May 03, 2008
極私的にコアの花たち 鈴木志郎康

二日夜、新宿パークタワー3Fの映像ホールにて、「イメージフォーラム・フェスティバル2008」のDプログラムの、鈴木志郎康さんの五十分の映画「極私的にコアの花たち」を観ました。ドキュメンタリー映画と名付ければいいのか?いや、違うかな?これは志郎康さんの詩の映像化かもしれません。(←志郎康ファンとしての極私的解釈。笑。)鈴木志郎康さんは詩人であり、映像作家でもある方です。
二〇〇六年の一年間、ご自宅の中庭にある花たちの芽吹き、開花、落花、枯死を、カメラで追い続けた作品でした。この年の春には志郎康さんは多摩美術大学を退職されています。またお体を悪くされて、加圧リハビリ、骨格矯正と交流磁気シャワーの治療に今でも繰り返し通われているというお体で、制作された映画です。
ナレーションも志郎康さん。BGMは少々。ラジオやテレビの音声が挿入されたり、大掛かりなものはなにもない。一番効果的だったのは志郎康さんの呼吸音でした。
決して広大ではない庭で、花がない時には花を買ってきたり、送られてきた花が写されたり、花が志郎康さんの一年を写しているようでした。この花は全部「灰皿町南波止場1 ・鈴木志郎康のblosxom Weblog」に掲載された画像です。このブログが毎日更新されていることにも、実はずっと驚かされてきました。
この志郎康さんの「極私的にコアの花たち」の前に、短い映像作品が三つ放映され、全部放映された後で、それぞれの製作者の挨拶と制作動機、主張あるいは意図するものが語られました。最後の志郎康さんの挨拶は、これまた魅力的(^^)。
「僕は空っぽなんだね。」・・・・・・。 わたくしがこの境地に至るのはいつのことやら。。。
【おまけのおはなし】
この映画鑑賞のあとで、志郎康さんを中心に約十人のお仲間とお話する席に参加しました。そこでお目にかかったことはあっても、多分ほとんど会話を交わしたこともなかった詩人で映像作家のF氏のお話にはびっくり。。わたくしの詩集「空白期」を、ワークショップに使って下さったとのことでした。素直に嬉しいです(^^)。
詩人の講座のテキストにわたくしの詩作品を使われる方は、以前にも何人かはいらっしゃいましたが、このようなお話をお聞きする度に、わたくしの詩が、ささやかながらどのような役目をになっているのか?ということを知らされる思いがいたします。(本当にささやかながら。←ここを強調。笑。)
Apr 24, 2008
つぐない

監督:ジョー・ライト
原作:イアン・マキューアン著 『贖罪』
キャスト:
ブライオニー:シーアシャ・ローハン・・・ロモーラ・ガライ・・・ヴァネッサ・レッドグレイヴ
セシーリア:キーラ・ナイトレイ
ロビー:ジェームズ・マカヴォイ
まずは、フィリップ・クローデルの小説「灰色の魂」から引用したい言葉があります。
『人はひとつの国に暮せるように、悔恨のなかで生きられるものだということだ。』
この映画の舞台は第二次世界大戦前のイングランド。ある政府官僚一家には、大学を卒業したばかりの美しい長女「セシーリア」と、作家を夢みる十三歳の次女「ブライオニー」の二人の娘がいる。二人は共に、使用人の息子で幼なじみの「ロビー」に恋していたが、彼はまだ幼い「ブライオニー」の気持には気付かずに、「セシーリア」との恋におちる。
そんな折に、屋敷内で「強姦事件」が起きる。被害者は屋敷に同居していた親戚の娘。その強姦犯人が「ロビー」だと「ブライオニー」が偽証する。十三歳の少女の嫉妬がここまでの大きな罪を犯してしまう。。。しかしここでちょっと疑問なのは、この十三歳の少女の証言だけで、彼が刑務所に入ることだ。政府官僚の娘の証言がそこまでの力を持っていた時代だったのだろうか?しかしこの「偽証」が「つぐない」というドラマの出発点の役割は果たしているのだ。なんとも居心地が悪いなぁ。。。
そして時代は急速に第二次世界大戦に突入してゆく。刑務所よりも戦場を希望した「ロビー」は、当然困難な兵役につくことになるが、「セシーリア」に束の間逢える時間はわずかに持てた。ここで思いがけなく、古いロシア映画(一九五九年作)「誓いの休暇」を思い出す。
成長して看護婦になった「ブライオニー」は二人の前で謝罪をするが、彼は汚名が晴れないままに戦病死。姉も戦禍で死亡する。二人に赦されないままに「ブライオニー」の罪は生涯のものとなる。生き残った彼女は作家となるが、いのちの汀で絶筆とも処女作とも言える小説のなかで、すべてを告白する。「墓場まで持っていく秘密」とはしないことがキリスト教的な考え方なのか?その老作家を演じたのが「ヴァネッサ・レッドグレイヴ」・・・素敵な老女優(^^)。。。
ざっと、あらすじはこのようなものですが、映画を観終わってから、しばし考えました。この映画のメイン・テーマはなんだったのか?戦争が「ブライオニー」の「つぐない」を阻んだ?「戦争」という人類最大最悪の罪と、十三歳の少女の犯した罪とが、秤にかけられるものではない。これが小説だとすると、「戦争」は時代背景にすぎないのか?この戦争が一人の少女をどのように成長させていったのか?ということが中心ではなく、戦争と少女の偽証とが、恋人たちの運命を翻弄し、そして殺した、ということだろうか?
