Aug 30, 2006

博士の愛した数式  小川洋子

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 映画を観た後で、原作にあたるという体験はひさしぶりなことだった。困るのは小説のなかの登場人物と映画の配役とが奇妙なかたちでダブったり、ブレたりすることだ。それによってなかなか人物像が結べないままに読み終えたという感はわずかにあります。  しかし、まず言っておきたいことは、「映画」と「原作」はまったく別物だということです。「原作」が読者のなかで一人歩きはじめるように、「映画」も同じことではないのかな?その「原作」と「映画」との「ズレ」を、わたくしはここで指摘するつもりはまったくないので、今回は「原作」についてのみ書いてゆきます。

 ある事故によって、記憶が八十分しか持たないという優れた老数学博士は、記憶からこぼれることのなかった美しい数式にあてはめて、日々を生きている。博士の汚れのない人格はこの数式が見事に浮き彫りにしてゆく。その博士に関わることになった家政婦とその息子「√」、同じ敷地内に住む義理の姉(博士が唯一愛した女性。同じ事故に遭遇して、足が少しだけ不自由です。)たちは、たとえようもない美しい心の経験をすることになる。読む者にとってもそれは同じ経験を共有することになる。

『瞬く星を結んで夜空に星座を描くように、博士の書いた数字と、私の書いた数字が、淀みない一つの流れとなって巡っている様子を目で追い掛けていた。』

 『私はページを撫でた。博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが連なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下がっていた。私は一段一段、鎖を降りてゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くなどない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを備えていると、よく知っているから。』

 『私は神様の手帳の重厚さ、創造主のレース編みの精巧さを思った。どんなに懸命に一日一日たどっていても、ほんの一瞬油断しただけで、次に進むべき手掛かりを見失ってしまう。ゴールだと歓喜した途端、更に複雑な模様が出現する。
 博士だっていくつかの、レースの切れ端を手にしたに違いない。そこにはどんな美しい模様が透けて見えるのだろう。博士の記憶に今もそれが刻み込まれていますようにと、私は祈った。』


 これらはすべて家政婦の「私」の独白です。十歳の息子とともに、博士との人生における偶然の出会いがもたらしたものの豊かさがここに表れていると思いました。

 この小説を書くにあたり、小川洋子は数学者藤原正彦と対談をしているようです。小説のあとに藤原正彦の書いた「解説」から、それがわかりますが、小川洋子は執筆経過報告も藤原にしていたようです。しーかーしー。この数学者の「解説」が美しくないのは何故か?

 (新潮文庫・平成十八年八月・十八刷)
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Aug 26, 2006

おとこ坂 おんな坂   阿刀田高

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 この著書は十二話からなる短編集です。毎日新聞日曜版に二〇〇五年四月から二〇〇六年三月まで、五十回に渡って連載されたもののようです。新聞連載という「拘束感」なのだろうか。舞台となる土地は国内のさまざまな地方都市であり、一編づつに詩や小説、伝記などがさりげなくストーリーのなかに挿入されている。ストーリーも時折かすかな驚きをみせるものの、日常的なありふれた人間模様が描きだされている。薄味な短編小説集だ。
 しかし、この十二話に共通していることは、大袈裟ではないのだが、人間社会への静かな肯定、あるいは人間(または男女間)へのさりげない信頼のようなものがあるようだ。さらにそこには「いのち」へのささやかな希望や驚き、「運命」と「人生」とのやさしい調和、というものなどが、常にストーリーという川の川底に流れているということだろう。

 第七話「生まれ変わり」が、上記のわたくしの感想を集約されたもののように思える。間もなく三十歳になる女性画家が、才能の限界を見定めて、タブローからイラストへの転向を考え出す。しかし彼女の幼いときからの絵の才能を見守っていた叔父は、彼女の誕生日と同じ日に、二十三歳で死んだという大叔父はかなり才能を認められていた画家だったので、その「生まれ変わり」だと言うのだった。
 「遠野物語」には柳田国男を蔭で支えて、物語の蒐集に努めた地元の佐々木鏡石がいたように、人生には大きな達成と共に、隣合わせの目立たない達成がある。その鏡石の命日が誕生日だという、作家をあきらめ占い師になった男に出会う。占い師は街角のストーリー・テラーだ。彼は彼女にこのような示唆を与える。

