Aug 15, 2009

ビルマの竪琴(1985)

biruma

監督:市川崑
原作:竹山道雄
脚本:和田夏十
音楽:山本直純

《キャスト》
中井貴一(水島上等兵)
石坂浩二(井上隊長)


 原作者の「竹山道雄・1903年~1984年)は、評論家、ドイツ文学者、小説家。第一高等学校教授、東京大学教養学部教授などを歴任した。一高教官として多くの教え子を戦場に送り出した体験に基づき、1947年に小説『ビルマの竪琴』を発表。1948年に毎日出版文化賞を受賞。「竹山道雄」が唯一書いた「児童読み物」という意味でも、この小説への思いの深さがわかります。
 さらに、この小説の映画化は、同じ監督「市川崑」によって、1956年、1985年と2回行われているということも稀有なことかもしれません。

 ビルマ(現・ミャンマー)に送られた部隊の兵士たちの敗戦から捕虜収容所での日々と帰国までの物語です。事実ではないと言われてはいますが、水島上等兵のモデルは、福井県永平寺で修行中に召集され、南方戦線を転戦しビルマで終戦。捕虜収容所では合唱団を結成していたという。復員後、群馬県昭和村で僧侶になった方のようです。その後ミャンマーキンウー市に小学校を寄贈、2008年12月17日死去。享年92。

 小説と映画のなかでは、「水島上等兵」は部隊の方々と共に復員せず、ビルマで僧侶となり、ビルマで戦死した多くの兵士たちの御霊を守るために残ります。

inko

 おそらくビルマにはたくさん生息していたのではないか?と思われる、人なつこい「インコ」が2羽登場します。1羽は部隊を離れて僧侶として、ビルマの戦没者埋葬に働く「水島上等兵」の肩に。もう1羽は「井上隊長」率いる部隊に。前者が覚えた言葉は「にほんにいっしょにかえれない。」・・・後者は「みずしま、いっしょににほんへかえろう。」でした。この「インコ」は島に住む老婆によって交換され、後者は復員船に乗りました。

ミャンマーの竪琴

 竪琴の美しい音色はいつまでも耳に残ります。戦争は何だったのでしょう?さまざまな凄惨な場面を見て、あるいは体験してきた人々すべてが狂気の時間だったはずです。その「シンドローム」から開放された人々が果たしているだろうか?
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Aug 11, 2009

HACHI・約束の犬

HACHI

監督:ラッセ・ハルストレム
パーカー・ウィルソン教授:リチャード・ギア



HACHI・約束の犬


ご存知、渋谷駅前の「忠犬ハチ公」物語のアメリカ版です。
アメリカ郊外のベッドリッジ駅。寒い冬の夜に、迷い犬になった秋田犬の子犬を保護したパーカー・ウィルソン教授は、子犬を飼うことになりました。首輪のタグに刻まれていた漢字「八」から、「ハチ」と名づけられた子犬は、パーカーの愛情を受けてすくすくと成長していくのでした。ここまではアメリカ版。何故迷い犬になったか?それは日本の「山梨」という土地のお寺(←なぜだか、わかりませぬ。)からアメリカまで送られることになった子犬の檻に、付けてあった荷札が、列車、飛行機、トラックと移送される間にちぎれてしまい、しかもアメリカに辿りついたものの、走行中のトラックから落とされてしまった檻から逃げ出した子犬だったのでした。

 これ以上のお話はいりませんね(^^)。

 では一言。秋田犬はとってもお利口で可愛い。ただし実は、子犬の「ハチ」には柴犬の子犬を使っていたのです。以前のテレビドラマ「幼獣マメシバ」というのも観ていたのですが、これには柴犬の子犬が登場していました。あまりにも似ていたので、事実を知って「やはり・・・」とも思いましたが、秋田犬はすぐに大型犬になってしまうからだったそうです。わたくしは実は犬好きなのです。夢は「セントバーナード犬」ですが、人間よりも短命だと知った少女期から犬は飼っていません。それなのに「ハチ」は教授に先立たれてしまうのです。

 リチャード・ギア教授はステキ♪でも、講義中に倒れ突然死だった。。。

 地元の「MOVIX」に初めて行ってきました。


以前観た、教授役「仲代達矢」の「ハチ公物語」の日本版です。
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Jul 13, 2009

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トランペットを吹くジェルソミーナ

監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
音楽 ニーノ・ロータ

アンソニー・クイン
ジュリエッタ・マシーナ


昨夜、娘が録画しておいた映画「道」を観ました。


おお~ ジェルソミーナ
あわれな子
口笛ふいておどけてみせる~♪


あの有名なトランペットの曲が流れると、自然と歌っていましたが、娘に「誰が歌ったの?」と聞かれて、あらためて思いなおすと、誰がこの日本語の歌を歌っていたのかわかりませんでした。

「いい映画だったでしょ?」と娘に聞きましたら、「あんまりだわ。ジェルソミーナが可愛そうすぎるわ。」と言いました。今夜になってから「あの映画の良さはジェルソミーナの天使のような優しさ、繊細さ、にあるのですよ。」と再度問いかけましたが、「相手の男がひどすぎる。」と言うのでした。たしかにジェルソミーナの優しさに気付くのが遅すぎましたね。

