Mar 29, 2006

小熊秀雄童話集

oguma

 小熊秀雄は一九〇一年(明治三十四年)北海道小樽に生れる。二十歳の徴兵検査の折に、母マツの私生児だったことがわかる。養鶏場番人、炭焼き手伝い、鰊漁場労働、職工、伐木人夫、呉服店員などさまざまな仕事についていたが、一九二二年文才を認められて旭川新聞社の社会部記者となり、その後文芸欄を担当し、詩、童話、美術作品などを発表する。肺結核のため一九四〇年に夭逝。

 これは十八話からなる童話集です。登場するのは人間だけではなく、家畜や狼、魚や花や野菜など、さまざまな生き物に託されて、短いお話は展開されています。これらの童話の背景には、小熊自身が私生児だったこと、さまざまな過酷な職業体験、北海道という土地の特性、貧しかったことへの哀しみと、それを言葉の力でなぐさめようとする想いと、貧しき者からの鋭い社会批判があるように思われました。

 これに加えて、二〇〇四年、「池袋モンパルナス 小熊秀雄と画家たちの青春」展における、野見山暁治と窪島誠一郎の対談が収められています。このお二人は「無言館」の活動によって「菊池寛賞」を共に受賞されています。「池袋モンパルナス」とは、小熊秀雄の詩のタイトルから生れた言葉でしょう。

   池袋モンパルナスに夜が来た
   学生、無頼漢、芸術家が街に出る

 この対談のなかで、小熊秀雄の絵の特徴にふれていますが、小熊が記者時代にはカメラがなかったので、写真の代わりにスケッチをした。それが彼の絵画の出発点だったという。「記憶を記録する。」ことが小熊の絵画だったと。。。これは童話のなかにも息づいているように思えてならない。

(二〇〇六年・清流出版刊)
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Mar 28, 2006

ナルニア国物語・第一章「ライオンと魔女」

narnia

原作 C・S・ルイス  監督・製作総指揮・脚本 アンドリュー・アダムソン

 ルイスのこの物語は七章からなるもので、今回映画化されたものはその第一章です。時代背景は第二次大戦初期のイギリス。ロンドンの空襲を逃れて、ペベンシー家の四人兄妹(長男ピーター、長女スーザン、次男エドマンド、次女ルーシー)が親元を離れて、田舎に住むカーク教授の屋敷に疎開をすることから、この物語は始まる。
 教授の屋敷は古色蒼然として広く、子供たちのかくれんぼには最適な環境であった。淋しがっている末っ子のルーシーのために、兄と姉たちはかくれんぼをすることになる。ルーシーは誰もいない部屋にある大きな洋服ダンスのなかにかくれる。ルーシーはそこから雪の降る「ナルニア国」へ訪れることになる。

 「ナルニア国」の住人は、魔女以外人間の姿をした者はいないが、ルーシーとの会話はすべて可能だった。神話に登場するさまざまな神々の姿に似ていたり、ライオン、ビーバー、狐など獣の姿そのものであったりする。住居はピーター・ラビット風であったり、ネィティヴ・アメリカンのテント、あるいはモンゴルのパオを模したものであったりして、いかにも「どこでもない場所」を象徴しているかのようだった。
 こんなお話を誰が信じるだろうか?しかし、四人一緒に「ナルニア国」へ行くことはすぐに実現してしまった。ナルニア国は、氷の城に住む冷酷な「白い魔女」のために長い間冬の季節ばかりが続き、ナルニア国の人々は「アスラン王」の帰還を待ち、語りつがれた「預言」に希望を託していたのだった。その予言とは。。。

   二人の「アダムの息子」と二人の「イヴの娘」が
   「ケア・バラベル城の四つの王座」を満たす時
   白い魔女の支配は終わる・・・

 四人の兄妹はその予言を託された者として人々に迎えられ、さらにライオンの「アスラン王」に面会。武器や魔法の薬などを与えられ、ナルニア国を率いることになり、魔女との命をかけた戦闘まで突入してゆくが、その戦いのなかで兄妹たちは成長してゆく。戦闘は勝利する。ナルニア国に春が来る。
 「ケア・バラベル城の四つの王座」は、「英雄王・ピーター」「優しの君・スーザン」「正義王・エドマンド」「頼もしの君・ルーシー」によって満たされた。その後平和は続き、ナルニア国では十年ほどの時間が経ち、四人はともに大人になるが、ふとしたことからまた洋服タンスを抜けて屋敷の部屋に戻る。四人はもとの時間に帰ってきたのだった。現実では戦争はまだ終わらず、疎開生活も続く。この世の平和の預言者は不在のままだった。教授だけは子供たちのファンタジー体験をわかっているのだった。この教授はルイスなのかしらん?