 『人生はいろいろですよ。どんなに執念を燃やしても、できないことがある。願ったことのすぐ隣くらいのことができれば満足すべきでしょう。事実、満足できます。そこで充分に自分を燃焼させればいい。』

 (二〇〇六年・毎日新聞社刊)
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Aug 21, 2006

贈答の詩② 小川三郎詩集「永遠へと続く午後の直中」への挨拶詩

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 小川さんの詩作品はそれぞれがシュールな物語のワンシーンのようでした。あなたはその物語をみずからの歩幅で歩いてゆく。時には走る、時には落ちる。その言葉には「バネ」のようなものがあって、それは時には粗暴で、時にはやさしかった。
 さてさて批評を書けないわたくしは、この詩集の美味しい言葉の素材を頂いて、別のお料理をしてみましょう。「たべてくれるな」と呟いてももう遅いです(^^)。不出来ではございますが、どうぞめしあがれ。。。

【付記】この作品掲載については、小川三郎さんの許可を頂いております。


    二度とないものを

  あの女の胎内の児は
  どうやら翼があるらしい
  たまごの殻を破るのか
  暗い産道を潜りぬけるのか
  その双方の合意がないままに
  胎児はずっと不機嫌だった

   女が散漫な日々を過している家では
  百歳のおんなが死んだ
  枕辺に残された人形は不死
  限りあるものとそうでないものが
  古い家のすみずみまで
  強い糸で結ばれている

   季節は狂いなく進む
  男はまた一年の節々を丹念に死ぬ
  そして繰り返される
  彼岸花の野原のひろがり
  赤鬼の昼寝

  そうしてあの胎児は
  時を切り裂いて生まれてきたのだった
  永遠へと続く午後の直中へ
  飛ぶのか
  這うのか
  歩くのか?

  名付けてあげよう
  二度とないこの時間を生きるには
  愛するものから呼ばれるためには
  一つの名前が必要だ


  (二〇〇五年。思潮社刊)
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Aug 18, 2006

西の魔女が死んだ  梨木香歩

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 梨木香歩(一九五九年・鹿児島生まれ)、英国に留学、児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。この「西の魔女が死んだ」で日本児童文学者協会新人賞、新美南吉児童文学賞、小学館文学賞を受賞しているようだ。この他にも別の受賞作品を含めての作品がありますがそこは省きます。賞の価値はよくわかりませんが、注目を集めているらしいこの児童文学者「梨木香歩」に初めて触れたことになるのですが、とてもよい本、素直に「好きです。」と言えます。

 「西の魔女」とは登校拒否の中学生「まい」の英国人のおばあちゃんです。日本人であるおじいちゃんと結婚して日本に来たのです。「まい」のパパは単身赴任中、ママも仕事をしている。「まい」は一人っ子です。学校に行けなくなった「まい」はおばあちゃんの家で暮らすことになりました。そのおばあちゃんの家と広大な庭、現代社会から距離を置いた自然に即した暮らしぶりは、米国バーモント州で暮らす「ターシャ・テューダー」を思い出す。

Tasha-garden

 おばあちゃんは実は魔女だと言う。「まい」の心の立ち直りはその魔女修行にあるのだが、それは単に健康な規則正しい生活をして、からだを動かして働き、自立した考え方、他者を冒涜しない感性を内部に養うことだった。夜更かしだった「まい」におばあちゃんは、彼女のベッドの柱に「たまねぎ」を吊るして、おまじないを唱えるのだった。よく効いた。

