Apr 30, 2006

良寛  水上勉

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 草枕夜ごとにかはるやどりにも結ぶはおなじふるさとのゆめ  良寛

 『私も九歳の経験があるのでかくいうが、その「出家」とは、旅立ちであるゆえに、出発の日から、家郷を抱くのである。父母を抱きなおすのである。良寛の旅立ちもそれを教える。』これは九歳で「出家」の経験を持つ水上勉による良寛への思いである。水上勉はみずからの体験を幾度も良寛に重ねながら、敬愛を込めてこの本を書きすすめていったように思いました。
 しかし残念なことですが、この一冊をわたくしが総て理解できたわけではない。良寛の生きた時代背景、宗教やそこに登場する幾多の僧侶に対する知識、「荘子」「龐」の思想、そこまでわたくしの知識は充分に届いていない。わたくしの予想通りに時間のかかる読書となった。無念さがあるがいたしかたない。無事に読み終えた自分を褒めてあげよう(^^)。。。

 良寛(栄蔵)は名主の家に産まれるが、飢饉、洪水、大火災などに経済が大きく揺れた時代であり、決して恵まれた少年期ではなかったようだが、書物に接する機会だけはあったようです。宗教も幕府からの干渉と規制がきつく、あってはならぬことだが、宗教の世界は非常に厳しい人間の差別を産み出していた。さらに重ねてキリシタン禁制の時代でもあったのだ。こういう時代に家を継ぐことをせずに、遅い出家をした良寛は当然乞食のような宗教者となるしかないではないか。彼の生きる道標となったものは「国仙和尚」の直の教えと、「荘子」「龐」の教えであったようだ。しかしこの本でわたくしは「素願」という言葉も知った。境遇やさまざなな教えよりも先立つものとして、人間が本来的に持っていた願いというものがある。良寛を導いたものはここにあったのではないだろうか?

 夜は寒し麻の衣はいとうすしうき世の民になにをかけまし

 天も水もひとつに見ゆる海の上に浮かびて見ゆる佐渡が島山

 水上勉は、さまざまな前人の残した膨大な量の良寛の評伝に対して謙虚に丁寧にあたり、かすかな反論も反論という姿勢は持たずに、素朴な疑問の形として残し、その上で水上は初めて自論を差し出して見せるのでした。
 さて中間部にきて、水上の良寛への信頼が少し揺らいでいるようだった。それは良寛の出家から、さまざまな紆余曲折の末に、教団へ背を向けた乞食坊主には、激しい詩歌への思いはあるものの、良寛がかつて尊敬し、学んだ僧侶の生き方(労働をするということ。)とは離れていることへの憂慮である。 しかし、良寛は「五合庵」においては、一人の僧侶としてではなく、無垢の子供のなかに仏心を見い出し、ひたすら多くの詩歌を書き続ける。これは水上勉自身の僧侶から文人への転身と類似した心の道のりではなかったか?
 良寛は詩歌に激しく関わることによって、たくさんの良き友を得る。乞食坊主の身ではあるが、これによってのびやかに生き生きとした日々はようやく訪れるようだった。水上勉はこう記している。『もともと文芸とはとはそういう自然なものであって、折にふれて詠む朝夕の感想を人に送り、あるいは送られて、また返書してゆく楽しみである。左様。たのしみでなくてはならぬ。』竹西寛子の著書「贈答のうた・講談社刊」に書かれていた言葉「うたはあのようにも詠まれてきた。人はあのようにも心を用いて生きてきた。」をふっと思い出す。

 人の子の遊ぶを見ればにはたづみ流るる涙とどめかねつも

 身を捨てゝ世をすくふ人も在すものを草の庵にひまもとむとは

 しかし、たとえ良寛とはいえ「老い」は容赦なく訪れる。その時期に「貞心尼」の登場であった。良寛七十歳、貞心尼三十歳という出会いであった。水上勉はこの出会いをとてもうれしく大切な出来事として書いていることがとても微笑ましい。わたくしも素直にこれにうなずくばかりだった。