  *   *   *

この女優さんがチビで目が大きくて、娘から「お母さんにそっくり。」ともいわれました。喜ぶべきか?否か??? そうです。お母さんも笑顔でいろんなことに耐えてきたのだよー♪
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Apr 13, 2009

哲学者 鶴見俊輔

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 12日、NHK教育テレビで、PM10:00から11:30まで放映された「哲学者・鶴見俊輔」のインタビュー番組がありました。聞き手は「黒川創」です。これは去年に収録されたものです。現在は体調をくずされて、ある3月の講演会が残念ながら、代理の方に変わったという情報もありましたので、寂しく思っておりましたが、鶴見さんのしっかりとした語り方をテレビを通して観られたことは幸せなことでした。さらに驚いたことは鶴見氏の眼光でした。決して鋭いわけではないのです。それはむしろ「明るい光」のようなやさしさのなかに、決して世界のあやふやな動静を見逃すまいという眼でした。そして少年のような笑顔、インタビュアーの質問に即答できる豊かな「引き出し」を感じました。

 哲学者・鶴見俊輔(86歳)は、自分より先に逝ったさまざまな人に「悼詞」を書いてきました。鶴見氏の著書は膨大なものですが、この番組のなかでは、その「悼詞」を中心として語られていました。1951年、銀行家・池田成彬から始まって、2008年、漫画家の赤塚不二夫まで57年間で125人にも及ぶそうです。高橋和巳、竹内好、志賀直哉、寺山修司、手塚治虫、丸山眞男、小田実などなど戦後日本に大きな影響を与えた人たちに送った「悼詞」です。この「悼詞」に登場する人々から、鶴見氏はさまざまな考え方を授かったことに感謝しながら、生きている者の使命として、まだ語り残さなければならないことが、多くあるとのことでした。それはまた鶴見氏の残された時間との戦いでもあるのでしょう。

 鶴見俊輔は、知識人の戦争責任(転向)、原爆、60年安保、ベ平連、憲法九条の会、など精力的に活動し、ふつうの市民(ここが大事な点!)と共に歩いてきました。こうして鶴見氏は「死者125人」の「戦後」を見つめ続けてきました。

 このインタビューのなかで、最もわたくしの心に残ったものは「人民の記憶が大事なものであって、国家の記憶などは意味がない。」という言葉でした。たとえばかつての戦争で、自らの意志ではなく、戦場に行かされた人民が、家族にさえその実体を隠すことなく語れた者がいただろうか?という言葉でした。
 もうひとつのお話は、アメリカ留学中に鶴見氏は実際に「ヘレン・ケラー」に会っています。お互いに大学が近かったそうですが、彼女は大学でよく学びました。もちろん鶴見氏も不良少年、自殺願望少年を経て、よく学びました。しかし大学を卒業した「ヘレン・ケラー」は、その学んだものを「学びほぐす」ということを実践したそうです。

  *   *   *

国家はすべての冷酷な怪物のうち、もっとも冷酷なものとおもはれる。
それは冷たい顔で欺く。
欺瞞はその口から這ひ出る。「我国家は民衆である。」と。
            (ニーチェ 「ツァラトゥストラはかく語る。」)

死んだ人たちの伝達は生きている
人たちの言語を越えて火をもって
表明されるのだ。
   (T・S・エリオット「西脇順三郎訳」)

  *   *   *

記憶がホットなうちに急いで書きました。パスカルのように(^^)。
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Mar 27, 2009

忘れられし王妃―イラン革命30年、ふたりの女性の人生の空白

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BSハイビジョン特集(3月24日(火) 午後8:00~9:30)

1979年のイラン革命から30年後。革命によって人生の大転換を迫られた、2人の女性の対話を追ったドキュメンタリー番組でした。1人は、イランのパーレビ国王の3番目の妻であり、国王と共に革命によって追放され、さまざまな国を彷徨い、国王を亡くし、今はイギリスに亡命中の「元王妃ファラ・パーレビ」。もう1人はこのドキュメンタリーの監督であり、スウェーデンに亡命中の、イラン人女性の「ナヒード・ペーション」。イギリスにおいてさまざまな場面での二人の対話を追ったものでした。一旦は中断し、これ以上の対話は無理ではないか?と思いつつ観ていましたが、再開され二人の対話は続き、監督はねばり強く「元王妃」と行動を共にする。しかし、二人が会うことの決定権はすべて「元王妃」にあったことを書いておこう。

 監督は30年前、共産党員として革命に加わり「王妃」たちを追放した側にいました。だがこの革命の実態はどうだったのか?この革命の指導者「アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー・1902年~1989年」は、イランのシーア派(十二イマーム派)の精神的リーダーであり、1979年にイラン国王を追放したイラン革命の指導者である。イランの現在の政体、イスラム共和制は彼によって打ち立てられた。この宗教色の濃厚なやり方はあまりにも残酷なことであった。だからと言って「王政」が正しかったとも言ってはならないことだろう。