   「ナイ、ナイ、スウィーティ」

 「まい」には幼い頃から抱えていた不安があった。それは何気ないパパの言葉に始まっていた。「死」についてパパは「最後の最後、何もない。」と言い、「まいが死んでも、生きている人たちは翌日から変わりない生活をするのか?」という問いかけにも、パパは無造作に「そうだよ。」と答える。

 かつて小さかったわたくしも、どんなに「死」がこわかったことか。その上、死んだら焼かれるという事実に出合った時には「死なない大人になるか?あるいは大人になるということは、死がこわいものでないと感じることなのか?」と考えて、とりあえず大人になるまでの時間の猶予に望みを託すしかなかった。
 それは、時を経てわたくしの子供の問題になった。近所の知りあいの赤ちゃんが死んだ。四歳の息子の友達の弟だったので、息子を連れて葬儀に参列して、小さな柩を見送った。その時の息子は「子供でも死ぬの?」とわたくしを見つめる。「あなたは死なない。」と小声で答えて繋いでいた手を黙って握りなおしただけだった。

 おばあちゃんは「まい」に肉体の「死」を超えた「魂」の不滅を教えるのだ。それを「まい」が本当に理解したのは、おばあちゃんとの生活に別れを告げて、パパの赴任先にママと共に移り住み、新しい学校でなんとか暮している時期に、おばあちゃんが突然亡くなった時だった。

   ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
   オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ


   「まい」は「アイ ノウ」と答えた。。。

 もう一編「渡りの一日」が収録されているが、それはおばあちゃんの教え通り生きている未来の「まい」の姿かもしれないが。省略。

 (二〇〇一年・新潮文庫)
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Aug 17, 2006

おとぎ話の忘れ物  小川洋子/文  樋上公実子/絵

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 この物語の舞台となるキャンディー屋さんの「スワンキャンディー〈湖の雫〉」は有名だが、もっと注目されていることはこの店の奥にある「忘れ物図書館」でした。ここには先々代の放蕩息子が世界中の「忘れ物保管所」から集めた、古びた原稿を立派な装丁でたった一冊づつの本にして置いてあるのでした。その本は今までの「おとぎ話」の外伝のような奇妙なお話になっていたのだった。パロディーと言ってもいいかもしれない。それはとりあえず四話ある。元になっているお話はどなたでもご存知でしょう。

 ずきん倶楽部
 少女がふとしたことから知り合った人は「ずきん倶楽部」の会長だった。訪問した家にはあらゆる種類の「ずきん」が所せましと置かれていた。その倶楽部会員の最大の催し物のずきん祭りで、会長が誇らしげに披露したものは、おおかみのお腹にいた時に赤ずきんちゃんが被っていたとされる代物だった。ずきんには鉤裂き、おおかみの胃液の匂い。うへ。。。

 アリスという名前
 アリスと名付けられた少女、アリスは「蟻巣」とも言える。父親はある時アリスに「蟻の巣セット」をプレゼントする。これはわたくしにも懐かしい遊びだ。「セット」などは勿論なかったが、土を入れた瓶の周りを黒い紙でくるみ、土の上にはお砂糖やキャンディーを置いて、数匹の蟻を入れて、ガーゼの蓋をする。やがて蟻は地下道を掘りはじめる。黒い紙をはずせば蟻の地下生活の断面を見ることができるのだった。
 しかしアリスの蟻は、ある日覗き込んだアリスの鼻に吸い込まれてしまう。蟻はアリスのからだの中に地下道をどんどん掘り進めてしまう。蟻の不思議な国。こわ。。。

 人魚宝石職人の一生
 実は男の人魚がいるのだが、彼等は海面から体を出すと死んでしまうので、見た者はいないという。彼は深海の宝石職人。愛する人魚は地上の王子に恋をして、声の代わりに足をもらって地上の女性となるが、悲恋に終わり自殺する。宝石職人はいのちをかけて首飾りを砂浜において死ぬ。王子の妃はそのあまりにも美しい首飾りを見つけて首に飾るが、それは徐々に妃の首を絞めあげて。。。ううう。