原作がどこまで書きこんでいるのかは未読なのでわかりかねる。「ブライオニー」の生涯がこの映画だけでは見えにくいようだ。多くの小説や映画の背景には「戦争」がある。言い換えればそれほどに人間の歴史は戦争の歴史かもしれないのだ。その歴史のなかに、もみくしゃにされ、ひきちぎられた一通の手紙のように十三歳の少女の罪が暗い風のように時間を覆っていたようだった。
第八十回アカデミー賞作曲賞受賞作品
本年度アカデミー賞の作品賞候補作
【追記】
ある先輩女性詩人の言葉も思い出しました。「あなたは悪意の言葉に傷つけられた。その原因がわからないと?一番わかりやすい原因はあります。それは大方は嫉妬です。」その時は驚きましたが、やがて納得しました。なんだか思い出すものの方が多かったようですね。
Feb 19, 2008
アマデウス ディレクターズカット スペシャル・エディション(2002)
監督:ミロス・フォアマン
原作・脚本:ピーター・シェーファー
音楽・指揮:サー・ネヴィル・マリナー
NHK・BSにて十六日夜、三時間放映。これが二度目のこの映画鑑賞となるのだろう。
映画の舞台は精神病院から始まる。訪れた若い神父の前で、かつては皇帝ヨーゼフ二世(一七四一年~一七九〇年。在位は一七六五年~一七九〇年。)に仕える宮廷音楽家で、今や老いて車椅子生活者となった「アントニオ・サリエリ」の告白からはじまる。二六歳の若きヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの稀有な才能に驚き、嫉妬し、それを超えることのできないサリエリは、モーツアルトを殺害したと語る彼の回想という設定。ストーリーはあまりにも有名ですから、ここでは省きます。 ちなみにモーツアルトの生涯は(一七五六年~一七九一年)、サリエリは(一七五〇年~一八二五年)です。
翌日の十七日には、日本語によるオペラ「J・シュトラウス二世」の「こうもり」を観るという、偶然も重なって、言語と音楽との調和が気になってきました。さらに前の一月には「プラハ国立劇場オペラ」の「魔笛」を字幕入りで観るという体験も繋がって、あまりオペラ通とも言えないわたくしでも、言葉の音質と音楽との調和は気にかかります。まず日本語はオペラには似合わない。詩や小説ですら日本語に翻訳することは難しい。それを音楽に合わせるというのは、かなり無理にちがいないと感じました。
映画のなかでも、皇帝ヨーゼフ二世からモーツアルトに「オペラはドイツ語で。」という注文が出るシーンがありました。実際には、この映画では脚本家の「ピーター・シェーファー」自身が訳した英語の訳詞になっています。あああ。ややこしい。
言葉の問題でもう一つ考えさせられたこと。それはオペラというものは「先に脚本ありき。」なのです。その脚本を、音楽と踊り、歌と台詞の配分、そして長時間に及ぶオーケストラの演奏とともにオペラは舞台に展開されるわけですね。気の遠くなるような仕事です。鳴りやまない拍手は単なる観客の礼儀を超えたものでしょう。
【付記】
「ドン・ジョバン二」に登場する石の騎士長は厳格だったモーツァルトの亡き父「レオポルト」の亡霊として、「魔笛」の「夜の女王」の有名は超絶技巧のアリアは、仕事がなく酒に溺れるモーツァルトを激しく叱責する姑の姿にヒントを得ている。身近な人間の存在すら、モーツアルトは「音楽」に昇華できたのでしょう。
Feb 14, 2008
レンブラントの夜警

監督:ピーター・グリーナウェイ(Peter Greenaway,1942年- )。イギリス(ウェールズ)出身。
音楽:ジョヴァンニ・ソリマ ヴウォテック・パヴリク
レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz, van Rijn 1606-1669)と ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632-1675)は、オランダの十七世紀の代表的な画家であり、膨大な作品が残されている。この時代のオランダはスペインからの独立を果たし、経済的繁栄を極めていました。東インド会社との交易によって、世界中からさまざまな品物が集まり、人々は蒐集熱に浮かされていました。絵画は「チューリップの球根」と同じように「投機」の対象だったのでした。この時代の画家に作品が多いのはそのような時代でもあったのでしょう。「作品が多い」ということの裏には「注文が多い」ということで、多くの弟子の助けがあったということでもあるのでしょう。
また、別の側面からこの時代のオランダを見ますと、独立後のオランダはプロテスタント中心の市民社会が確立していたため、オランダの絵画市場は、同時代の「フランス」「イタリア」とは異なり、大きなサイズの神話画や宗教画ではなく、小さめの風俗画や風景画の注文があって、その結果さまざまな絵画のジャンルが確立した時代でもありました。