 ファンタジー映画は時代とともに、CG技術の向上によって画像の作り物臭さが排除されてきている。この進歩には目を見張るものがある。(・・・と言ってもわたしはそれほどの映画通ではないのだが。。。)ウォルト・ディズニー社の製作も費用も膨大なものであろうことは想像できる。
 しかし、どうしてもわたくしの気持が晴れないのは、四人の兄妹は現実においても、ナルニア国においても、「戦争」に巻き込まれたことだった。現実においては無力な四人だが、ナルニア国においては平和を導いた勇者であったと理解すべきなのだろうか?まだ物語ははじまったばかり、C・S・ルイスのメッセージはこれで終わりではないのだろう。。。
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Mar 26, 2006

春をお送りいたします。

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近所にあるささやかな桜並木のうちの一本が開花。
多分この木が一番日当たりのよい位置にあると思われます。

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Mar 25, 2006

人形展と映画鑑賞の一日

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 二十四日午後、銀座松屋にて、人形作家「与勇輝・あたえゆうき」の作品を観ました。中央線、青梅線、さらに山手線の事故が重なり、有楽町駅前のコーヒー・ショップで同行者を待つこと四十分。「小 熊秀雄童話集」を読みながら、快晴に恵まれた今日を喜んでいたのに・・・などとつぶやきながら。。。さて無事同行者到着。映画の上映時間を一回分遅らせることにして、まずは人形展へ。

 松屋八階の展示会場までの階段は一階から、長蛇の二列。。。あっけにとられるが「今日は待つ日。」といささか寛大(?)な境地になっていましたが、人形展は待った甲斐はありました。作品は小津安二郎の映画の登場人物を中心として、さまざまな子供たちの情景、妖精たちなど、目を見張るものばかりでした。どれを観ても微笑みがこぼれる。。。

 さて、地下鉄で新宿へ。東口側へ出るはずが西口側へ出てしまった。。。「まぁ。こんな日もあるさ。」「うん。そうね。」寛大。寛大(^^)。。。「新宿ピカデリー」の「ナルニア国物語」の上映時 間を確認してから、コーヒー・タイム。この映画の予備知識はわたくしは皆無であったため、簡単に同行者の解説を聞く。

 映画も予想以上に楽しかった。さまざまな矛盾点もあるのだが、今は整理できない。いずれこの感想はゆっくりと書くことにする。かくして新宿の夜は更けて、今度は帰路のわたくしの乗った電車が事故のために遅れる。乗り継ぐはずだった最寄駅までの電車の最終には間に合わず、乗った電車は最寄り駅二つ前の駅でアウト。「まぁ。こんな日もある。。。」長い列の後に並んでタクシーを待つ。タクシー代は結構多額。日付はもうとっくに二十五日になっていた。でも楽しい時間だった(^^)。
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Mar 23, 2006

かもめ食堂  群ようこ



 読後にほのぼのと、またさわやかな気分になる本に久しぶりに出会った。たまたま映画「アメリカ・家族のいる風景」を観た折に、この本の映画化されたものの予告編を観たことがきっかけとなって、この本を読む羽目に(?)なりました。映画はまだ観ていませんが、この本は映画のために書き下ろされたもののようです。

 さて、これは三十八歳、四十歳ちょっと、五十歳の三人の独身女性が、日本を出てたまたまフィンランドのヘルシンキで出会うお話です。そこで主人公サチエの経営していた「かもめ食堂」が物語の中心の場となります。物語の登場順に女性の年齢が高くなるのでした(^^)。

