Jan 29, 2009

加山又造展

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 (夜桜:1998年)

 国立新美術館にて、加山又造展を観てまいりました。彼の絵の美しさはちょっと息をのむような思いがするものですが、実物を観ることができまして本当に幸せな時間でした。展示作品は108点でした。なんとも贅沢な時間だったような気がいたします。彼の絵を観る前に「日本画の歴史を見よ。」という声もどこぞから聴こえてきますが、まぁ、それはそれとして「加山又造」の絵に一目惚れしてしまったのですから、これはいたしかたないことでして、ごめんなさいね(^^)。それはそれとして、この美術展をどのように書いたらよいのやら……言葉が追いつきませぬ。。。

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 (月と駱駝・1957年)

 つまり「加山又造・1927年~2004年」は、「現代日本画家」を代表する一人ということです。京都西陣の衣装図案家の子として生まれ、東京美術学校卒業後は、「山本岳山」に師事、戦後まもなく創立された「創造美術・のちの新制作協会日本画部」に、西洋画の影響をうかがわせる絵画を発表して注目されました。
 しかし、光琳派日本画の古典、浮世絵、北宗山水画から学んだ水墨画などなど、日本美術の本来性に倣いながら、今日的な表現に挑戦した画家だと言えるでしょう。仕事は多岐に渡り、以下の展開となっていました。

第1章:動物たち、あるいは生きる悲しみ、様式化の試み
第2章:時間と空間を超えて――無限の宇宙を求めて
第3章:線描の裸婦たち――永遠のエロティシズム
第4章:花鳥画の世界――「いのち」のかたち
第5章:水墨画――色彩を超えた色
第6章:生活の中に生きる「美」

 「加山又造」が画家としてたくさんのお仕事をなさった時期に、ほとんど重なるようにわたくしは生きてきたのだという奇妙な実感がありました。展示された作品の制作年を確認しながら、「あ、この時娘は生まれたばかり・・・」あるいは「息子が歩き出した時・・・」また「あの仕事をしていた時・・・」「あの詩集を出した頃・・・」などと思いつつ、時間を重ね合わせながら観てまいりました。こんな思いにとらわれたのも不思議な気がしてなりません。
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Jan 25, 2009

グッバイ、レーニン!

good bye lenin

監督:ヴォルフガング・ベッカー
脚本:ベルント・リヒテンベルク&ヴォルフガング・ベッカー
音楽:ヤン・ティルセン
制作:2002年(2003年公開。ドイツ映画)


《キャスト》
アレクサンダー・ケルナー(アレックス):ダニエル・ブリュール
クリスティアーネ・ケルナー(アレックスの母):カトリーン・ザース
ララ(ソ連からの交換留学看護学生。アレックスの恋人):チュルパン・ハマートヴァ
アリアネ・ケルナー(アレックスの姉):チュルパン・ハマートヴァ
ローベルト・ケルナー(アレックスの父):ブルクハルト・クラウスナー

 東西ドイツ統合後に庶民の身に起こった家族劇の一例を描いた作品です。本国ドイツでドイツ歴代興行記録を更新したそうです。 また第53回(2003年)ベルリン国際映画祭の最優秀ヨーロッパ映画賞(嘆きの天使賞)ほかドイツ内外の様々な映画賞を受賞しました。

 アレックスは幼少時代には宇宙飛行士に憬れ、卒業後は東ドイツでテレビ修理工として働いていましたが、ベルリンの壁崩壊で国営事業所の解体により失職。母親は小学校の教師(当然、教育内容が変わる)。アレックスの姉は学生結婚の末離婚したシングルマザー。大学で経済学を学んでいたが、ベルリンの壁崩壊後に中退しバーガーキングに勤務。東西ドイツ統合が市民レベルに及ぼした影響はおびただしいものだったのだ。

 東ドイツの首都東ベルリンに暮らす主人公のアレックスとその家族。父親のローベルトが西ドイツへ単独亡命し、母親は夫からの西側への亡命要望に応えないまま、熱烈な社会主義に傾倒していった。 そんな家庭環境の中、1989年10月7日(東ドイツの建国記念日)の夜にアレックスは家族に内緒で反体制デモに参加する。それを偶然通りがかった母親のクリスティアーネが目撃。強いショックから心臓発作を起こして倒れ、昏睡状態に陥る。