さて、一六四二年に手がけたこの絵画『フランス・バニング・コック隊長の市警団の集団肖像画』、通称『夜警』は、市警団からの依頼であり、資金は彼等が分担したのであろうと思われます。夜警』は大きなサイズの絵画です。この絵画によって、レンブラントの地位、名声は一気に破局に向かうことになります。その時期には産まれたばかりの子供を残して、妻の「サスキア」が亡くなり、レンブラントは深い悲しみにも遭遇するのでした。
「集団肖像画」はそれぞれの人間を平等に並列的に描くという常識がありましたが、レンブラントはその常識を破りました。何故破ったのか?それはモデルとなる市警団の人間たちの裏に潜む「悪」を見てしまったからでしょう。少女だけが収容されている孤児院では「売春」が黙認されていたこと、また「陰謀」「殺人」など、さまざまな権力の行う「悪」を見たレンブラントは、その「告発」を絵画としたからでした。
『画筆は画家の武器だ。なんでもできる――侮辱も告発も。』
「アムステルダム国立美術館のサイト」では大きな絵画をみることができます。リベルさんに教えていただきました。色彩、明暗もきれいです。
また「サスキア」を失った悲しみを埋めるように、レンブラントにもスキャンダラスな女性関係が浮上します。依頼主たちからの絵画の不評とスキャンダルによって、レンブラントは彼等の暴力に遭い、視力すら失うことになる。ここで彼の名声は終わる。映画のラストシーンもここに照準を合わせて終わりました。
監督の「ピーター・グリーナウェイ」は、レンブラントが「夜警」を描くことによって、市警団のさまざまな人間達を告発したように、映画「レンブラントの夜警」を制作することによって「レンブラント」を告発しようとしたのだろうか?ちょっとそのような思いが頭上をかすめます。
【付記】
当たり前のことですが、映画鑑賞と読書は異質な行為だと、つくづく思います。映画のストーリーのテンポに、わたくしの心理的なテンポが著しく追いつかない状況に陥っても、映画は待っていてくれないのです。
Jan 07, 2008
サウンド・オブ・ミュージック

監督: ロバート・ワイズ
脚本: アーネスト・レーマン
音楽: リチャード・ロジャース オスカー・ハマースタイン二世 アーウィン・コス タル
公開: 一九六五年
製作国: アメリカ
言語: 英語
【キャスト】
マリア:ジュリー・アンドリュース
トラップ大佐:クリストファー・プラマー
このミュージカル映画の舞台背景は、一九三八年のオーストリア・ザルツブルク。 ナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦の時代 にあたります。
修道女見習いのマリアは、院長に、数年前に妻を亡くしたトラップ大佐の七人の子供たちの家庭教師をするように勧められ、大佐宅で暮すことになります。トラップ大佐はオーストリア海軍退役軍人。大佐は、子供たちを軍隊的に厳しくしつけていますが、過去の何人もの家庭教師が長く勤めてくれない状況にあった。それは父親の厳しさへの反動が家庭教師に向けられていたからだったのです。。
ある激しい雷雨の夜に、雷を怖がる子供たちは次々にマリアの部屋に集まってきた。マリアは、「哀しい時や辛い時は楽しいことを考えましょう。」と教える。母を亡くしてからずっと家の中に聴こえることのなかった音楽を、マリアが子供たちに取り戻すことによって子供はみるみる快活になってゆく。それは大佐の逆鱗に触れることとなり、マリアは「解雇」寸前となるが、子供の歌声が父親に音楽を呼び起こし、マリアは解雇を免れる。
子供たちは父親の厳しい躾から開放され、音楽、人形劇などを一家で楽しむ生活にかわる。そして父親の再婚話がはじまる。しかし大佐とマリアはお互いの心に気付き、二人は子供たちや修道院の修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける。
二人が新婚旅行をする間に、アンシュルスに伴いナチス率いるドイツ軍がザルツブルクにも進駐していた。新婚旅行から戻った大佐の家にはナチス旗が掲げられており、激昂した大佐はその旗を引きずりおろす。しかし、同時に大佐に対してドイツ第三帝国海軍から出頭命令の電報が届いていた。ドイツによるオーストリア併合に反対する大佐は、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく電報を無視するが、ドイツ海軍も有能な軍人である大佐を欲しがり、再三、電報を寄こし出頭を要請する。彼は時代の大きな波を感じとり一家の亡命を決意する。
一家は歌のコンクールに出場する予定があったので、この機に乗じて中立国であるスイスへの亡命を計画。審査の結果、トラップ一家が優勝するが、その表彰式の隙に家族は逃げ出す。まず家族は修道院に逃げ込む。裏口から車で家族は逃走するが、追跡しようとするナチスの車はエンジンがかからない。その頃懺悔に来た修道女たちの手にはその車の部品が握られていた。「大きな罪を犯しました。」と微笑む彼女たちの笑顔のすばらしさ。。。全ての国境へ向かう道が閉鎖されているため、家族は山を越えて自由の地スイスへ向かう。
マリアの明るい笑顔と歌声、それはとりもなおさず、人間のおろかしい戦争への正面からの反戦歌ではないだろうか?