 サチエ(三十八歳)は小柄だが武道家の父の指導のもとで育ち、武道の心得は相当なものである。料理には関心が深く、母亡き後は彼女はさらに料理の研究に熱心だった。そして自分らしい食堂経営を求めて、父に別れを告げ、宝くじで当たった大金を元に、ヘルシンキへ向う。地元では東洋人の小柄なサチエは子供のように見えたらしく、「かもめ食堂」は「こども食堂」と呼ばれていた。(小さいから、どーした?・・・・・・独り言です。)
 サエキミドリ(四十歳ちょっと)は、目をつぶってたまたま地図に指先が落ちたところがヘルシンキだったという理由で、この土地を訪れる。サチエとは書店で出会って、アパートに同居して店を手伝うことになる。
 シンドウマサコ(五十歳)は両親の死後に、両親の介護中にたまたまテレビで見たヘルシンキに好感を持っていたという理由で、この土地に現れ、「かもめ食堂」を訪れる。「かもめ食堂」に働くのは三人となり、店はゆっくりとおだやかに地元に根をおろしてゆく。

 この三人の女性の日本における生活が、貧しかったわけでもなく、とりたてて不幸であったわけでもない。その背後にあったものは、老親問題、あるいは死など、どこにでもみられるようなものだ。その時期に、自分探し(・・・というほど大袈裟でもなく。)のために、くじを引くように「ヘルシンキ」を訪れて、偶然に三人は出会った。はっきりとした意志やら目的やらがあったのはサチコだけだったろう。これはちょっと歳をくった女性たちの素敵なメルヘンではないだろうか?

(二〇〇六年・幻冬社刊)
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Mar 22, 2006

対詩 詩と生活  小池昌代&四元康祐

taisi

 わたくしは詩集の感想を書くことをみずからに禁じてきました。それは拙い詩の書き手でしかないわたくしに、必ずはね返ってくるものだと思いますし、元来とても苦手でした。そのわたしくしが「書きたい。」と思ってしまったのです。さて困ったことに。。。
 この対詩集について書く前に、この対詩の出発点となっているヴィスワヴァ・シンボルスカの詩「書く歓び・四元康祐訳」を紹介しておきます。この詩の存在は、シンボルスカ・ファンのわたくしとしてはとても大きな歓びでした。そのためにこの拙文を書いているのだとさえ思えます。四元康祐の翻訳の言葉もとてもうつくしいと思いました。

  書く歓び  ヴィスワヴァ・シンボルスカ(四元康祐訳)

  書かれた鹿はなぜ書かれた森を飛び跳ねてゆくのか
  その柔らかな鼻先を複写する泉の表面から
  書かれた水を飲むためだろうか
  なぜ頭をもたげるのだろう なにか聞こえるのか
  真実から借りたしなやかな四肢に支えられて
  鹿は耳をそばだてる――私の指の下で
  しずけさ その一語すらが頁を震わせる
  「森」という言葉から生えた
  枝をかき分けて

  白い頁に跳びかからんと、待ち伏せるのは
  ゴロツキの文字どもだ
  その文節の爪先のなんと従属なこと
  鹿はもう逃げられまい

  インクの一滴毎に大勢の狩人たち
  細めた目で遠くを見つめ
  いつでも傾いたペン先に群がる準備を整え
  鹿を取り巻き ゆっくりと銃口を向ける

  今起こっていることが本当だと思い込んでいるのだ
  白地に黒の、別の法則がここを支配している
  私が命ずる限り瞳はきらめき続けるだろう
  それを永遠のかけらに砕くことも私の気持次第だ
  静止した弾丸を空中に散りばめて
  私が口を開かない限りなにひとつ起こらない
  葉っぱ一枚が落ちるのにも たたずむ鹿の小さな蹄の下で
  草の葉一枚が折れ曲がるのにも私の祝福がいる

  私が総ての運命を支配する世界が
  存在するということなのか
  私が記号で束ねる時間が
  私の意のままに存在は不朽と化すのか
  書く歓び
  とじこめてしまう力
  いつか死ぬ一本の手の復讐

 この一編の詩(ポーランド語から英訳されたもの。)を翻訳した四元康祐が小池昌代に渡し、その詩を読んだ後から小池昌代の一編目の詩「森を横切って」は始まる。この一編目では小池昌代は「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」を超えることはできない。この詩の全体像に言葉は届いていない。ここから交わされはじめる二人の対詩は手紙のように長く、シンボルスカの詩に寄り添っているわけではないようだ。ただタイトルの示した「書く歓び」は二人のなかに続いているようだ。また「対詩」を書く時には必ず一人の読み手が待っているという至福もあるのではないだろうか。