 愛されすぎた白鳥
 深い森の入口に住む一人ぼっちの森番には、定期的に町から生活に必要なものが届けられる。その度に一つかみのキャンディーもあった。ある日一羽の美しい白鳥に出会った森番は、自分の一番の楽しみだったキャンディーを白鳥に与えた。毎日毎日。。。白鳥はキャンディの重みで湖底に沈み、一滴の雫となった。・・・・・・そしてお話は最初に戻る。ぐるぐるぐる。。。

 (二〇〇六年・集英社刊)
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Aug 15, 2006

贈答の詩① 足立和夫詩集『暗中』への挨拶詩

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 足立さんの詩集には魅力的な言葉が多々存在していました。その言葉は日常の実感から出発しながら、確かな詩語に手渡されていたと思います。そしてその詩語は読み手のわたくしに正確な重さを持って届けられました。わたくしは詩集評は書けないのですが、この詩集には、なにかを送りたかった。そんな思いからこの「挨拶詩」を書いてみました。この詩のなかには足立さんの詩集『暗中』と『空気のなかの永遠は』にある魅力的な言葉をいっぱい紛れこませてあります。

 【付記】この作品掲載については、足立和夫さんの許可を頂いております。


  奇妙な孤独

   君のなかには時間と実感が混在していて
  そのまわりを静かな闇が包んでいる
  それはゆっくりと言葉になってゆく
  饒舌から沈黙へ
   あるいは沈黙から饒舌へ

  近づくと
  その闇はいつでも溶けそうなのに
  そこには昔の人たちの姿が立ち並び
  壁面のように君のまわりに立っているのだ
  どいてくれないか その闇の番兵たち

  わたくしたちは
  地下の喫茶店に下りてゆき
  地球の芯の真上に腰をおろして
  世界を草のように食みながら
  やさしい会話を交わすことができる

  一五〇年の勤務者と
  懐かしい暗黒の街へ出ると
  闇はわたくしたちの孤独を新しくして
  お酒を酌み交わすのだった
  乾杯!生きることはそれに集約されるね

  怜悧な星たち
  夜の地上はみだらな光を散りばめている
  てらてらした草は
  たえまなく生えてくる
  目的のない潔さ

  暗中のなかに見る永遠の帰宅の仮説
  わたくしたちは消えてゆきそうな素足から
  現実の靴を脱ぎすてて
  果てしのない独り言を
  睡魔が断つのを待っている


  (二〇〇六年。草原詩社発行・星雲社発売)
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Aug 12, 2006

幸福論  寺山修司

kaba←これはこの本のおまけの栞です(^^)。

 この本を読むきっかけは、鷲田清一の「死なないでいる理由」に多く引用されていたことによります。寺山修司(一九三五~一九八三年・昭和十年~昭和五八年)はご存知の通り、俳人、歌人、詩人、劇作家、映画監督、エッセイストであり、劇団「天井桟敷」の主宰者であり、座付き作者兼演出家兼プロデューサーと、四八年という短い生涯を駆け抜けた方です。この本の終章ではこう書かれている。これは文庫初版年から推察すると三十代なかばで書かれたものではないだろうか。

 『ところで、私は幸福である。幸福ではあるが、世界や現実を享受している訳ではない。むしろ「自己の存在を、その個別的な品性、志向、恣意に適合させ、自己の現在を享受しうる者の幸福」(ヘーゲル「歴史哲学講義」)の否定を通して、べつの快楽を創造することのなかに、新しい幸福論の時の回路を探りつづけているのだ、と言った方がよいかもしれない。』

 先に終章を書いてしまったが、はじめには従来のさまざまな「幸福論」は、ほとんど書物のなかで構築されている思想であるという主張。かの有名なお言葉「書を捨てよ、町へ出よう。」に裏打ちされた寺山の現実は、読書は「人生のなんらかの理由によって閉ざされている時の代償経験」あるいは「しばらく人生から、おりているときの愉しみ」だったと。そして「走りながら読む書物はないだろうか?」という寺山らしい発想が生まれたりもする。