【付記】
三日と四日の夜、長時間映画の「風ととに去りぬ」と「サウンド・オブ・ミュージック」を観るという、わたくしとしては稀有な快挙(???)であった。名作として残っているこの二作の映画の背景は「アメリカ南北戦争」であり「ナチス・ドイツによるオーストリア合邦(アンシュルス)及び第二次世界大戦」であったことは、偶然とは思えない。
また、全く違う視点での共通項は「カーテン」でした。スカーレットは、タラでいよいよ困窮し、レットに借金を申し込むために着てゆくドレスすらない。そこで彼女はビロードのカーテンをドレスに仕立て直すのだった。マリアは子供たちの遊び着をつくる生地を大佐に願い出るが断られる。そこで思いついたのが自室のカーテン生地だった。思わぬ共通項に内心「うふふ。」でした。
Jan 06, 2008
風ととに去りぬ

(本当はクラーク・ゲーブルだけを掲載したいのですが。。。独り言。)
監督:ヴィクター・フレミング
原作:マーガレット・ミッチェル
スカーレット・オハラ:ヴィヴィアン・リー
レット・バトラー:クラーク・ゲーブル
アシュレ・ウィルクス:レスリー・ハワード
メラニー・ハミルトン:オリヴィア・デ・ハヴィランド
今更言うまでもないことですが、「風と共に去りぬ(Gone with the Wind)」は、一九三九年制作のアメリカ映画です。全編で三時間四十二分という大長編であるにも関わらず、当時空前のヒットを記録したそうです。この制作年を改めて確かめてみると、この時にはわたくしはまだ生まれていません。さらに日本で公開されたのは一九五二年です。この長い空白には「戦争」があったということですね。さらに言えばわたくしが十代に郷里の映画館で観た記憶はありますが、その時すでに新作映画ではなかったのだと初めて気付かされました。これをあらためてNHKのBSで観られたということですね。
これはアメリカの南北戦争に巻き込まれ、運命を翻弄された、男女の愛の物語であり、石原吉郎の言葉を借りれば「戦争のもっとも大きな罪は、一人の運命に対する罪である。」とも言える物語です。
一八六一年、アメリカは南部と北部の対立が深まり、内戦が避けられないところまできていた。ジョージア州タラの大地主ウィルクス家の御曹司アシュレーの結婚相手は自分だと信じていた、同じくタラの大地主ジェラルド・オハラの美しい長女のスカーレットは、彼が従姉妹メラニーと婚約すると聞き、絶望的な状況となる。
その精神的な痛手と、南北戦争による貧苦の生活など不幸は重なるばかりだった。スカーレットは二度の偽りの結婚、夫の戦死、次には事故死と二度の未亡人となる。こうした日々を、タラの屋敷と土地を守るため、スカーレットは狡猾と思えるほどの逞しさで生き抜く。レット・バトラーは幾たびかスカーレットを救う役割を果たしてきた。
一八六五年、南軍の降伏で戦争は終わった。数々のすれ違いを乗り越えてやっと結ばれたスカーレットとレットはアトランタに豪邸を新築、まもなく娘のボニーが産まれ、幸せの絶頂を迎える。ようやく訪れたかに見える平和だが、スカーレットはアシュレーへの思いを消すことができない。嫉妬に苦しむレットは、スカーレットとの離婚を決意して、ボニーをつれてロンドンへ行く。母を恋しがる幼い娘が不憫になったレットはアトランタに戻るが、スカーレットとの仲は戻らなかった。それどころか、口論の末にスカーレットが階段から落ち、二人目の子供を流産してしまう。不運は続き、ボニーが落馬して命を落す。そしてレットの愛も消えた。
すべてを失ってようやくスカーレットはレットへの愛に気付く。スカーレットは絶望の渕から、すぐに希望を取り戻す。ここが最後の有名な台詞です。
『レットをどうやって連れ戻すか、明日のことは明日、タラに帰って考えればいい……。』
美しく、情熱的で、気位の高い女性の実りの少ない人生ではあったとしても、スカーレットは「絶望」や「虚無」や「失墜」に堕ちることはなかった。控えめで清楚なメラニーと、対照的に描きだされた女性の生き方は、時代を超えて変わらないテーマでしょう。
Dec 29, 2007
ミンボーの女

監督&脚本 :伊丹十三
井上まひる:宮本信子
小林総支配人:宝田明
鈴木勇気:大地康雄
若杉太郎:村田雄浩
プールの老人(ホテルの会長):大滝秀治
フロント課長:三谷昇
ホテルマン:松井範雄
(彼はわたくしの従弟です。オーディションに強い俳優です。特別に紹介しました。笑。)
いやはや、ヤクザの恐い場面ばかりの映画、ハッピーな結果は約束されているとはいえ、恐い場面は目を伏せて観ました。観終わってつくづくと「伊丹十三」の「暴力に屈しない正義」を観たと思いました。この映画のおかげで、彼自身も現実の場面でヤクザに襲われて、大怪我をしたというニュースを改めて思い出しましたが、それも覚悟していたのではないかと思いました。
ここで「暴力に屈しない正義」をくさい言葉だと思ってはなりません。この言葉が本気で表現された稀有な映画だと言っても過言ではありません。ヤクザ映画は数々あれど、どこかで彼等の「任侠」などが美化されている映画ばかりのなかで、これはヤクザの本質(ゆすり、たかり、暴力)を暴いています。
それと法的に戦った女性弁護士「井上まひる」、刑事と裁判官の適切なバックアップ、それに導かれながら成長してゆくホテルマンたちの自覚と勇気、映画を観終わった途端、わたくしの脳裡に浮かんだ言葉は「正義」でした。しつこく繰り返します。「正義」は「不当な暴力」に勝つのです。この映画は、その「法的な勝ち方」をはっきりと教えて下さるものでした。