 しかしシンボルスカはいつでも多くの読み手に向って詩を書き、言葉に変換することは不可能とさえ思えることに、やわらかな、そして強い言葉を与えて「詩の言葉の力」を信じた稀有な詩人だと思います。ポーランドという風土はそうした言葉を育てるところでもあるのかもしれません。

 さて、詩集の中間部に置かれた小池昌代の「動く境界」と四元康祐の「ハリネズミ」の二編がこの対詩集「詩と生活」というタイトルの意味にようやく到達していて、「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」の一編の詩から共に自立した(あるいは離れてしまった。)かに見えます。さらに生活者としての男女の詩人の、それぞれの個性と差異、幼い者へのいのちの伝言の方法が浮き彫りとなってくる。その二編を並べてみましょう。

  毛布をかけると 子供ははぐ
  どんな寒い夜も
  かけると はぎ かけなおせば はぐ
  それでそこには
  湧き水のような
  やわらかな むきめ があるのだとわかる
  世界は むかしから きりもなく
  そうして 内側から むかれ続けてきた
  (後略)   (小池昌代・うごく境界)

  (前略)
  黙ってハリネズミを葉陰に置こうとすると
  娘は同じことをなんども叫びながら私の背を拳で叩いた
  こいつはいま、独りで一所懸命死のうとしているんだから、その
  邪魔をするな、そう云ったのが自分ではない父の
  そのまた見知らぬ父のように聞こえた
  (後略)   (四元康祐・ハリネズミ)

 眠っている子供が繰り返し毛布をはぐ。子供の体内からは絶えず「湧き水のようなむきめ」が生れるからだという。これは子供のいのちが産まれた時からいだいている、絶えることのない成長への驚きであり、汗ばむいのちへの全肯定だと思えるのだ。これが生活者あるいは母としての詩人の視線だ。
 しかし、父親であり、生活者である四元康祐の詩人の目はすでに娘に「死」を伝えようとしているかのようだ。庭の隅でみつけた瀕死のハリネズミを娘はなんとか助けたいと願うのに、「独りで一所懸命死のうとしているんだから」と父親は言う。その夜は冷たい雨が降って、翌日にはハリネズミは死んで、庭に穴を掘り埋葬することになったが、娘はその埋葬の瞬間にも「動いた。」と言うのだが、その後で娘はようやく「いのち」の断念をするのだった。
 また四元康祐の詩「築地」では、生活者、父として、詩人としてこのようにも書いている。

  命を殺めたり育んだりして金を得たことが私にはついになかった

  正業になり得るだろうか たとえなったとしてもそんな詩も
  タダで書かれた詩もおなじ詩の名で呼べるのかそれとも似て非――
  「邪魔だよ」

 「築地」とは、活きた魚が血まみれに解体される場所、育てられ、あるいは捕獲、採取されたさまざまな山海のいのちが売り買いされる場所、仮説も虚構もない場所をさまよいながら、一人の詩人はこんなつぶやきももらすのだった。さまよう詩人は「築地」で忙しく立ち働く男にふいに「邪魔だよ」と言われる。
 詩は大切なものだ。しかしいのちと引き換えるほどに大切なものではない。詩を思うこともなく生涯をいきる生活者の方がはるかに多い世界で、わたくしたちは何故詩を書くのだろうか?そして詩を書く者が生活者ではなかったこともない。それがこの対詩集全体の底に流れてるテーマでしょう。

 【付記】

 さらにこれを書いたもう一つの理由は、わたくしの「相聞」や「連詩」への深い興味がこれを書かせているのだと思います。わたくしが一編の詩に読み手として向き合う時、その詩が大変魅力的であればあるほど、わたくしはいつの間にか、その一編に応える書き手となっていて、感想は無意識に排除されているということだったと思います。