 これぞこのほとけのみちにあそびつゝつくやつきせぬみのりなるらむ  貞心尼

 つきみてよひふミよいむなやこゝのとをとをとおさめてまたはじまるを  良寛

 きみにかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬゆめかとぞおもふ  貞心尼

 ゆめの世にかくまどろみてゆめをまたかたるもゆめもそれがまにまに  良寛

 たちかへりまたもとひこむたまぼこのみちのしばくさたどりたどりに  貞心尼

 またもこよしばのいほりをいとハずはすすきをばなのつゆをわけわけ  良寛


 しかしその出会いの翌年には大地震が起こった。

 うちつけにしなばしなずてながらへてかゝるうきめを見るがわびしさ  良寛

 ここで水上勉は「しめくくり」のような形で「龐」の生き方と良寛の生き方を、その仏教史の時代背景と二人の生き方の類似性を差し出して、「龐」が良寛の源流ではなかったかと書いている。水上勉が引用している入矢義高の解説にあるように『あなたの悟りを、あなた自身の言葉に定着させて言ってみてくれ』(求道と悦・龐居士――その人と禅 より。)ということに集約されてくるようだった。

 その地震の三年後に良寛は逝去。貞心尼との歳月はわずかに四年間だったことになるが、はかなくもうつくしい歳月であったことだろう。

 生き死にの界はなれて住む身にも避らぬ別れのあるぞかなしき  貞心尼

 うらをみせおもてをみせて散るもみじ  良寛


 この本を読みながら、しきりに上野の国立博物館の「書の至宝展」で観た、良寛ののびやかでやさしい、平仮名の多い屏風の書が思い出されるのだった。良寛は勿論漢詩も残しているが、ここに水上勉が取り上げた詩歌は、平明で平仮名の多いことにあらためて気付かされた。ここにも良寛の生き方が投影されているように思えてならない。

 【付記】

 この読書に苦戦しているわたくしの惨状(?)に手をさしのべるように、桐田真輔さんから、ご自分のもっていらっしゃる「良寛全集」からコピーした「鉢の子」に関する詩歌二十数編をいただきました。これはわたくしの読んだ水上勉の著書には取り上げられていないものでした。これによって良寛の托鉢の様子と「鉢の子」によせる愛しさが少し見えてきました。とても嬉しかった。

 道のべの菫つみつゝ鉢の子をわすれてぞ来しその鉢の子を

 鉢の子をわが忘るれど取る人はなし取る人はなし鉢の子あはれ


 (昭和五十九年・中央公論社刊)
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Apr 25, 2006

東京奇譚集  村上春樹

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 春雷が二日続いた。夏の雷とは違って奇妙な胸騒ぎのする気象現象だが、それは特例ではないので、わたくしも特別な意味付けは避けることにしよう。人間は、自らの生きている理由をなにものかに託したいと思うし、託されていたいとも思うものかもしれない。この五編の短編に書かれた一種の「超体験」は、一編一編がそれほどの傑作(すみませぬ。)とは言いがたく、物語の構成もいびつであり、読み手としては苦しいものもあったが、一冊を読み終わるころには、わたしなりの答えは準備されたと思う。

 現実のなかでは、その自らのわずかな「超体験」の意味は他者には意味のないことではないか?わたくしにもこうした時空を超えたささやかな体験や、自らの名前を失ったという体験がないわけではない。前者の体験は幸福な記憶として残り続けることだろう。しかし後者の記憶はその要因を含めて、季節の過ぎ去るのを待つしかない。ひとが生きるということは、丹念に、よりうつくしい思い出を積み上げてゆくことのみではないのかと近頃は思うようになった。そんな時期にこの本を読んだ。

 『偶然の旅人』はまさに、偶然の不思議で幸福な出会いや出来事である。それをひとが大きな出来事と思うか、思わないかによって、それぞれのひとの生きる方向性が見えるのだった。『ハナレイ・ベイ』は死者と生者との地上での再会であり、『どこであれそれが見つかりそうな場所で』は、数分後には帰宅するはずだった人間が忽然と消えるという出来事だ。二週間という時間の経過の後に、その人間は保護されるが、髯が伸びたり、痩せていたりという現実的な時間の経過はあるが、その人間の心のなかは全く空白だった。

 『日々移動する腎臓のかたちをした石』は、主人公の作家の書きかけの小説ネタである。ちょっと苦しい。。。この作家は十六歳の時に、父親が言った「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それより多くもないし、少なくもない。」という言葉の縛りのなかで生きている。一人目の女性は彼の一番の親友と結婚してしまう。この物語のなかでは二番目の女性に出会うことになったが、彼女も立ち去る。続きの三番目の女性との出会いの予感もなく終わった。