こうして、ヤクザにゆすられ続ける「ホテル・ヨーロッパ」は、ヤクザの脅しに屈して簡単に金を出してしまう体質と、危機管理の甘さを脱却してゆきます。経理部の「鈴木勇気」、ベルボーイの「若杉太郎」の二人をヤクザへの対応役として任命。彼等を勇気あるホテルマンに育ててゆくのが、民事介入暴力(民暴)を専門とする弁護士「井上まひる」でした。宮本信子演じる弁護士の啖呵が見事でしたね。ほれぼれしました(^^)。
Nov 19, 2007
天上草原

監督:麦麗絲(マイリース)
一九五六年生まれ。モンゴル族。内蒙古師範大学と北京電影学院の監督学科を卒業。現在、内蒙古電影制片廠に所属。
監督:塞夫(サイフ)
一九五四年生まれ。モンゴル族。吉林大学と北京電影学院を卒業。内蒙古電影制片廠の所長を務めている。麦麗絲の夫。
音楽:三宝(サンパオ)
一九六四年生まれ。内蒙古自治区の出身。モンゴル族。中央音楽学院の作曲学科を卒業。
脚本:陳坪(チェン・ピン)
母親に捨てられ、失声症に陥ってしまった少年「フーズ」の父親は監獄にいる。先に出所する父親の友人であるモンゴル族の「シェリガン」に託された「フーズ」は草原にやって来た。自分が全く知らない草原での生活が始まった。「フーズ」をあたたかく迎えたのは、「シェリガン」が監獄に入った五年前に離婚した草原の女性「バルマ」とシェリガンの弟「テングリ」だった。町から来たフーズにとって広大な大地とゲルでの生活は戸惑いばかり。しかし、そんな彼を「シェリガン」は荒々しく育てようとする。「フーズ」は「テングリ」に心を開いていくが、「バルマ」に想いをよせる「テングリ」は、彼女の気持ちが兄から離れないことを知り、解放軍に入隊する。
「シェリガン」と「バルマ」は再び結婚する。「フーズ」の心は次第にほどけてゆく。「テングリ」が少年に残してくれた馬もいて、草原の生活の中で「フーズ」は除々に回復の兆しを見せていた。そして、祭典の日。「フーズ」は騎馬に出場し、一位でゴールする。わきあがる歓声の中、彼はついに馬上で「テングリ!」と幾度も声を発したのだった。子供の心が開かれる瞬間というものはひかりのような時間だった。三人は家族になったのだった。
その幸福も束の間、本当の父親の出所の知らせがくる。「バルマ」は「フーズ」を約束通り父親の元に返さなければならない。「モンゴルの男は約束を守るもの。」。また哀しい別れであったが、映画はそこで終わる。
子供は心を病んではならない。病んだら癒えるまで見守る。それだけが大人が子供に与える幸福ではないだろうか?厳しい自然と、広大な草原は黙ってそれを教えてくれたのではないか?
印象的な場面が二つある。羊を狼に殺された時に、「シェリガン」と「テングリ」は狼を追って森へ行く。殺すのかと思ったが、投げ縄で捕まえてから、少しの時間狼をこらしめただけで放してやる。狼は二度と羊を殺さないと彼等は信じたのだ。もう一つは、「バルマ」が草原の鳥の巣から卵を盗んできた「フーズ」を叱ることだ。そして卵を返しに行く。彼女は天に向かって鳥に謝罪の言葉を叫ぶのだった。ここではすべての命が守りあっていたのだった。
Nov 06, 2007
真珠の耳飾りの少女
監督:ピーター・ウェーバー
主演:スカーレット・ヨハンソン
一六六五年、オランダのデルフト。タイル職人(白いタイルに青色の絵付 けをする。)の父親の失明により、十七歳の「グリート」は、画家「ヨハネ ス・フェルメール」の家へ奉公に出されることになる。
フェルメール家は、気位の高い妻の「カタリーナ」、彼女の母で家計を取 り仕切っている「マーリア」、そして六人の子供という大家族でした。入り 婿の「フェルメール」多作の画家ではない。家計はつねに逼迫した状態にあ った。当然フェルメール家には、パトロンの「ファン・ライフェン」がいる 。こいつは下品な男だ。張り倒してやりたい(^^)。
しかし「フェルメール」の新作を描き始めるきっかけを与えたのは、「グ リート」だった。彼女がアトリエの窓を磨いている時に生まれた微妙な光と 色彩の変化が「フェルメール」を創作に駆り立てたのだ。
やがて「グリート」が優れた色彩感覚の持ち主であることに気づいた「フ ェルメール」は、アトリエのロフトで絵の具を調合する仕事を手伝わせるよ うになる。この場面は非常に興味深い。科学実験室のような不思議な世界だ った。骨灰、鉱石、金銀、お酒、油などさまざまな材料を練りあわせる場面 には目を奪われました。
「グリート」は家事労働の合間のわずかな自由時間を、絵の具の調合に費 やすようになる、やがて二人の関係は、芸術上のパートナーとなっていまし た。それは一家にとってはおだやかな状況ではない。しかし「フェルメール 」の創作意欲に対するグリートの影響力を見抜いていた「マーリア」は、「 グリート」の存在を容認する立場を取っていた。
デッサンは、「マーリア」以外の家族には秘密で行われた。「グリート」 は使用人としての頭巾を外し、青いターバンを巻き、キャンバスの前でポー ズを取るが、何かが足りないと感じた「フェルメール」は、「カタリーナ」 の「真珠の耳飾り」を「グリート」に着けさせようとする。それは「カタリ ーナ」の留守に、「マーリア」が「真珠の耳飾り」を用意することで実現し ました。