 「ぺーション監督」は、学生の頃、共産主義信奉者で、学生運動にも参加していました。彼女の17歳と15歳の弟は、革命後に、捕らえられ、17歳の弟は、身代金を用意している間に処刑され、遺体を引き取りたいのなら、お金を払えと言われた。 「ぺーション監督」は、母親の絨毯織りで生計を立てる貧しい家庭に育った。それに対して「元王妃ファラ・パーレビ」の生活には貧しさは微塵もなかった。「生涯愛した方は国王のみ。」という矜持はたしかに美談だが、貧しさの渦中においてなら人間はどこまで矜持を保ち続けることができただろうか?フランスの著名なデザイナーのショーに招かれる「元王妃」には、専用の送迎の飛行機が用意されるという身分なのですからね。イラン革命30年後の「2人の女性の対話」として、どこか腑に落ちないものがある。「監督」は「元王妃」が革命を本当はどう総括しているかについては迫りきっていない。次第に「元王妃」を老いをみつめる「ひとりの女性」として描き始めるのだった。。。

  *   *   *

 ふと、ある友人の言葉を思い出す。「文学者が国会に出て意見を述べなくてはならない政治というものは、まだ未熟な政治ではないのか?」。これはかつてアフリカのノーベル賞作家「ウォレ・ショインカ」が、国会で弁舌したという事実への言及であったのだが。。。
 これは、フセインの宗教に結びつけた政治と権力とを前面に出した、無謀で残酷な革命後の政治の大きな誤りにも言えることではないか?異教徒の存在は排除されるという大きな犠牲が生まれるのですから。。。「ウォレ・ショインカ」は、「ヨルバ神話」「ギリシャ神話」からアフリカ文化の根源を見つめながら、キリスト教との宗教共存を望んだ文学者だった。

 書き終えて、自らあきれる。手に負えないような大きな問題を無知を承知でよくも書くものですねぇ・・・・・・と。お粗末さまでした(^^)。
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Feb 07, 2009

モーターサイクル・ダイアリーズ

gebara

監督:ウォルター・サレス
製作総指揮:ロバート・レッドフォード
脚本:ホセ・リベーラ
音楽:ホルヘ・ドレクスレル(ウルグアイ人)

《キャスト》
エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ : ガエル・ガルシア・ベルナル
アルベルト・グラナード : ロドリゴ・デ・ラ・セルナ

 この映画は、キューバ革命の指導者「チェ・ゲバラ(本名:エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)」と、友人アルベルト・グラナードの若き日の南米旅行の著作「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」をもとに、ロバート・レッドフォードらによって2004年に制作されたもの。

 1952年、本でしか知らない南米大陸を、自分の目で見たいという思いから、アルゼンチンに住む23歳の喘息持ちの医学生のエルネストは、7歳年上の友人のアルベルトと共に1台のバイク(ポデローサ号)で、12,000キロの南米旅行へ出かける。故郷のブエノスアイレスを出発しパタゴニアへ。さらに6000メートルのアンデス山脈を越え、チリの海岸線沿いに南米大陸の北端を目指す。マチュピチュ遺跡、アマゾン川など、ロードムービーとも言えるこの映画は南米独特の風景が美しく哀しい。最下層の労働者やハンセン病患者らとの出会いなど、さまざまな出来事を通して、南米社会の暗い現実を若者の目で見ることになる。後にキューバのゲリラ指導者となった若き日のチェ・ゲバラの生涯に大きく影響を及ぼした旅行ともなった。

 この映画のなかで、最も心に残るシーンがありました。ハンセン病の方々は川向こうで集団生活をしています。日本での「強制隔離」と同じものを見た思いがしました。そこでは農業、養豚などなど、さまざまな自立生活が行われ、そこを支配しているのは尼僧たちでした。その尼僧の最高位にいる方の方針では「朝の礼拝に来ない者には食事を与えない。」という冷酷なものでした。 その対岸には病院があり、医師は舟に乗って往診に行くのですが、その時に「エルネスト」と「アルベルト」は同行します。医師はゴム手袋を二人に渡しますが、「何故、その必要があるのか?」と若い二人は質問します。医師の答えは「尼僧からの命令だ。」と答えますが、それを拒む二人の若者に無理に手袋を渡すことはしませんでした。そして二人は川向こうの人々と握手を交わして、彼等の生活に溶け込んでゆくのでした。

 サレス監督は2人の旅程を実際にたどり、またアルベルト本人やゲバラの遺族に面会するなど、リサーチに2年をかけたという。さらにゲバラの医学生としての専攻学科はどうやら「ハンセン病」だったらしい。
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Jan 25, 2009

グッバイ、レーニン!

good bye lenin

監督:ヴォルフガング・ベッカー
脚本:ベルント・リヒテンベルク&ヴォルフガング・ベッカー
音楽:ヤン・ティルセン
制作:2002年(2003年公開。ドイツ映画)


《キャスト》
アレクサンダー・ケルナー(アレックス):ダニエル・ブリュール
クリスティアーネ・ケルナー(アレックスの母):カトリーン・ザース
ララ(ソ連からの交換留学看護学生。アレックスの恋人):チュルパン・ハマートヴァ
アリアネ・ケルナー(アレックスの姉):チュルパン・ハマートヴァ
ローベルト・ケルナー(アレックスの父):ブルクハルト・クラウスナー