 『品川猿』は、ある日から、主人公の女性が自分の名前の記憶だけを失うというお話だ。その原因を手繰ってゆくと、名前の盗人は「猿」だったという展開なので、猿芝居(失礼!)とは言わないが、狸の尻尾みたいなお話だ。その名前と引き換えにその女性は、少女期に家族から本当は愛されていなかったという、一種のベールを被せておいたままにしておいた時間を、その猿から暴かれるという展開だ。

 ひとが幸福に生きるということがほとんど不可能に近いことだとすれば、「奇跡」とか「偶然」とか、あるいは「記憶の喪失」というようなことが、ひとを救済することとなり得るのではないのか?ふと、そのような思いが心をよぎるのだった。。。

 (二〇〇五年・新潮社刊)
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Apr 24, 2006

孤独を生ききる  瀬戸内寂聴

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 「人間はみなそれぞれに孤独でしょう。」と言うわたしの発言に対して、「孤独についての解釈は、欧米文化と日本では異なる。」と教えていただいたことがある。「孤独」を広辞苑でひくと「みなし子と老いて子なき者」となる。さらに「鰥寡=かんか」をひくと「妻を失った男と夫を失った女」となる。これは情況としての孤独のようですね。魂の問題ではないようです。

 この本は九年前に死んだ独り身の姉の書棚にあったものでした。大半の書籍は姉やわたしの友人に差し上げましたが、何故か気になって手元に残した本のなかの一冊でした。ここに書かれている「孤独」もやはり情況的な孤独であったと思いました。さらに瀬戸内寂聴の「孤独」とは仏教と重ね合わせてどのようなものであったかは、かなりあいまいである。

 はたしてこの本を読んだ人々が瀬戸内寂聴が「はじめに」のなかで書いてあるように「あなたの孤独が私の孤独に溶け込み、吸収されますように。」という願いが届いたのだろうか?という疑問が残る。死んだ姉がこの本によって癒されたとは到底思えない。確信しているのだが、死んだ姉を一番理解していたのは、このわたしだからだ。

 今日は病院に行った。病院は老人が多い。(あら。あたしもそうかしらん?)今日見かけた老人は、医師だけに辛い身体的症状と生活上の困難さを訴えるだけでは気がすまないらしく、待合室では周囲の人に語りかける。診察が終われば会計の受付の事務員に訴える。処方箋を持って薬局に行くと、そこでは薬剤師に訴える。その「訴え」は当然わたしの耳に届く。彼が独居老人だということもわかった。こんな時に前記の「孤独」を思い出して、実に日本的な風景だなぁと思うことがある。

   (一九九二年・光文社刊)
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Apr 23, 2006

こくりこ日記

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 この「ふくろう日記」の別室の「こくりこ日記」をつくりました。
 どうぞそちらにもお立ち寄りくださいませ。あちらでは「遊び心」で書いてゆきたいと思います。
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Apr 19, 2006

灰色の魂  フィリップ・クローデル

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 フィリップ・クローデルは一九六二年フランス、ロレーヌ地方生まれ。四月十日に書いた「リンさんの小さな子」と同じく翻訳者は高橋啓だが、こちらの原作は翻訳者泣かせの作品であり、日本語にならないフランス語特有のレトリックや言い回しに満ちていたとのことです。また読み手にとっても物語全体の構成も登場人物(本の扉の裏には「主な登場人物」の紹介がある。)も複雑で、「リンさんの小さな子」と比べますと、重苦しくて難解な印象がありますが、この二つの作品の根底にあるテーマは、おそらく同質ではないかと思うのです。「リンさんの小さな子」が子供への伝言であるならば、この「灰色の魂」は大人の読者への伝言であるように思えます。

 この小説は一九一四年から一九一八年の間にあった戦争の時代が背景となって、その時代に起きたさまざまな出来事を、「私」が回想するかたちで書かれています。舞台となっているフランスの小さな町は、すぐ近くまでが戦場でありながら、軍需工場で町の経済は支えられていて、かろうじて戦場とはならなかった町でした。しかし、町の病院は次第に傷病兵にあふれ、主要な道路は軍需優先と化してゆくなかで、人々はさまざまな表情を見せることになります。

 検察官、判事、警官、居酒屋の家族と小さな美しい娘、小学校教師、獣皮商人、皮職人、兵士、神父、尼僧、医師、看護婦、とても語りきれない。どう語ればいいのだろう?「戦争」というものがもたらす最も根源的な不幸は、人々が「いのちの重さ」のはかり方を際限もなく狂わせてゆくことではないのだろうか?
 またこのような時代の人々の混乱は、兵士であれ、殺人者であれ、普通の市民であれ、権力者であれ、同じようであり、同じではない。権力者側の人間はいつでもぬくぬくと生き残れるという落差構造が必ずあるということだとも言えるだろうか?