 彼女は二度と目覚めないと思われたが、8ヶ月後に病院で奇跡的に目を覚ます。しかし、その時にはすでにベルリンの壁は崩壊。「もう一度大きなショックを受ければ命の保障は無い。」とドクターから宣告されたアレックスは母の命を守るため東ドイツの社会主義体制が何一つ変わっていないかのように必死の細工を周到に行なう。

 しかし母親はもう余命がなかった。アレックスは西側にいる父親を呼んで、母親に会わせる。また、映画マニアの友人デニスの協力を得て、「資本主義に行き詰まった西ドイツを東ドイツが吸収合併する」という偽りのニュース報道の映像を作成する。既にララから密かに真実を知らされていたクリスティアーネは、息子のやさしい嘘に感謝しながら、永遠に目を閉じたのだった。
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Jan 22, 2009

にせもの美術史 トマス・ホーヴィング

翻訳:雨沢康

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(謎につつまれた、ラ・トゥールの「女占い師」)

 本書のサブタイトルは「鑑定家はいかにして贋作を見破ったか」と書かれています。「トマス・ホーヴィング」は1977年までの10年間ニューヨークの「メトロポリタン美術館」の館長を務めた人物であり、古今の贋作についての豊富な実体験を交えながら書かれたものです。前半では古代から現代までの贋作の美術品とそれにまつわるおびただしい数の人間たちのドラマです。後半は美術を学ぶ学生時代から始まる自伝のようになっています。

 千の芸術を知る者は、千の偽物を知っている  (ホラティウス・古代ローマの詩人)

 これは本書の扉に書かれた言葉です。贋作の歴史は美術の歴史とともに歩んできたといっても過言ではないでしょう。そして贋作はひとつの作品と考えることもできる。そしてまた欺くことを目的としたものとに流れはわかれているのでしょう。しかもこの贋作者たちの巧妙ともいえる企みは、高名な美術館や、国の文化庁のようなところまでが翻弄されたというのですから、それは「歴史的事件」でもあったでしょう。

 「トマス・ホーヴィング」は、館長時代にキュレーターに、美術品を新たに購入する際のチェックリストを15項目つくりましたが、そのなかの1項目は特に興味深い。それはこう書かれています。

 ★その作品がなんのために使われていたかを問え。
 かなり最近まで、美術品は実用的なものだった。たとえば、ある種の祭壇画は人々をペストから救うために描かれたものであり、絵の表面には信者のキスのあとが無数についていた。贋作者はそうした敬虔な行為を真似ることはできない。


 「トマス・ホーヴィング」は経験豊かな美術鑑定家であり、さらに大変に雄弁で機知に富んでいる方で、きりがないほどに、贋作問題のお話を抱えていらっしゃる方です。この一冊ではおそらく語り尽くしてはいないのではないでしょうか?感想を書くわたくしとて、この一冊について語ることは無理なようですので、これにて失礼いたします(^^)。

  (1999年・朝日新聞社刊)
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Jan 14, 2009

バティニョールおじさん

pati

監督:脚本:ジェラール・ジュニョ
制作:2002年

《キャスト》
バティニョールおじさん:ジェラール・ジュニョ
シモン:ジュール・シトリュック


 この映画は、1942年夏に、ナチス・ドイツ軍の手中に堕ちたパリを舞台に展開する 「ユダヤ人狩り」をテーマにしたものです。こういう映画や著作物に遭遇した時に、 いつも思うこと。人間は、その存在の尊厳や生死に関わるような究極の状況にある時 に、初めて見えてくるものがあります。それは「愛とはなにか?」「勇気とはなにか ?」・・・・・・と言うような根源的なものです。

 肉屋兼惣菜屋を営む平凡な主人公「バティニョール」はナチス・ドイツを支持する 娘婿、計算高い妻などに囲まれた、こころもとない中年男ですが、後半では命がけで ユダヤ人の子供たちをスイスに逃亡させる手助けをする勇気ある男となっていくというス トーリーです。