 東西ドイツ統合後に庶民の身に起こった家族劇の一例を描いた作品です。本国ドイツでドイツ歴代興行記録を更新したそうです。 また第53回(2003年)ベルリン国際映画祭の最優秀ヨーロッパ映画賞(嘆きの天使賞)ほかドイツ内外の様々な映画賞を受賞しました。

 アレックスは幼少時代には宇宙飛行士に憬れ、卒業後は東ドイツでテレビ修理工として働いていましたが、ベルリンの壁崩壊で国営事業所の解体により失職。母親は小学校の教師(当然、教育内容が変わる)。アレックスの姉は学生結婚の末離婚したシングルマザー。大学で経済学を学んでいたが、ベルリンの壁崩壊後に中退しバーガーキングに勤務。東西ドイツ統合が市民レベルに及ぼした影響はおびただしいものだったのだ。

 東ドイツの首都東ベルリンに暮らす主人公のアレックスとその家族。父親のローベルトが西ドイツへ単独亡命し、母親は夫からの西側への亡命要望に応えないまま、熱烈な社会主義に傾倒していった。 そんな家庭環境の中、1989年10月7日(東ドイツの建国記念日)の夜にアレックスは家族に内緒で反体制デモに参加する。それを偶然通りがかった母親のクリスティアーネが目撃。強いショックから心臓発作を起こして倒れ、昏睡状態に陥る。

 彼女は二度と目覚めないと思われたが、8ヶ月後に病院で奇跡的に目を覚ます。しかし、その時にはすでにベルリンの壁は崩壊。「もう一度大きなショックを受ければ命の保障は無い。」とドクターから宣告されたアレックスは母の命を守るため東ドイツの社会主義体制が何一つ変わっていないかのように必死の細工を周到に行なう。

 しかし母親はもう余命がなかった。アレックスは西側にいる父親を呼んで、母親に会わせる。また、映画マニアの友人デニスの協力を得て、「資本主義に行き詰まった西ドイツを東ドイツが吸収合併する」という偽りのニュース報道の映像を作成する。既にララから密かに真実を知らされていたクリスティアーネは、息子のやさしい嘘に感謝しながら、永遠に目を閉じたのだった。
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Jan 14, 2009

バティニョールおじさん

pati

監督:脚本:ジェラール・ジュニョ
制作:2002年

《キャスト》
バティニョールおじさん:ジェラール・ジュニョ
シモン:ジュール・シトリュック


 この映画は、1942年夏に、ナチス・ドイツ軍の手中に堕ちたパリを舞台に展開する 「ユダヤ人狩り」をテーマにしたものです。こういう映画や著作物に遭遇した時に、 いつも思うこと。人間は、その存在の尊厳や生死に関わるような究極の状況にある時 に、初めて見えてくるものがあります。それは「愛とはなにか?」「勇気とはなにか ?」・・・・・・と言うような根源的なものです。

 肉屋兼惣菜屋を営む平凡な主人公「バティニョール」はナチス・ドイツを支持する 娘婿、計算高い妻などに囲まれた、こころもとない中年男ですが、後半では命がけで ユダヤ人の子供たちをスイスに逃亡させる手助けをする勇気ある男となっていくというス トーリーです。

 ドイツ軍はフランス国民に対しユダヤ人の一斉検挙を要求する。ユダヤ人外科医で あるバーンスタイン一家は隣人「バティニョール」の娘婿の密告によって検挙され、 「バティニョール」は心ならずも摘発に協力してしまうことになる。このドイツ軍に 対する協力がもとで、軍に没収されたバーンスタイン家の大きなアパートもバティニ ョール家に譲られることになった。
 しかし、バーンスタイン家の息子である12歳の「シモン」と、その従姉妹「サラ」 と「ギラ」は親を失いながらも、検挙の手を逃れることができた。この3人の子供たち をスイスに送り届けることが「バティニョール」の大きな人生の仕事となったのでし た。その危険極まりない旅の資金となったものは、バーンスタイン家から没収された 「ルノワール」の絵画だったのでした。

 「バティニョール」と子供たちの、ドイツ軍からの苦しい逃亡の旅は命がけであり 、スイス国境を越えるまで、勇気と知恵を幾度も試されるのでした。「バティニョ ール」は子供たちをスイスまで送り、自らは帰るつもりでしたが、子供たちと一緒に スイス国境を越え、数年を共に暮しました。

  *   *   *

 「バティニョール」を演じるベテラン俳優ジェラール・ジュニョが、監督&脚本も手掛けています。かねてからこの時代に興味を持っていたジュニョ自身が膨大な資料蒐集とリサーチを続けて完成させた映画です。「あの時代に自分が生きていたらどういう行動をとっただろうか?」という問いかけに対する彼自身の答えがこの作品となったそうです。
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Jan 07, 2009