しかし、この後に「グリート」はフェルメール家から解雇される。別の家 で働いている彼女の元に、かつて使用人の先輩格であった女性(この女性は 、「牛乳を注ぐ女」のモデルのような。。。)によって「真珠の耳飾り」が 届けられる。果たしてこの送り主は誰だろうか?わたしの推測は「マーリア 」ですが。
主演の女優「スカーレット・ヨハンソン」はとても美しい女優、まるでこ の絵画のために生まれてきたような方でした。そしてこの映画そのものも、 おそらく実話でも伝記でもなく、想像の世界だと思った方がいいのかもしれ ません。「フェルメール」を愛した人々それぞれに「フェルメール物語」は あるのですから。。。
Nov 03, 2007
こんなに近く、こんなに遠く
監督:レザ・ミル・キャリミ(イラン)
テヘランの有能な脳外科医アーラムは、多忙な医師として日々を過ごしている。その最中で彼はこうつぶやいた。「わたしが患者の命を助けた時には神はいなかった。しかし患者の死の時には神が現われるのだ。」と。。。
大晦日でありながら、アーラム、その妻、息子はばらばらな関係になっていた。息子に約束したプレゼントの天体望遠鏡を渡す時間すらない。しかも息子は助からないであろう病気に犯されていることに父親は気付く。そして天体観測の為に砂漠へと旅立った息子を追って父親は望遠鏡を届けるために砂漠を車を走らせる。
なかなか縮まらない息子との距離。これがタイトルとなっているのだろう。旅はアーラムの予想をはるかに超えて困難を極める。砂漠の民とのさまざまな交流のなかで、欧米的な都市生活者アーラムの旅が続く。最新型の乗用車、ビデオカメラ、携帯電話、これは砂漠との違和感を見せる道具だ。
星の光が地球に届くまでに何万光年とかかる。偶然と思われる砂漠の旅での人々との出会い、出来事の全ての背景には「神の大きな存在」があるようにも感じる。イスラムでは、自分自身を見失ってしまった人は、アッラーの神によって自分の居場所を見つけるために旅に導かれるという言い伝えがあるそうです。
途中でアーラムは、車のエンストで立ち往生して砂嵐に巻き込まれ、車内に閉じ込められてしまう。意識を失う直前にアーラムに、車の天窓が開けられて、父親を捜していた息子の手が差し伸べられる。アーラムは最後の力をふりしぼって弱弱しい手を差し伸べる。ここで映画は終わる。このシーンはミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画「アダムの創造」そのものだった。
これを一つの家族ドラマと考えてもいいかもしれない。また砂漠の神の大いなる試練だという見方もあるだろう。
Oct 26, 2007
小さな中国のお針子

監督・原作・脚本 ダイ・シージエ
プロデューサー リズ・ファヨル
「ダイ・シージエ」は一九五四年、中国福建省生まれ。両親は医者。一九七一年から一九七四年まで、「下放政策」により四川省の西康の山岳地帯で再教育を受ける。解放の後、高校に戻る。毛沢東の死後、中国の大学で美術史を学び、一九八四年に中国の給費学生としてフランスに渡り、パリ大学に留学し、美術史を専攻する。その後「パリ映画高等学院」に入学し、数本の短編を中国で撮る。
初の長編作品『中国、わがいたみ』は一九八九年に数々の高い評価を受ける。ほかの長編作品に「タン、11番目の子」と「月を食べる人」などがある。
この映画『小さな中国のお針子』は自ら書いた初小説「バルザックと小さな中国のお針子」の映画化である。自伝的な要素もある小説は、フランスのガリマール社から出版され、約四十万部のベストセラーを記録し、日本では早川書房刊。世界三十ヶ国で翻訳された。中国ではいまだ出版されていない。
* * *
一九七一年、中国の文化大革命の最中、医者を親に持つ十七歳のマーと十八歳のルオは、「下放政策」のため、チベットとの国境沿いにある、手つかずの自然とけわしい山々がそびえる村に送られる。雲に至る石段を上がると、小さな村と湖がひっそりと姿を現わす。村人は読み書きを知らなかった。二人の再教育生活は、屈辱的な仕事や、つらい畑仕事、未開の鉱山の過酷な作業だった。
ある日二人は、老仕立て屋と美しい孫娘のお針子に出会う。ルオはたちまちお針子に恋をする。そして文盲のお針子に物語を語り聞かせる。彼女が一番気にいった作家が「バルザック」だった。
お針子は「バルザック」の小説を通して「自由」という意識に目覚めていく。「バルザック」は彼女に四川省の山々の向こう側には、もっと自由な大地が拓けていると思わせるのだった。
そして二七年後、すでに有名なヴァイオリニストとなったマーは、パリで生活している。ある日、あの村が三峡ダム建設のため、まもなく水に沈むというニュースを知る。思い出の地へ向かうマー。お針子の行方はわからない。次にマーは上海へ行き、現在では名医として知られるルオを訪ねる。青春時代の思い出を語りあう二人。
* * *
この「下放政策」には、イスラエルの「キブツ」も同時に思い出す。また日本のかつての戦時下では、軍人を除いて男子は徴兵された。入隊すればかかつての社会的地位は平等となる。下層階級にあった者が上流階級の人間を部下にできる社会がここで構成される。当然ながら「下放政策」に似た状況があったはずだ。人間はそれほどにおろかしい。そんなことも思う。
人間に貧富の差ができる社会はおそらく間違っている。しかし、精神の貧富の差は一体どのように向き合えばいいのだろうか?そんな思いが心をよぎる。
大分以前に観た映画ですが「芙蓉鎮」があります。この映画も忘れずにいたい。