 ドイツ軍はフランス国民に対しユダヤ人の一斉検挙を要求する。ユダヤ人外科医で あるバーンスタイン一家は隣人「バティニョール」の娘婿の密告によって検挙され、 「バティニョール」は心ならずも摘発に協力してしまうことになる。このドイツ軍に 対する協力がもとで、軍に没収されたバーンスタイン家の大きなアパートもバティニ ョール家に譲られることになった。
 しかし、バーンスタイン家の息子である12歳の「シモン」と、その従姉妹「サラ」 と「ギラ」は親を失いながらも、検挙の手を逃れることができた。この3人の子供たち をスイスに送り届けることが「バティニョール」の大きな人生の仕事となったのでし た。その危険極まりない旅の資金となったものは、バーンスタイン家から没収された 「ルノワール」の絵画だったのでした。

 「バティニョール」と子供たちの、ドイツ軍からの苦しい逃亡の旅は命がけであり 、スイス国境を越えるまで、勇気と知恵を幾度も試されるのでした。「バティニョ ール」は子供たちをスイスまで送り、自らは帰るつもりでしたが、子供たちと一緒に スイス国境を越え、数年を共に暮しました。

  *   *   *

 「バティニョール」を演じるベテラン俳優ジェラール・ジュニョが、監督&脚本も手掛けています。かねてからこの時代に興味を持っていたジュニョ自身が膨大な資料蒐集とリサーチを続けて完成させた映画です。「あの時代に自分が生きていたらどういう行動をとっただろうか?」という問いかけに対する彼自身の答えがこの作品となったそうです。
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Jan 08, 2009

ピカソとクレーの生きた時代・20世紀のはじまり

Klee-1  Klee-2

 昨年12月の日記に書いたことですが、パリ国立ピカソ美術館の改修工事のため、主 要作品を網羅した約二三〇点の作品の世界巡回展が実現し、その幸運が日本にもやっ てきました。それと大変に似た状況で、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン 州の州都「デュッセルドルフ」にある「ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術 館」の改修工事のために、休館する機をとらえて、ここに所蔵された作品のうちの57 点が世界を回ることになり、それに先駆けて日本へやってきた、ということです。

 所蔵されている代表的な絵画は、「ピカソ」と「クレー」であり、20世紀に活躍し た画家たちの作品が観られました。この展覧会で最も多かったのは27点の「クレー」 でした。「ピカソ」は6点。「カンディンスキー」「ミロ」「マチス」「シャガール」 「マグリット」「エルンスト」などなど。そしてドイツ近代美術の代表的な画家であ る「マックス・ベックマン」「フランツ・マルク」「オスカー・シュレンマー」など で、20世紀前半という極めて変化に富んだ時代の画家たちです。今回は「クレー」が お目当てで、美術館に足を向けました。

 今からほぼ50年前に創設されたこの「ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術 館」は、第2次世界大戦ののちに終結した、ナチスの独裁政治からの復興をかけた建造 物でもあったのでした。ライン川沿いのドイツ国内で石炭の採掘、製鉄業によって、 最も経済的に豊かな州都「デュッセルドルフ」に置かれることになりました。その時 に美術品が用意されていたわけではありません。美術館が最初にコレクトした絵画は 「クレー」でした。
 では、何故「クレー」なのか?1920年代、「クレー」が、デッサウの総合造形学校 「バウハウス」で教鞭をとっていたこと。さらに、1931年「デュッセルドルフ」の「 芸術アカデミー」の教授であったこと。しかし、1933年国家社会主義のもとで、教授 職を失い、故郷のスイスに亡命して、1940年そこで生涯を終わったのでした。

 もちろん「クレー」だけに留まらず、この20世紀のはじまりとは、美術史のなかで も変化に富んだ時代でもあったわけですね。美術展は以下の展開でした。

Picasso

第一章:表現主義的傾向の展開
第二章:キュビズム的傾向の展開
第三章:シュルレアリスム的傾向の展開
第四章:カンディンスキーとクレーの展開

   (渋谷 bunkamura ザ・ミュージアム)にて。 
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Jan 07, 2009