PARIS

s-effel

監督&脚本:セドリック・クラピッシュ

《キャスト》
ピエール:ロマン・デュリス
エリーズ(ピエールの姉):ジュリエット・ビノシュ

 ムーラン・ルージュの元ダンサー「ピエール」は心臓病で余命わずか、助かる方法は心臓移植しかなく成功率は40%~50%。つまり命の希望は半分以下。彼は移植提供者を待つ日々を静かに過ごすことを選ぶ。
 弟を案じて同居を始めるのは、三人の子供を抱えたシングルマザーの「エリーズ」。彼女はソーシャル・ケースワーカーの仕事をしている。「エリーズ」を演じる「ジュリエット・ビノシュ」は化粧もしていないが、なんと魅力的な女優だろう。
 もう若くはない人生を楽しむことを諦めている姉に「人生を楽しむように。」と言うのは「ピエール」だったが、彼の行先の見えない日々の一番の楽しみはアパルトマンのベランダからパリの街を行き交う人々を眺めることだった。

 この姉と弟、三人の子供の暮らしと関係は、映画のなかでくっきりと浮き彫りにされていますが、それ以外の登場人物は、かすかな繋がりがあるだけで、散漫にさまざまな人間が登場して、さまざまな人間の断片が繋がれてゆくという仕掛けとなっている。つまり、これが「ピエール」の見た「RARIS(2008)」の姿だというわけですね。さらに不法移民が多い街。憧れの街。民族の坩堝。そして貧しさや民族差別のことなど、パリは特別の街ではなく、どこにでもある人間の生き死にが繰り返される街にすぎないということか?。

 人々は日々を懸命に生きている?「ピエール」のアパルトマンの向かいに住む、ボーイフレンドのいる美しいソルボンヌの女子大生。彼女に恋をして関係を持つ歴史学者。彼の弟の建築家。元夫婦のジャンとカロリーヌは、離婚後も同じマルシェで働いている。エリーズと恋に落ちるジャン。カロリーヌは同じマルシェで店を構えるジャンの仲間と恋をする。民族差別の代表のようなパン屋の女主人。日々を刹那的に楽しむファッション業界の女たち。食肉野菜市場で働く男たち。その男たちが集まる酒場で働く女たち。カメルーンからの不法移民。etc。。。

 「ピエール」に病院から「心臓移植提供者」の知らせが入る。彼は冷静に病院へ行こうとする。姉にアパートの玄関で別れを告げ、最期の場所となるかもしれない病院へと向かうタクシーの中から、「ピエール」はただじっとパリの街と人々を見ていた。そして、タクシーの窓から彼を照らしているものは、晴れたパリの空だった。映画はそこで終わる。

 耳慣れた音楽だなぁ、と思ったのですが、これは「サティ」の「グノシェンヌNo.1」でした。幾度か静かに流れた音楽でした。(渋谷 bunkamura ル・シネマ)にて。
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Nov 04, 2008

さらば、わが愛 覇王別姫 (1993)

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監督: 陳凱歌
脚本: 李碧華
製作国: 香港&中国
上映時間: 約一七二分

《キャスト》
程蝶衣〈チョン・ティエイー〉:張國榮(レスリー・チャン)
段小楼〈トァン・シャオロウ〉:張豊毅(チャン・フォンイー)


 日中戦争や文化大革命など近代中国の五十年の時代に翻弄された京劇役者の段小樓と程蝶衣の生涯を描いた映画です。「覇王別姫」とは、四面楚歌で有名な項羽と虞美人を描いた京劇であり、この役で人気を得た二人であった。また、わたくし自身が産まれ、生きてきた日々は、ほとんどこの時代に当てはまるという事実にも深く考えさせられることとなりました。

 「京劇」について少しだけ書いておきます。これは日本の「歌舞伎」ととてもよく似ていて女性の役者はいません。「女形」です。多分この映画が描きだした時代の五十年に限って言えば「歌舞伎」は世襲制だったのではないでしょうか?しかし「京劇」の役者は、男子の孤児や貧民の子や捨子ばかりです。京劇の養成所では、暴力的かつ残酷な訓練が日々繰り返され、やがて役者として育てられます。その教育過程は目を覆いたくなるほどの残酷なものでした。
 さらに驚愕したことは、娼婦の母親に連れられてきた私生児の程蝶衣(本名=は小豆子。)は、片手の指が六本あるという奇形でしたので入所を断られます。母親は息子の行く末を思い、その余分な指を自分の手を下して切断してまでも、強引に養成所に入れるのでした。

  *   *   *

 ここで気になりますので、ざっと日本の「歌舞伎」の歴史に触れてみます。もとよりこの方面には疎いわたくしですが、必要最小限の範囲でメモしておきます。

 一六〇三年に北野天満宮興行において、京都の出雲阿国(いずものおくに)の演じたものが「歌舞伎」の発祥というのが定説でしょうか?阿国は出雲大社の巫女であったとも河原者でもあったとも。。阿国はその時代の流行歌に合わせて、踊りを披露し、また男装するなどして当時最先端の演芸を生み出した。
 阿国が評判になると多くの模倣者が現れ、遊女が演じる遊女歌舞伎(女歌舞伎)や、前髪を剃り落としていない少年俳優たちが演じる若衆歌舞伎がおこなわれていたが、風紀を乱すとの理由から前者は一六二九年に禁止され、後者も売色の目的を兼ねる歌舞伎集団が横行したことなどから一六五二年に禁止され、現代に連なる野郎歌舞伎となる。歌舞伎において「女形」が存在するのはその理由からであろう。それは江戸時代に洗練され完成した。このあたりから「世襲制」となったのだろうか?