Oct 15, 2007
エディット・ピアフ 愛の賛歌
監督 脚本 脚色 オリヴィエ・ダアン
主演 マリオン・コティヤール
大分以前のことですが、古い「エディット・ピアフ」の映画を観た記憶があります。内容も配役もほとんど忘れているのですが、たったワン・シーンだけ鮮烈に覚えています。それはまだ無名の「エディット・ピアフ」が、幼い子供をベンチに置いてから、夜の公園のような場所でたった一人で歌いだすシーンでした。新たに制作されたこの映画を観たあとで、この鮮明な記憶が彼女の生い立ちと生涯を象徴するようなシーンであったのではないかと気付きました。
「エディット・ピアフ」の母親も同じように、歌うことに憑かれた女性で、幼いピアフの世話をしないために父親の実家である娼館に預けられる。そこでは祖母と娼婦たちに愛され、束の間の幸福な時間であったのかもしれない。(そうしてピアフはどうやら生き延びて大人になるのですが、ピアフの少女時代と同じようだった彼女の娘はピアフが路上で歌っている間に病死しています。)
ピアフはその後、また大道芸人の父親に連れ出されます。小さな彼女を愛していた娼婦は泣きながら引き止めますが、とても切ないシーンでした。売れない芸人の父親について歩くなかで、小さな彼女は自分の歌声が父親の大道芸よりも「お金」をいただけることに気付くのでした。ここから「エディット・ピアフ」としての人生はすでに始まっていましたね。
主役を演じた女優「マリオン・コティヤール」は十代後半から、晩年の四七歳までを演じるのですが、その演技力は見事でした。物語は時間の急速な移動と展開の繰り返し、そして「麻薬」「お酒」「恋人の死」などなど、心やすまる間のないシナリオ展開で、ほっとする間がなく、とても疲れました。四七年の人生はたしかに短い。いつも孤独と貧しさとの背中合わせの人生にはおだやかな時間は稀なことだったではありましょうが。。。
晩年の背中のまるくなった「エディット・ピアフ」は海辺でこう語りました。
「愛しなさい。」「愛しなさい。」「愛しなさい。」と。。。
【おまけ】
この映画のなかの「エディット・ピアフ」に、ちょっとわたくしが似ていると言った友人がいます。映画を観たわけではなくオフィシャル・サイトを見ただけのようですが、晩年の「エディット・ピアフ」に似ているのかな???まぁ。どっちでもいいけど、上の写真をアップしておきます(^^)。それにしても久しぶりに映画を観ました。上野で「ムンク」を観る予定だったのですが、普段なら月曜日休館ですが、祝日月曜日の翌日の火曜日は休館だったのでした。つまり「ムンク」にフラレての、怪我の功名というところ。。。
May 17, 2007
ストリングス~愛と絆の旅路

監督:アンダース・ラノウ・クラーランド(デンマーク)
日本語版監督:庵野秀明
脚色:長塚圭史
配給:エイベックス・エンタテイメント+ジェイ・ドリーム
制作:ジェイ・ドリーム
ストリングス(strings)とは弦楽器のことであり、(string)は弦の意味です。このタイトル通り、映画はあやつり人形を使ったドール・ムービーでした。そしてさらにこの(strings)とは、この映画の大きなテーマ「愛と絆」ともなっています。ここに登場する人間(人形?)たちは、生まれた時(それはあたかも、願いを込めてピノッキオを作ったジェベットおじいさんの思いに似て。)、天から降ろされる紐(弦あるいは絆)を手足や頭に繋ぐことによって、はじめていのちを吹き込まれるのです。ですから「死」とはこの紐を切られるということになります。それぞれのいのちは天に守られているということです。ここが、今までのあやつり人形劇には見られなかった視点と言えるかもしれません。
しかし、天から降ろされるこれらの膨大なあやつり紐は、絡み合えば、地上の人間の混沌を生むことにもなります。この映画の制作過程もデンマークで一旦出来上がって、カンヌ映画祭で上映されて、それを観た庵野秀明監督が「ジャパン・バージョン」編集したという経緯があります。この経緯によって、観る者は物語の筋道にわずかに迷うことになるのです。
物語の舞台は権力争いの絶えることのないへバロン王国。国王カーロはそれを嘆き、王子ハル・タラに国の平和を託して自害しますが、それは反国王派による暗殺であるという誤解によって、王子も観る者も混乱と殺戮とに向かってしまうのです。王子の妹ジーナ姫は幽閉の後紐を切られます。そして戦いの旅で出会い、王子が愛する異民族の娘ジータの住む豊かな緑の森が焼き払われ、多くの戦死者が出たあとでやっと戦いの日々は終わります。神の絆では守るきることのできない地上の平和の困難さを観る思いです。
映画館を出た後に見た、うつくしい夕焼け。天の紐は見えません。。。

この映画は五月十五日、さいたま新都心駅前の「MOVIXさいたま」という映画館で観ました。この「MOVIX」を都心周辺地で見かけるようになったのは最近のことのように思います。たとえば新しい電車の路線が出来る、そして新しい駅が出来る、その駅に大きなショッピング・モールが展開される。そこに参入しているのが、どうやらこの「MOVIX」のようです。一五〇人から二〇〇人ほどの座席数のある映写室が十数室並んでいて、それぞれの映写室でそれぞれの映画を選んで観られるというシステムです。上映期間もいわゆる今までのロードショウのように長くはない。おそらく映画フィルムが映画館を回るというシステムではなく、巨大DVDなのでは??