 そしてこの物語の語り手である「私」と最もこの物語に登場する検察官の「ピエール=アンジュ・デスティナ」との共通項は、若いままの愛する伴侶を失ったことによって、生涯に渡って大きな心の暗部を抱いていたことにあるようだ。

『劇の他の場面がいかに美しくても、最後は血なまぐさい。ついには頭から土をかぶせられ、それで永遠におしまいである。・・・・・・パスカルのパンセより。』この言葉は「デスティナ」がその本に傍線を引いた部分だ。何度も読み返された本のようだ。またこの物語の語り手である「私」は、このように記述する。『人はひとつの国に暮せるように、悔恨のなかで生きられるものだということだ。』最後にこの物語が「私」の重大な罪の告白に至るまでの、永い道のりであったことに気付かされることになる。

 (二〇〇四年・みすず書房刊・高橋啓訳)
Posted at 12:41 in book | WriteBacks (0) | Edit

Apr 17, 2006

ぐらぐらの四月だ。。。

 四月に入ってから、ふいに前詩集以後の詩作品の整理をはじめた。推敲も繰り返したが、そこから先へ進んでゆけないのは何故か?読んでいる本にも集中できず、読書と作品整理の間を右往左往しているだけだ。ぐらぐらだなぁ~。これは「一人遊び」である。勝手にしやがれ。期限は今月末までとするぞ。

 「連詩」の試みも途切れがちながら、ずっと続けられていることは嬉しい。わたくしごとき三文詩人の相方をつとめるお方の忍耐強さに感謝せねばなるまいか(^^;)。。。この試みは相方が納得しない限り公表することはありえないが、苦しくも楽しい「二人遊び」である。

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Posted at 13:52 in nikki | WriteBacks (2) | Edit

Apr 10, 2006

リンさんの小さな子  フィリップ・クローデル

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 この物語は美しい童話のようなお話ですが、この背景となっているテーマははっきりと見えます。そしてどっしりと重い。文中には一言も書かれていませんので、わたくしの想像する歴史的事実は書かないことにいたしましょう。
 これは、フランス人作家フィリップ・クローデルの養女クレオフェ(ベトナム人)のために書かれた物語です。「クレオフェ」とはギリシャ神話に登場する栄光の女神の名前です。しかしこの物語に登場する老人リンさんと小さな子(孫娘)、友人のバルクさんの国名もその物語の場となったところも、特定されてはいません。それは、このような哀しく、美しい物語は世界中どこにでもあるということへの示唆ではないかとおもわれます。
 小さな子の名前は「サン・ディヴ=おだやかな朝という意味」ですが、友人のバルクさんは「サン・デュー=神なしという意味」と呼んでいました。二人は「こんにちは」という一言だけしか言葉が通じ合えない、国の異なる、しかしながらこれほどの友情があるだろうか?という友人になるのです。
 リンさんは豊かな自然に恵まれた農村で幸せに暮していたのですが、戦禍に巻き込まれて、息子夫婦は畑で殺され、そばには首のない人形がいて、ぱっちりと目を開けていた孫娘「サン・ディヴ」だけが残り、リンさんはその孫娘とともに難民船に乗り、異国の土地の収容所に入り、散歩中の公園のベンチでバルクさんと友人になるのでした。バルクさんはかつて二十歳の時に兵士として、異国の農民を虐殺した体験に苦しみ、妻に先立たれた一人ぽっちの男でした。

 さて、この小さな子はあまりにもいつでもおとなしい。この静かさのために、この子が何者なのかはわたくしにはすぐにわかりました。バルクさんはこの子のために可愛いドレスをプレゼントしたりするという微笑ましい場面もありますが、この小さな子「サン・ディヴ」が一体誰だったのかということもここではお話したくはありません。

   いつでも朝はある
   いつでも朝日は戻ってくる
   いつでも明日はある
   いつかおまえも母になる

 これは母親が子供に歌う子守唄です。この物語のなかでは、リンさんが何度も小さな子の耳元にささやいていた歌でした。

(二〇〇五年・みすず書房刊・高橋啓訳)
Posted at 17:53 in book | WriteBacks (0) | Edit

Apr 06, 2006

数学者の言葉では  藤原正彦

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 ともかく読後の気持のよい本であった、とまず申し上げておきたい。この著書のなかで、著者自身が引用しているポール・ヴァレリーの「数学」についての言葉が、この著書の魅力を語っているようです 。