 しかしながら、この「幸福論」も書物であり、論なのだ。という観点から「アランの幸福論などくそくらえ!」から出発して、寺山がこの書物のなかでエピソードとして取り上げているのは、通り魔的殺人者、監獄の中の人々、ラーメン屋の親父、サラリーマン、場末で性を売る女性たち、障害者、不美人、競馬場の男たちなどなどの姿であり、あるいはその時代の映画(古い女優の名前が出てきてなつかしい。。)、歌謡曲の一節などなのだった。あくまでも人間の当たり前の人生(だからこそ個々には稀有でもある。)にあたりながら寺山は書き進めている。走るように。。。あるいはマイクをつきつけるように。

 また、歴史、経済、政治、性、愛、恋、家族などを通しても考察しているのだが、結論などあろうはずはない。寺山は「第二の幸福論」を書くためにこれを書いたかのようだ。しかし「第二」は書かれたのだろうか?わたくしにはわからない。最後に一番気にいった寺山修司の一節を記して終わりとします。

 『白雪姫のおかあさんが、鏡を見ながら「この世で一番きれいな人は誰ですか?」と訊ねるような美しいものへのあこがれが、どのように幸福を汚してゆくかは、七人の小人でなくても知っている。』

 (昭和四八年初版、平成十七年改版初版、平成十八年改版再版・角川文庫)
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Aug 09, 2006

ゲド戦記 Ⅰ 影との戦い  アーシュラー・K・ル=グウィン

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 「ゲド戦記」がアニメ化されて、すでに上映されている。これについていろいろな批判を目にするようになりましたので、気になって原作を改めて読むことにしてみました。これは子供を含めた読者を対象に書かれたファンタジーであり、「指輪物語」、「ナル二ア国物語」と共に三大ファンタジーと言われているらしい。
 読みながらどうしても、映画「ハリー・ポッターと賢者の石」と重なってしまうのは、未来の魔法使いの子供たちの心の成長の初期段階を描くという点に共通点があったからかもしれません。しかしあの映画もこの本も、実はこわくてこわくて仕方がなかったと告白しておきます。何故そんなにこわいのか?それはきっとファンタジーだからでしょう。わたくしは霧のような不安に追いかけらながら読んでいるのでした。その上眠れば、またこわい夢ばかりみるというわたくしの単純さに、ほとほとあきれ果てました。時としてファンタジーとは現実よりもこわい世界なのではないだろうか?それでも読んじゃったけど(^^)。。。

 舞台となるのは海に点在する「アースシー」という架空の多島界世界である。ハイタカ(後にゲド。)は少年期に伯母からわずかな魔法の力を授かり、それによって彼の住む島が他島からの襲撃から島民を守ったことから、魔法使いとしての旅と学びと冒険の物語は始まる。若さと傲慢さから、魔法使いとして禁じられている、自らの力を超えた魔法を使うことになって、心身を痛め、「影」に追われる恐怖の日々を迎えることとなる。海の旅が多いので不安はさらに深い。その課程でやがてゲドは気付く。

 『影から逃げるのをやめて、逆に影を追い始めた時、相手に対するおれのそういう気構えの変化が当の相手に姿形を与えたんだと思う。もっともそれからというもの、こちらの力も奪われなくなったがな。』

 人間が心にある「影」を迎えうつものは「光」。その双方を心にいだくことによって、ようやく「賢人」となれるという教訓なのであろう。たやすいことではないのだが。。。さてこれは五巻あるのだが、映画はそれをどこまで原作との折り合いをつけたのだろうか?という興味はおおいにある。この物語はアニメ映画監督ならば、制作意欲をかき立てさせられる魅力を充分にもっていると思う。さて、五巻まで読むとは宣言いたしませぬ(^^)。。。

 (一九七六年第一刷・一九八七年第十六刷・清水真砂子訳・岩波書店)
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Aug 01, 2006