  ホラ。やっぱり感想は書けなかったではないか。
  耳元で誰かが囁いている(^^)。。。

(二〇〇五年・思潮社刊)
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Mar 17, 2006

言葉のこわさなど。。。

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 すでに社会人になっている愛娘から、最近になってわたしの記憶にはない思いがけないことを聞かされて、ちょっと驚いてしまった。娘は小学生の時に学校で「戦争」について学んだけれど、「ただただ、こわいだけだった。」と言う。どうやら小学校が招いた「戦争の語り部」の話を聞いてきたらしい。そのこわさから救われたくて、帰宅後の娘は母親のわたしに「もう、戦争は起きないのでしょ?」と質問したらしい。その時わたしは娘に「戦争がなくなることはない。」と答えたらしい。つまりわたしはその時の娘の幼い恐怖感を救ってやることができなかったのです。

 それから何年娘はその恐さを抱いていたのだろうか?娘は「ただただ、わたしにだけはそんなこわいことは起こらないでください。」と願っていたという。張り倒してやりたいようなエゴイズムであるが、幼い娘にとっては、それが精一杯の忍耐であったのだろう。けれどもその質問にわたしは「もう戦争は起こりませんよ。安心しなさい。」などという嘘を言えるわけがなかったではないか。
 ともかく、娘はその恐怖を超えて無事に大人になった。「戦争」というものの実態は、新聞もテレビもネットも書物もいやというほどに情報を提供してくれるので、今や娘の方が知識としては上回ったことだろう。わたしの「戦争」の知識の底流は父母や祖父母の話なのだから、比べようはないが。

   戦争の記憶が遠ざかるとき、
   戦争がまた
   私たちに近づく。
   そうでなければ良い。 (石垣りん「弔辞」より)


 上記のようなことを書いていたが、わたしは今でも不用意に言葉を落としてしまって、誰かを傷つけていることはあるのだろう。どうしても拭いきれない不条理に陥ると、言ってはいけないことを口走るのかもしれない。昨夜から春嵐が続いている。
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Mar 11, 2006

北原白秋  三木卓

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  大きなる手があらはれて昼深し上から卵つかみけるかも   (雲母集より)

 この評伝は「短歌研究」に四十一回の長期連載という経緯があり、二十五年間筑摩書房が三木卓氏の原稿完成を待ったという経緯もある。それほどに北原白秋のあの時代を背負った仕事は膨大なものであり、その生き方も熱く、多彩なものであったと、わたくしはあらためてそれに気付くのだった。そしてこの本のなかにおける三木卓の白秋解釈あるいは批判の言葉には時々キラリと光るものがあって、心が躍った。

 この本を読んでいる時期に、わたしは幾人かの若い詩人に出会う機会があった。彼等は咽喉元から自然に発せられる音や、指先から流れ出る言葉によって詩作しているかのように見える。若い感性はそれを力とできるのだろう。その「若さ」がどこまで持ちこたえられるかと思う時、北原白秋の貪欲とさえ思える「言葉への執着」「愛着」というものが、時を超えてわたしに迫ってきたように思うのだった。若い彼等の作品が百年の時を超えてもなお、白秋の詩、短歌、童謡のように、人々がふいに口ずさむような一節を残せるのだろうか。(あ。わたくしの詩は、死とともに柩に納めてもらうつもりです。おかまいなく(^^)。。。)

 三木卓が最終章で書いているように、「夭折する詩人は短楽章だけを作って終わるが、白秋は幾人もの詩人の仕事を多楽章にわたってしなければならなかった。」のだろう。その多岐にわたる仕事量の膨大さを支え続けたものはなんだったのだろう?
 そのはじめにあったものは、白秋の潤沢な少年時代ではないだろうか?それが天性の白秋の才能をゆたかに実らせた土壌であったことは認めざるをえない。では「貧しさ」はどうか?という反論ももちろんあるだろうが、あえて極論を言えば、潤沢が許された者はそれを存分に享受すべきだ。それは三木卓の言葉を借りれば「作品は生身を代償にして成立する。どのような作家でもこの条件を逃れることはできない。」「最後まで彼を捉えて離さなかった心の飢えの深さ(あるいは自己消耗への強烈な欲望)の結果」という真摯な心の作業を白秋が生涯をかけて継続したということで、充分に相殺されると思うからだ。
 ・・・・・・と言っても白秋が純粋に文学に向き合ったということだけではない。彼はその時代(与謝野鉄幹、晶子の後を歩き、萩原朔太郎の先を生きた。)の見事なパフォーマーであったし、高名ともなれば政治的野心も働いたし、「戦争」への向き合い方には三木卓の厳しい批判もある。さらに自らの老いとの哀しい葛藤もあった。