Jan 24, 2007
約束の旅路

監督・ラデュ・ミヘイレアニュ(フランス)
脚本・アラン・ミシェル・ブラン&ラデュ・ミヘイレアニュ
上映時間・二時間四五分
これは昨日の夜に「TOKYO FMホール」で観た試写会です。ロードショーは三月から岩波ホールで始まるようです。久しぶりというのか、あるいは初めてのことかもしれませんが、わたくしはこの映画のラストシーンで泣いていました。映画制作という点から採点するとすれば、この映画はどちらかというと未熟かもしれません。それでもこの映画制作にかけた熱意や深い愛は観る者にまっすぐに伝える力を持っていました。うつくしい叙事詩です。さて、この映画を語る前に二つの事柄について注意深く書いておかなければならないような気がします。これは思考回路がすぐに混乱するわたくしのためです。あしからず。。。
【モーセ作戦】
これは旧約聖書「出エジプト記」の「鷲の翼にのせて」・・・「乳と蜜の流れる地へ」に倣った、イスラエルの救出作戦の一つです。アフリカが旱魃に襲われた一九八四年から八五年までに、エチオピア系のユダヤ人をイスラエルへ飛行機で移送救出することでした。その難民キャンプはスーダンにあり、ここへ辿りつけなかった難民も多かったのですが、また無事救出されたユダヤ人は一日に四二〇〇人にのぼるともいわれています。イスラエルではこの救出された人々を「ファラシャ」と呼んでいます。
【出エジプト記】
この第一章、第二章では「モーセ」の子供時代のことに触れています。イスラエル人の人口増加をおそれたファラオは、産まれてくるイスラエル男児をすべて殺すことを命じます。しかし男児を産んで三ヵ月の間密かに育てた女性がいて、ある日ナイル河畔の葦の繁みに隠します。それを見つけたファラオの王女は、その母親を乳母としてその男児を預け、成長してから王女の子となります。これが「モーセ」です。この後のことは省きます。この「モーセ」の子供時代と、この映画の主人公「シュロモ」の運命には、どこか重なるものがあるように思えるのです。
さて、一九八四年のスーダンの難民キャンプに九歳の黒人少年「シュロモ」と母親は辿り着きました。二人はクリスチャンです。同じキャンプではユダヤ人の「ハナ」という女性の子供が体力尽きて亡くなりました。「モーセ作戦」でイスラエルに渡れる「ハナ」に母親は「シュロモ」を託します。「ハナ」の子供は死んではいないということとして、「シュロモ」はその時からのエチオピアのユダヤ人としての名前です。
イスラエルに無事到着後、やさしかった「ハナ」も亡くなりますが、その後に、エジプトからイスラエルへの移民である養母「ヤエル」養父「ヨラム」に愛情深く育てられますが、「肌色による人種差別」と「秘密」そして「母恋い」に苦しむのです。学校を離れ「キブツ=集団農場」に入ったこともありましたが、彼は最後はパリに出てドクターになるのでした。その十年間ほどの青春期を支えた女性「サラ」と結婚します。「秘密」は「サラ」の懐妊の時にやっと明かされるのでした。
『アダムは神の手によって土からつくられた。だから肌の色は黒でも白でもない。赤だ。』
ドクターとしてスーダンの難民キャンプで働く「シュロモ」のところへ「サラ」から電話が入ります。産まれた子供の「パパ」という声とともに。。その直後に彼はやっと歳老いた母親を見つけ出したのでした。。。靴を脱ぎ、素足で砂の上を母親へ向かって歩き、「シュロモ」はやっと「約束の旅」を終えたのでしょう。
映画の前に、監督挨拶がありました。監督のこの映画のテーマは「三人の母の愛だ。」とお話くださいました。この映画には宗教問題、人種問題、飢饉、難民問題と多くの要素が込められていますが、その底流となっていたものは、「シュロモ」を手放した実母の愛、託された「ハナ」の命がけの愛、そして養母「ヤエル」の時間をかけた愛でした。
泣いた自分に気持の整理をさせようとして、一気に書きました。宗教の面で誤りがありましたら、どなたかお教え下さると嬉しいのですが。。。よろしくお願い致します。
Dec 22, 2006
イノセント

監督・ルキーノ・ヴィスコンティ(イタリア)=遺作。
原作・ガブリエーレ・ダヌンツィオ
この映画は「ヴィスコンティ生誕100年祭」の一環として、『完全復元&無修正版』を八月二十三日にイタリア文化会館の「ウンベルト・アニェッリ ホール」で観ました。大変に美しい画面に驚かされましたが、その折には映画感想を書く気持はあまりありませんでした。しかし、二十一日午後にコーヒーを飲みながら、何気なく観たテレビドラマで、ふいに思い出したのでした。
どうということのないドラマです。夫以外の子供を身ごもった女性が、お互いにそれを承知で結婚し、その男児を産み、さらにその後に女児も産まれ、幸せな四人家族を築いていたのですが、中学生になった息子はそれに気付くのでした。育ての父親に「僕は産まれてこなければよかったんだね。」と問いかけますが、父親はそれをきっぱりと否定します。それによって息子は本当の父親に決別するのでした。
そのシーンを観ていましたら、ふいにこの映画を思い出しました。その少年の決意に、何故か心を動かされたのです。この世に子供が産まれてくることは、どんな事情があっても祝福されるべきものであるからです。
二十世紀初めのローマ。社交界にスキャンダラスな話題を振りまくトゥリオ伯爵は、未亡人の公爵夫人テレザと関係を持ちますが、妻ジュリアーナにそれを認めさせようとします。しかし妻は作家フィリポとの不倫に走り、彼の子どもを身ごもりましたが、お互いに離婚はできません。苦しみと憎しみと嫉妬のなかで子供は産まれてきたのです。そこでジュリアーナの子供への愛しさと、トゥリオ伯爵の子供への憎しみが交錯します。
ここにはヴィスコンティ自身を投影させた、貴族階級の地獄のような悲劇を冷徹に描き、加えてキリスト教の厳しい戒律をもこめているのではないかと思われます。これがヴィスコンティの遺作となったことも意味深いことかもしれません。
クリスマスの晩、教会に行かないトゥリオは、家族の留守に、乳母も無理矢理教会に行かせて、雪の降る戸外へ赤ん坊を晒して殺してしまうのでした。夫のもとを去る妻のジュリアーナ。トゥリオはテレザのもとへ戻るが、結局トゥリオはピストル自殺で幕を閉じるのだった。
「地上のことは地上で決着をつけたい」これが無神論者トゥリオの考え方だった。