 『私は学問の中で最も美しいこの学問の賛美者であり報いられることのない愛をこれに捧げている。』

 これは昭和五十六年(一九八一年)新潮社より刊行された後に、昭和五十九年(一九八四年)に刊行された文庫版ですので、多分藤原正彦が三十代に書かれたものと思われます。かつてのガキ大将だった彼のまだ若くてちょっぴり辛辣で生意気な数学者さんの楽しいエッセーでした。藤原正彦は新田次郎と藤原ていのご子息であり、幼児期には困難をきわめた引揚っ子でもあります。数学者と文学者のはざまで「言葉の美しさ」をとても大切にして生きた方だと思えます。この本についてはわたくし自身の思い入れや共感がとても多いので、極私的な感想になると思います。お許しを。。。

【学問と文化】

 まず、この章を読みながらわたくしの脳裏にはずっと亡父がいました。わたくしは読書が非常に遅い。さらに読書の長い空白期間もあった。従って入手できた情報や知識が極めて限られるので、先輩、友人に教えて頂くことは多々あるのです。その時のわたくしは生意気にも教えて下さる方の知識度を量るという悪癖があります(^^;)。その基準となるものは、わたくしにわかりやすい言葉で語って下さった方は、多分それについてご自分の内部にすでに構築された相当量の知識を持っていらっしゃるということです。

 この極私的基準は数学と物理の教師だった父から自然に受け取ったものであって、父から教導されたものではありません。父は生涯に渡って本当によく学ぶ人でした。学校勤務を終えて帰宅して、晩酌、夕食、入浴が済めば、寝るまでの時間はすべて書斎にいる人でした。子供心にも「あの父の書斎の扉の向こうには広大な浪漫があるのだろうか?」と思える程でした。また休日には母から頼まれた男仕事をきちんとこなすという面もありました。(それは物理の実践だったのではあるまいか?)そして娘のわたくしに「勉強しなさい。」とは一度も言わなかった。
 しかし受験を控えた時期に、母は担任教師から「このままではお嬢さんの志望校合格は難しいのです。」と言われてから、わたくしを取り巻く環境は急変しました。母の要請で毎晩父の夜の課外授業が開始されてしまったのです。父の教え方に接しているうちに、わたくしの学校教師の教え方との大きな違いがよくわかったのです。その時の父の教え方は実にわかりやすく見事だったという鮮明な記憶が、このわたくしの生意気な基準を作ってしまったのです。(結果は予想を越えた上位合格でした。)

 ちょっとお話が横道に逸れますが、難解な詩についても同じことが言えそうです。その詩の根底に確かな構造力と表現への道筋があるものは、たとえ難解でも作品のところどころにキーワードを置いているので、そこを辿ることは可能です。しかし読者を想定しない自慰的な難解詩はキーワードを置いていないので、ただの訳のわからないキケンな詩となってしまうように思えます。(わっ!三文詩人のわたくしがなんたる暴言を!!!)

 さて、私事が優先してしまいましたが、ここでの藤原正彦の主張は明快です。米国の大学での招聘教授を経験した藤原の、日本の大学教授の研究と講義との比重のバランスの悪さへの指摘です。たとえ研究者として優れている教授であっても、学生への講義の負担を厭うことです。講義とはとりもなおさず「言葉」を媒体にしている。その「言葉」の往来が極めて貧しい。さらにそれに拍車をかけているのは日本の大学生の学ぶ意欲の希薄さです。過酷な受験戦争を勝ち抜いた安堵感が、もっとも学ぶべき貴重な大学生期間を粗末にしてしまっている学生が大半なのです。その間の親の学資負担の重さにさえ気付かない学生も多いことだろう。その上マークシート式テストに慣れてしまった学生たちは言語表現の貧しさまでを育ててしまった。ここに藤原正彦の言葉を引用しておきます。

 『実は講義の上手下手は、一国の文化と深く関わっている。すなわち、アメリカやフランスには、「言葉の文化」と呼び得るものが存在するのである。自らの意志や考えを、言葉をもって理論的かつ明晰に表現することが、高度の知性として尊重される。』 

 また藤原正彦は、真の研究者というものは、寝食さえ忘れるほどの粘着性がなければ、研究の進展はないとも断言しています。その研究成果を明確な言葉で学生に手渡すことができないとしたら、それは貧しい文化ではないでしょうか?