 さて、わたくしは一応女性でありますので、白秋の三人の女性(他にもいるのでしょうが。。。)にはおおいに興味がありました。まず一番有名(?)な女性問題は、人妻「俊子」との恋愛によって姦通罪で投獄されたことでしょう。出獄後にも共に暮したということがいかにも白秋らしい生き方だったと思うが、破局はやはり訪れた。

  わが睾丸つよくつかまば死ぬべきか訊けば心がこけ笑ひする

  罪びとは罪びとゆゑになほいとしかなしいぢらしあきらめきれず

  監獄(ひとや)いでぬ走れ人力車(じんりき)よ走れ街にまんまろなお月さまがあがる

 次に登場するのは「章子」である。ううむ「あきこ」はいい。「晶子」はわたくしにとって最高と思える女性であるし、「昭子」はわたくしである。なかなかよろしい(^^)。すみませぬ。お話がすべりましたが「章子」は白秋の文学的理解者として結婚。病弱であった。やがて彼女も白秋の元を去る。ここまでの白秋は「結婚生活」というものと「文学」との重なりのなかで生きたと思える。文学的理解者が必ずしも文学者のよき伴侶ではないことの顕著な例と言えるでしょう。

 三人目の妻として「菊子」が登場する。二人の子供を授かり、どうやら安定した平凡な家庭生活を得たようだが、家族の絆はいつでも人間という不完全ないきものが作っているものである以上、あやうく成立していることは言うまでもないことだ。それを支えたのは菊子だろうとおもいます。

 この著書は北原白秋と三木卓とが共に抱え続けている、物書きの茫漠とした宿痾のようなものの響き合いではないだろうか?それがこの著書全体をより高く昇華させたのではないかと思われます。三木の少年期にはすでに白秋はこの世にはいない。友人、弟子、家族というような「しがらみ」のない距離感が、三木のペンを自由に走らせて、二十五年をかけて書き上げた労作である。三木卓に「ありがとう。」と申し上げたいだけで、実はわたくしごときが、他愛のないことを書くことは恐れ多いのである。

(二〇〇五年・筑摩書房刊)
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Mar 10, 2006

絵本詩集 ららばい

akiko-mado

 「絵本詩集 ららばい」という新しいページを作りました。トップページの「詩の部屋」からお入り下さい。挿絵は桐田真輔さんのホームページ「KIKIHOUSE」で描かれたものをお借りしています。清水鱗造さん、桐田さん、ありがとうございました。

 あ。上の挿絵も桐田さんが描かれたものです。かさねがさね。。。
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Mar 07, 2006

死者の書

asibi

  監督 川本喜八郎(人形作家)    原作 折口信夫

 した した した。。。
 こう こう こう。。。
  はた はた ゆら ゆら はたた。。。

 この物語は音楽のようだ。。。

 三月二日午後、岩波ホールにて、川本喜八郎監督による、人形アニメーション映画「死者の書」を観ることになって、何故か心をせかされる思いで、折口信夫の同名の原作を再読しました。これほどに映画を観る前に原作が気になったという経験はかつてなかったのだが。。。映画は、原作を少々省いた部分があったが、原作から想像された「大津皇子」の幻想の姿、「藤原南家郎女」の美しい現実の女性像、また全体の物語は原作に忠実であろうと作られたものであったと思う。

 この「死者の書」の物語の舞台は奈良時代の平城京。最も新しい文化であった仏教を軸にして、語り部による当麻寺を麓に抱いた二上山の伝説、その時代の富と権力の争い、疫病など・・・さまざまな要素が盛り込まれた物語であって、わたくしには、とても簡単に書き尽くせないと、すでにペンを投げかけている。。。

 大津皇子(天武天皇の皇子)は「磐余の池」にて非業の死を迫られたこと、その処刑の直前に、皇子に一目逢おうと駆けつけた「耳面刀自(みみものとじ)=藤原鎌足の女。不比等の妹。大友皇子の妃」の美しさのために、死者となってからも皇子の魂は鎮まることがなく、五十年後に彷徨い出ることになる。その魂に呼ばれたのが、「藤原南家郎女(ふじわらなんけいらつめ)=藤原武智麻呂(むちまろ・不比等の子)の子の豊成の娘」であった。この物語の主軸は、清らかな生者の郎女による、死者大津皇子の「魂鎮め」であるだろう。そして民俗学者・歌人・詩人である折口信夫のあらゆる美的要素が凝縮された「書」であることも見逃すことはできないことだろうとおもわれます。