  *   *   *

 新入りの小豆子(のちの程蝶衣)は他の子供たちからいじめられたが、彼を弟のようにかばったのは小石頭(のちの段小楼)だけだった。二人は成長し、女性的な小豆子は女形に、男性的な小石頭は男役に決められる。やがて成長して京劇『覇王別姫』のコンビとして人気役者となりますが、段小楼は娼婦の菊仙(鞏俐)と結婚、ひそかに彼を慕い続けた程蝶衣の孤独感は深いものとなった。ここでコンビの決別。程蝶衣の人生は頂点から次第に奈落へと。。。

 その時期に北京は日本軍に占領された。理不尽な風の吹くなかで、深く傷ついてゆく三人の運命。程蝶衣はアヘンに溺れることも、刑務所に入ることもありました。日本軍の敗退で抗日戦争は終わりますが、一九四九年に共産党政権樹立。一九六六年には「文化大革命」。共産党の厳しい政治的圧力を受け、「京劇」は堕落の象徴として禁止され、三人ともがまたまた精神的に極限まで追い詰められ、生き延びるために醜く罵りあうことすらあった。この時期に菊仙は自殺。

 一九七七年、程蝶衣と段小楼は無人の体育館で、十一年ぶりに二人だけで最後の「覇王別姫」を演じる。舞い終わった時、程蝶衣は自らの命を断った。なんと言えばよいのだろうか?約三時間のこの映画を観るのは辛かった。辛いからこそ、次の幸福を求めながら観続けるのでしたが、最後まで辛い映画でした。戦争や権力がいかに人間の運命を翻弄することか。今までも何度思ったことか。。。

 この映画は一九九三年の第四六回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞。
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Nov 02, 2008

イル・ポスティーノ(1994)

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監督:マイケル・ラドフォード
原作:アントニオ・スカルメタ

《キャスト》
マリオ:マッシモ・トロイージ
パブロ・ネルーダ:フィリップ・ノワレ
ベアトリーチェ:マリア・グラッツィア・クチノッタ


 「イル・ポスティーノ」は英訳すれば「ザ・ポストマン」となりましょうか。

 一九五〇年代の一時期、祖国を追われた実在の詩人、外交官・国会議員(さらに共産主義者)のパブロ・ネルーダがカプリ島に亡命した史実にもとづき、架空の漁村を舞台にこの物語ははじまります。

 島民の殆どの男たちが漁師であるこの漁村の島で、内気な青年マリオは、漁師の父親に背いて、文字が読めることから郵便配達の仕事に就く。島は権力者の怠慢と傲慢のもとで、慢性化した水不足と貧しさのなかにあった。届け先は、チリから亡命してきた詩人パブロ・ネルーダの家だけでした。識字率の低いこの村で、これは偶然の出来事ではないかもしれません。亡命詩人のもとには、毎日たくさんの世界中からのファンレター、贈り物などが、届けられました。つまり二人は毎日のように会い、次第に会話は広がり、二人の間にはゆっくりと友情が育てられてゆきます。

 パブロ・ネルーダとの交流のなかで、マリオは「詩の隠喩」を理解します。ここからマリオの詩作へ向けての新鮮な一歩が始まりました。この詩は密かに愛する女性「ベアトリーチェ」の心を動かしました。紆余曲折はあったものの、二人は結婚します。

 マリオは、パブロ・ネルーダが妻マチルデに送った詩を、ベアトリーチェに捧げますが、「他人の詩を使うことは感心せん。」と言うネルーダに、マリオは「詩は書いた人間のものではなく、必要としている人間のものだ。」と詩の本質を突くまでになっていました。

 やがて、二人は結婚、もちろん祝いの席にはパブロ・ネルーダもいました。その最中に、彼の追放令が解除されたとの知らせが入り、ネルーダ夫妻は帰国。喪失感のなかで、マリオはやっと詩人との真の心の交感を理解してゆくことができた。翌日から彼は、島の自然の音(波の音、風の音、星空の音さえも。。。)を録音し始め、彼の心の世界は広がった……。それがマリオのパブロ・ネルーダへ届ける詩ではなかったのか?

 数年後、ネルーダ夫妻が島を訪れた時、そこにはベアトリーチェとマリオの息子パブリートの姿しかなかった。マリオは共産党の大会に参加し、パブロ・ネルーダに捧げた詩を労働者の前で発表するために大衆の中をかき分けて進んだ時、暴動が起きてその混乱の中で命を落としたのだった。

 「革命」と「詩」とが、互いに言葉を求め合い、共振した時代がここにはありました。それは激しい戦いの時代が生み出した「静かな叙事詩」であったように思えてなりません。

 【付記】

 この映画の丁寧な感想を桐田真輔さんが書いていらっしゃいます。詳細をお読みになりたい方は、是非こちらをお読み下さい。わたくしにはこれほどのことは書けませんので。
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Oct 21, 2008

ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)