PARIS

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監督&脚本:セドリック・クラピッシュ

《キャスト》
ピエール:ロマン・デュリス
エリーズ(ピエールの姉):ジュリエット・ビノシュ

 ムーラン・ルージュの元ダンサー「ピエール」は心臓病で余命わずか、助かる方法は心臓移植しかなく成功率は40%~50%。つまり命の希望は半分以下。彼は移植提供者を待つ日々を静かに過ごすことを選ぶ。
 弟を案じて同居を始めるのは、三人の子供を抱えたシングルマザーの「エリーズ」。彼女はソーシャル・ケースワーカーの仕事をしている。「エリーズ」を演じる「ジュリエット・ビノシュ」は化粧もしていないが、なんと魅力的な女優だろう。
 もう若くはない人生を楽しむことを諦めている姉に「人生を楽しむように。」と言うのは「ピエール」だったが、彼の行先の見えない日々の一番の楽しみはアパルトマンのベランダからパリの街を行き交う人々を眺めることだった。

 この姉と弟、三人の子供の暮らしと関係は、映画のなかでくっきりと浮き彫りにされていますが、それ以外の登場人物は、かすかな繋がりがあるだけで、散漫にさまざまな人間が登場して、さまざまな人間の断片が繋がれてゆくという仕掛けとなっている。つまり、これが「ピエール」の見た「RARIS(2008)」の姿だというわけですね。さらに不法移民が多い街。憧れの街。民族の坩堝。そして貧しさや民族差別のことなど、パリは特別の街ではなく、どこにでもある人間の生き死にが繰り返される街にすぎないということか?。

 人々は日々を懸命に生きている?「ピエール」のアパルトマンの向かいに住む、ボーイフレンドのいる美しいソルボンヌの女子大生。彼女に恋をして関係を持つ歴史学者。彼の弟の建築家。元夫婦のジャンとカロリーヌは、離婚後も同じマルシェで働いている。エリーズと恋に落ちるジャン。カロリーヌは同じマルシェで店を構えるジャンの仲間と恋をする。民族差別の代表のようなパン屋の女主人。日々を刹那的に楽しむファッション業界の女たち。食肉野菜市場で働く男たち。その男たちが集まる酒場で働く女たち。カメルーンからの不法移民。etc。。。

 「ピエール」に病院から「心臓移植提供者」の知らせが入る。彼は冷静に病院へ行こうとする。姉にアパートの玄関で別れを告げ、最期の場所となるかもしれない病院へと向かうタクシーの中から、「ピエール」はただじっとパリの街と人々を見ていた。そして、タクシーの窓から彼を照らしているものは、晴れたパリの空だった。映画はそこで終わる。

 耳慣れた音楽だなぁ、と思ったのですが、これは「サティ」の「グノシェンヌNo.1」でした。幾度か静かに流れた音楽でした。(渋谷 bunkamura ル・シネマ)にて。
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Jan 02, 2009

たったたった

koguma

 元旦に、二ヶ月ぶりに孫に会う。「はいはい」が上達して、狭い我が家の探検に忙しい。「えんこ」も出来るようになり、卓袱台の縁につかまって「たっち」もできるようになりました。用意した離乳食も好き嫌いなく食べる。産まれてから母乳で育ち、身長も体重もともに標準とのこと。ともかく順調に健やかに育ったことを感謝しませう。「たっち」をすると、なぜか「たったたった」と言うのですが、「えんこ」していても「たったたった」と言います(^^)。あれは君の独創的音楽かな?

 君を見ていると、幼い子供たちを育てた時間をなつかしく思い出だすとともに、自分の若さゆえの至らなさによる、ちょっぴり苦い思い出もあることも。。。そして君の8キロの命はあたたかく重かった。幼い子供たちを育てていた頃のわたくしの若さを思う。その重いいのちに惜しみなく時間を明け渡し、「自分がいつでもそばにいなければ、この子は死んでしまう。」と思い続けた時間でもあった。こんなにも無条件に惜しみなく時間を差し出したのは、あたたかく育ちゆく幼い子供と、「死」をみつめた父母と姉との看取りの時間だけだったのだと、思いました。その時間のなかで、自分は育てられたのだと改めて思うのでした。


春の児


     ちちははを送りしのちの春の児よ


春のあけぼの
  産声が聴こえる
小さな手が世界をまさぐる
その微細な動きはさざなみとなる

ちちの最期の手は
なにに触れたのでしょうか?
それきり戻ってきませんでした
やがて姉が そしてははが
みんな戻ってきませんでした
わたくしはその紲のどこにいるのか?

ちいさないのちのかがやき
見失ったいのち
そのいのちの貨車を
生まれでたものたちが繋ぐのでしょう

ちちははよ
これはすべて地上のできごとです。
Posted at 16:07 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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