人、兵士、神父、尼僧、医師、看護婦、とても語りきれない。どう語ればいいのだろう?「戦争」というものがもたらす最も根源的な不幸は、人々が「いのちの重さ」のはかり方を際限もなく狂わせてゆくことではないのだろうか?
 またこのような時代の人々の混乱は、兵士であれ、殺人者であれ、普通の市民であれ、権力者であれ、同じようであり、同じではない。権力者側の人間はいつでもぬくぬくと生き残れるという落差構造が必ずあるということだとも言えるだろうか?

 そしてこの物語の語り手である「私」と最もこの物語に登場する検察官の「ピエール=アンジュ・デスティナ」との共通項は、若いままの愛する伴侶を失ったことによって、生涯に渡って大きな心の暗部を抱いていたことにあるようだ。

『劇の他の場面がいかに美しくても、最後は血なまぐさい。ついには頭から土をかぶせられ、それで永遠におしまいである。・・・・・・パスカルのパンセより。』この言葉は「デスティナ」がその本に傍線を引いた部分だ。何度も読み返された本のようだ。またこの物語の語り手である「私」は、このように記述する。『人はひとつの国に暮せるように、悔恨のなかで生きられるものだということだ。』最後にこの物語が「私」の重大な罪の告白に至るまでの、永い道のりであったことに気付かされることになる。

 (二〇〇四年・みすず書房刊・高橋啓訳)
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