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監督:ノーマン・ジュイソン
製作:ノーマン・ジュイソン ・ ロバート・スティグウッド
原作戯曲:ティム・ライス
脚本:ノーマン・ジュイソン ・メルヴィン・ブラッグ
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:アンドリュー・ロイド・ウェバー
編集:アントニー・ギブス
振り付け:ロブ・イスコーブ

 これは「ロック・オペラ」と言えばいいのか?つまりミュージカル映画でもあります。この方法で聖書の世界を描くわけで、大変複雑な思いで観ました。「序曲」はナゲブ砂漠からはじまりました。遥か遠くから砂埃を舞い上げて、一台のバスが現われます。バスには五十人の若者、衣装や小道具が積まれ、大きな十字架が載せられていました。若者たちは各々衣装をつけ始め、映画は始まりました。つまり制作過程から始まるのでした。

 イエス・キリスト役は「テッド・ニーリー」である。ユダ、使徒たち、マグダラのマリア、司祭長のアンナス、カヤパ、シモン・ゼラト、 総督ピラト、などなどこれらの複雑な人間関係は説明できない。「聖書」を全部読んでいませんので。

 この映画では、自分を慕う者たちへの心労、敵からの脅威、癩者たちの願いなどに疲れ果てたイエスがそこに在ることに改めて驚くわたくしでした。たくさんの癩者に囲まれて「私に触れてください。」「私を救ってください。」という願いに、「数が多過ぎる。」と無力感に襲われ「Leave me alone!」と叫んだシーン。。。(←ここを言いたいがために、これを書いているようなものです。恥。)

 「ヨハネ伝第十九章四十一節」を演じ終えた一座は帰ってゆく。イエス・キリストに扮した若者だけが憂い顔で。。。
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Sep 10, 2008

画家と庭師とカンパーニュ

gaka-niwasi

監督:ジャン・ベッケル
原作:アンリ・クエコ
脚本:ジャン・ベッケル 、ジャン・コスモ 、ジャック・モネ



 老年はわれわれの顔よりも心に多くの皺を刻む。  モンテーニュ

 ある先輩詩人がブログで紹介なさっていた映画ですが、ずっと気になっているのに、なかなか腰が上がらない。もう上映期間の終わりも迫ってきましたので、「エイヤ!」と腰をあげて渋谷まで観に行ってきました。淡々としたストーリーでしたが、期待は裏切られませんでした。

 老境に入った孤高の画家「キャンバス」が、亡くなった父母の郷里の家に、都会に家族を置いたまま帰郷しますが、家は荒れ果てていました。まず庭の手入れのために庭師を呼びますが、その庭師「ジャルダン」は、もと国鉄職員で退職後に庭師をやっているのでした。その二人はなんと小学生の時のクラスメートで、一緒に担任教師に悪戯をした仲だったのです。

 ヌード・モデルに常に恋してしまう画家「キャンバス」は、ついに妻から離婚を迫られていますが、一向にその悪癖は直らない。しかも画家の世界でも孤高。さみしい画家です。
 妻を唯一大切な人生の伴侶として生きてきた庭師「ジャルダン」とは、対照的に描きだされていますが、この二人の友情は、互いの生き方の相違を知り、今までの人生を語りあいながら、二人は共にその家全体にいのちを吹き込もうとしたのです。なつかしい思い出を家のあちこちに見つけながら、画家はみずからの魂のルーツにまで辿りつくのでした。二人の日々は微笑みに満ちていました。

 しかし、フランスの田舎町の穏やかな陽ざしと、緑豊かな自然のなかでの時間は、あっけなく終わってしまいます。「キャンバス」が急いだ医師の手配も間に合わず、庭師「ジャルダン」は末期癌で亡くなりました。庭師が最期まで画家に頼んだことは「もっと明るい絵を。もっと身近なものを。」ということでした。

 最期のシーンは「キャンバス」の展覧会。そこに並んだ絵画は、すべて「ジャルダン」が手にしたものばかりでした。草刈鎌、ナイフ、ロープ、愛用の赤いスクーターなどなど、そして庭師の着衣の妻、庭に咲いた花、実った野菜や果実でした。画家はまた新しいスタートラインに立ったのではないでしょうか。

Posted at 20:28 in movie | WriteBacks (0) | Edit

Aug 29, 2008

恋人たちの食卓

tea

脚本・監督: アン・リー 
制作:シュー・リーコン
製作国: アメリカ、台湾


 アン・リー監督が「推手」「ウェディング・バンケット」に続く「父親三部作」の第三弾として、父と娘とのそれぞれの生き方を描くホームドラマです。名シェフの父親が主人公となっていますので、多種多様の豪華な中華料理が登場します。

 舞台は台北。一流ホテルの名シェフ「チュ」は、男手一つで三人の娘を育ててきました。長女の「チアジェン」は高校の教師、次女の「チアチエン」は航空会社に勤めるキャリア・ガール、三女の「チアニン」は、アルバイトに忙しい大学生です。
 日曜日には家族全員が集まり、父親の特製料理を囲むのが姉妹たちが小さな頃からの習慣でしたが、姉妹たちは次第に大人になってこの晩餐が重荷になってきます。ある日曜日、かつてシェフへの希望を父に反対された次女は、父の味覚が衰えたと非難します。名シェフの父は味覚を失う病気になっていたのでした。