死なないでいる理由  鷲田清一

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 この本を読むきっかけは、実はわたくしの詩集「砂嵐」を読んで下さった方のお薦めでした。この詩集に収録されている「冬の火事」のなかには・・・・・・

   いま なにごともないように
   ここにわたしが生きて在ることが
   深い罪であるような冬の午後

・・・・・・という一節があります。これは父母と独り身の姉とを相次いで看取った後に書いた作品でした。ここに書かれた「在る」という言葉に注目されたU氏は、この本のなかに書かれた「ある」と「いる」についての章を読んでみるようにと薦めてくださいました。「ある」は現代語のなかでは「物」について使われる言葉であり、古語では「生きている」「存在する」「住む」「暮らす」など広い意味を持っています。わたくしはどうやらこの「在る」を古語的に使っていたようです。

 この「ある」と「いる」との間にあるような現代の言葉の悲しみの距離について、筆者はひとつのエピソードを添えています。苦しんで産み出した赤子が死児だとわかった時に、医師は「ああ、死んでる。」と言った。その「看取る」や「看る」ではなく「見る」ことだけで終わった医師の言葉に、母親は激しい怒りを覚えて、医師の袖口をあらん限りの力でつかまえて「死んでるとはどういうことや。美智子さんにもそう言うんか。」と言ったそうです。

 医療機関における「いのち」の尊厳の問題はこれだけではないでしょう。筆者は別の章では、映画「ジョニーは戦場へ行った」にも触れています。戦場で両手両足を失い、胴体と半分壊れてしまった頭部だけとなったジョニーを、医師団は格好の生きる医療実験材料としたのです。ジョニーに感情があることに気付いた看護婦と、唯一動くことの出来る首を動かして頭部で枕を打ってモールス信号で語るジョニーとの心の交流は、やがてジョニーの「殺してほしい」という願いになるのですが、医師団は看護婦の自殺幇助を退けて、ジョニーはたった一人の心の交流者を失い、また医療実験材料となってしまうのでした。

 人が生きるということ(つまり、死なずにいるということ)の意味について、筆者は医療現場だけではなくあらゆる方向から文献やエピソードを交えながら考察しています。寺山修司の「幸福論」が多く登場することも興味深いことでした。
 人が生きなくてはならないという切実な理由を見失ったかに見える現代社会においては、その「見失った」ということが切実な理由になってしまったかに見えます。それはまだたくさんの未来を抱えている若者にも、人生の大方の役割を終えた大人にも同質のものとしてあるように思えてなりません。人々は生きる意味に渇いているということでしょうか?その意味を問えば「喪失」が応えてくるように思えてなりません。

 逆に「何故、人を殺してはいけないのか?」と一個人が問えば、大方の人間は怒りをあらわにすることだろう。ここでは人間の永い歴史は「戦争」という殺戮の歴史だったこと、「殺人」が「正義」だったことすらあったのだということは忘れられているのだ。「生きる理由」ということと同時に「殺してはいけない確かな理由」も問いなおさなくてはならないのでしょう。このような問いかけも答えもあまりにも寂しいものだ。この寂しさからの救済のように、鷲田清一はこう書いている。

 『こぼしたミルクを拭ってもらい、便で汚れた肛門をふいてもらい、顎や脇の下、指や脚のあいだを丹念に洗ってもらった経験・・・・・・。そういう「存在の世話」を、いかなる条件も保留もつけずにしてもらった経験が、将来じぶんがどれほど他人を憎むことになろうとも、最後のぎりぎりのところでひとへの〈信頼〉を失わないでいさせてくれる。そういう人生への肯定感がなければ、ひとは苦しみが堆積するなかで、最終的に、死なないでいる理由をもちえないだろうとおもわれる。』

 もう、ここだけ読めばいい、とすら思った。学者さんはあらゆる文献やエピソードにあたり、たくさんのことを語って下さいましたが、この珠玉のような文節がこぼれおちた瞬間にすべての知識は息をのんで姿をひそめたように思えてなりません。生意気を申し上げてすみませぬ。

 (二〇〇二年・小学館刊)
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