 この映画を観たこと、その原作を再読したこと、その季節はまさに「馬酔木」の花の咲き出す季節であったことも、ずっと忘れられない思い出になることだろう。語り部の歌の一部を引用しておきます。

   ひさかたの 天二上
   二上の陽面に、
   生ひをゝり 繁(し)み咲く
   馬酔木の にほへる子を
   我が 捉り兼ねて
   馬酔木の あしずりしつゝ
   吾はもよ偲ぶ。 藤原処女

【付記】

 ちょっと気持の負担の多い時期なので、書くことは先に延ばそうと考えましたが、湧き立っている今の気持を忘れないうちに、未消化ながら、とりあえず書いておくことにしました。 
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Mar 04, 2006

アメリカ・家族のいる風景

america

監督 ヴィム・ヴェンダース  原案・脚本・主演 サム・シェバード

 二月二七日午後、「シネスイッチ銀座」にて、桐田さんと一緒にこの映画を観ました。観終わった後で哀しくならなかったのは救いであった。ハッピー・エンドでない映画(本も。)は辛いのだ。
 「家族」とはなんだろう?この主人公のハワード・スペンスは、デビュー当時に、二人の恋人を捨てた西部劇俳優である。その二人にはそれぞれに息子と娘が産まれて、すでに若者になっている。ハワードには常に酒、ギャンブル、麻薬、女性問題とすさんだ生活が続いていたが、ある日突然にロケ先から姿を消して、三十年間会わなかった母親「ネバダ州エルコ在住」に会いに行き、その後にかつてデビュー映画の舞台となった街「モンタナ州ピュート」へ家族探しに行くことになる。

   同じ頃に、娘のスカイはまだ見ぬ父を、映画や雑誌、ネットで追いながら、自分との繋がりをいつもつかもうとしていたが、母親の死という不幸な出来事があり、母の遺骨を連れて母の思い出の街「モンタナ州ピュート」を訪れていた。

 息子アールとその母親ドリーンは共にその街で暮していたが、息子は父親を知らされていなかったので、「父の不在」という心の空白を埋めようがないまま、すさんだ生き方をしていた。突然、母親から本当の父親を知らされて、みずからの生き方が父親と同質の生き方だったことに気付き、彼はさらに混乱し、すさむことになる。
 ハワードはこの街で二人の子供と出会うわけだが、娘スカイの「静謐」と息子アールの「狂乱」が対照的に描かれている。これはとりもなおさず二人の母親のハワードへの「愛の姿勢」も浮き彫りにされることになる。そして、娘スカイがこのちりじりの家族を繋いでゆく天使だったと思われる。

 「家族」とはなんだろう?さまざまな愛の修復をしたり、あるいは連帯を強化したりしながら、家族の階段を一歩づつ登ってきた家族にだって「離散」や「崩壊」や「孤独」が待ち伏せしていることはあるえる。ハワードの家族のように「離散」や「崩壊」や癒しようもない「孤独」から、再出発を試みるという生き方もある。いずれにしても、それらは「こころの丹念な作業」の継続によるものであって、形骸だけでは成しえないことだ。ラストはハワードの子供たちが父親が残していった車(これはハワードの父のもの。)に乗って父親の戻っていった撮影現場へ向うシーンで終わる。このスカイブルーの車は三代に乗り継がれたことになる。ここから家族再生の長い旅がはじまるのだろう。。。

 この映画はアメリカで製作されたものであるが、監督はドイツ人であるとのこと。これはアメリカの「家族意識」への一つの問いかけとも言えるのではないだろうか?また、この映画の舞台となったアメリカ西部の広大な原野を監督は「空虚な場所」と名付けたが、地上に今もある広大な原野というものは「貧しい土地」であるというのがわたしの考え方である。


 【付記】

 今日は我が愚息の誕生日。雛祭りを避けて、四日にこの世に産まれた男の子である。偶然とはいえ、この日にこの映画の感想を書いた。ではお祝いの花などを。。

9mokuba

3
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