 やがて三姉妹にも恋の季節がやってくる。まず三女はボーイフレンドのクオルンと「できちゃった婚」、長女は新任のバレーボールのコーチのミンタオと家族への報告なしの結婚、父親は隣家に住む子持ちのチンロンと結婚する。さらに数カ月後に、恋人関係を友人関係に変えて、アムステルダムヘ支社長として旅立つ次女。ここで一つの家族は解散する。永年家族がともに暮した家が売りに出される前に父親は、その家で次女の料理を初めて食べるのだが、そこで父親の味覚は戻る。

 ざっとこのような物語です。わたくし自身が三姉妹の末娘でしたので、姉妹それぞれの生き方の違いが実感として理解できました。同じ親を持ち、同じ家で育ったはずなのに、姉妹の生き方というものは、異質と言えるほどの違いがありました。誰が一番幸福だったのか、計りようもありません。父母が幸せな生涯であったのかもわかりません。それは誰にもわからないことでしょう。

 ただ愛した人がいた。あるいは今いる。どのように愛するか?そして住む家があり、食べ物がある、生きることとはそのようなものではないか?名シェフの父親の生き方の最後の選択をみれば、それは痛いほどにわかる。「チュ」はおそらく、孫ほどの少女とその母親と共に「家族の晩餐」を改めて出発させたのではないのか?

 「恋人たちの食卓」・・・・・・このタイトルに改めて戻ってみますと、家族すべての恋は、この食卓で語られ、騒ぎを起こし、そしてそれぞれの生き方を見つけたのですね。
Posted at 12:25 in movie | WriteBacks (0) | Edit

Aug 20, 2008

崖の上のポニョ

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原作・脚本・監督:宮崎 駿
プロデューサー:鈴木敏夫
作画監督:近藤勝也
制作: 星野康二

声の出演
ポニョ: 奈良柚莉愛
宗介: 土井洋輝
リサ(宗介の母): 山口智子
耕一(宗介の父): 長嶋一茂
グランマンマーレ(ポニョの母): 天海祐希
フジモト(ポニョの父): 所ジョージ
ポニョのいもうと達: 矢野顕子

主題歌
「海のおかあさん」歌: 林正子
作詞:覚和歌子 宮崎駿 
作曲・編曲: 久石譲 

「崖の上のポニョ」歌: 藤岡藤巻と大橋のぞみ
作詞:近藤勝也  補作詞:宮崎駿 
作曲・編曲:久石譲

 海に棲む少女(少魚?)「ポニョ」の生い立ちはすでにこの物語の展開を予感させるものでした。母親は人魚の「グランマンマーレ」、父親は「グランマンマーレ」に恋をして、汚れた人間界を捨てて海を選んだ男「フジモト」。しかし海洋汚染も進んでいる。海底に特殊なコロニーを作り上げた父親は、そこで「ポニョ」とたくさん(!)の妹たちを育てていました。「グランマンマーレ」は多産な人魚ですね。「木花之佐久夜ひめ」のようだと思いました(^^)。

   その海とそれを抱いている小さな町が舞台です。その町の海辺の崖の上の一軒家に住む五歳の少年「宗介」は、ある日、クラゲに乗って海底のコロニーから家出した「ポニョ」と出会う。地引網にかかって浜辺近くで困っていたところを、「宗介」に助けてもらったのだ。この「宗介」の名前を決めたのはもちろん監督の宮崎駿ですが、この名前が、夏目漱石の「門」の主人公からとったものだそうです。
 一目で宗介のことを好きになるポニョ。宗介もポニョを好きになる。「ぼくが守ってあげるからね」という可愛い約束は二人の大きな試練となる。「ポニョ」が人間になりたいと願ったため、海の世界は混乱に陥り、「宗介」の父親の船を含めて、海上の船は難破する。人間の町に大洪水を引き起こすことになるのだが。。。

 どんな時代であれ、五歳の少年から見た世界は美しく生きるに値する。

 この映画のなかに監督が盛り込んだメッセージは、微細でありながら非常に多くのものがあります。例えば海の中の描き方です。古代魚も含めて魚類の豊富さを示していたこと。そして洪水という海の怒り、地引網漁の海底破壊など。
 また「宗介」の通う保育所「ひまわり園」はデイケアサービスセンター「ひまわりの家」に隣接していること。これはすでに行われているシステムですね。ここで老人と子供の人間関係を育てようという試みです。そしてこの「ひまわりの家」に働いているのが「宗介」の母親です。毎朝二人は崖の上の家を車で下りて、通っているのでした。

 大洪水の後で「ポニョ」は人間の少女として、グランマンマーレ(ポニョの母)から、リサ(宗介の母)に託されます。これは海や空から託された願いの姿だったのでしょう。この物語が特異と思えるのは、映画鑑賞中に目を被いたくなるような「悪役」がどこにもいないことでした。大洪水の犠牲者もいなかったのでした。

 (おまけ)
 ポニョのたくさん(!)のいもうと達の声を担当したのが「矢野顕子」だったと後で気付きましたが、これほどの適役は他にはいなかったことでしょう。にこにこにこ。。。
Posted at 15:52 in movie | WriteBacks (0) | Edit
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