 『生命を燃焼しなければ真理が見えてこない。』  数学者 岡 清

【旅の思い出】

 この章では、「ロスアンゼルスの一日」「ヨーロッパ・パック新婚旅行」があり、後者はみずからのユーモラスな新婚旅行記なのですが、とりあえずここはカット。。。上記との関連で「ヤング・アメリ カンズ」に注目したい。アメリカには「ハーバード」「エール」などの一流大学はたしかにあるが、そこに米国中の秀才が集まるわけではない。そこに入学するためには莫大な学資と生活費が必要でもある。それに代わって州立大学は、州内の学生に対して格別に費用を安くしているので、そこを選ぶ学生は当然多くなり、大学間の格差がそれほどないので、日本のような受験戦争はないらしい。
 その代わりに米国の子供は高校生までは勉強をしない。大学からが本気で勉強する場だという考えがある。しかも支払った学資に見合うだけのものを彼等はきっちり取り返すという合理性もあるようだ。しかし、学者を目指す若者たちは日米を問わず孤独である。

【数学と文学のはざまにて】

 この章では、父上の新田次郎との交流や、数学と文学との往来について触れています。「文学は有限なるもの。」「数学は無限なるもの。」であり、また「文学は言葉によって思考する。書きながら進行 するもの。」「数学は思考の結果を言葉とするもの。先に言葉はない。」もののようです。その二つの世界の往来は思いのほか道のりがある。それでも藤原正彦があえてその生き方を選んだのかは、ご両親 が作家であるという宿命のようなものもあるかもしれませんが、はっきりとした理由はおそらくない。数学は役にたたない分、科学のような悪用もされないと言い、下記のポアンカレの言葉が大学生時代の藤原正彦を導いたけれど、この著書を書く頃には「これもよかろう。」という距離ができている。

 『真理の探求、これが我々の行動の目標でなければならない。これをおいて行動に値する目標はない。』  数学者  ポアンカレ

 また、宮城県のダム建設現場から奈良時代のうるし紙が発見されて、それを赤外線装置にかけたところ、そこには墨で書いた「九九八十一」の文字が浮かび上がったという。万葉集などから奈良時代から 掛け算が使用されていたことはうかがい知ることはできるが、藤原正彦はこの発見を通して、さまざまな想像に心を躍らせながら書いていることが、こちらに伝わってきて大変好もしい思いになる。

 例えば、中国から渡ってきた掛け算を学んだエリートたちが各地に赴任して、租税や収穫量の計算に利用する。さらにそれは庶民に広まり、暗算国日本の黎明となったこと。あるいは藤原自身が研究に行き詰まり、あてどのない旅に出た途中で、山陰の片田舎の木造校舎から聞こえてきた子供等の「九九」の旋律が早春の風景に調和して、数学の原風景に出会ったという歓び。海外において数学だけは国境を越える唯一の文化だという実感。そうしたさまざまな思いが「数学」が時間も国境も超えるものであるという歓びに繋がってゆくのだった。

【父を思う】

 父親の新田次郎の小説を、藤原正彦はすべて読んでいるわけではない。肉親の文学作品を読むということは、冷静な読者にはなれないからだろう。父親の書いた小説のなかで、息子は恋愛場面がでてくると例外なく拒絶反応を起して異常なほど潔癖になり、その場面がなくとも小説は充分に成立するとさえ父親に悪態を突くのだった。その悪態ぶりは尋常ではなく、父親は編集者に相談するほどだったという。しかし息子の意見は却下される。父親に息子は「未熟者」と笑われ、それが的を得た答えだったために息子は余計にくやしがる。。。読んでいて「クスクス・・・」であった。

 反面、父親は息子の書いたものにはすべて目を通した。息子もそれを願っていた。「まあ良い」「面白い」「非常に面白い」という三種類の答えから息子は推敲の程度をはかっていたようだ。不思議に思うことはここに同じ小説家である母親の藤原ていの介入がまったく見られないことだった。もしもあるならば、藤原正彦が母親について書いたものを読んでみたいと思う。

(昭和五十九年・新潮文庫)
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Apr 02, 2006

桜を観た日

三月三十一日、快晴の午後は少し寒くて風も強かったけれど、多摩川の土手沿いの桜並木を訪れる。
翌日から「桜祭り」なるものが始まる前の一日をそぞろ歩きしました。(昨日の日記の続編です。)

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そぞろ歩きをする前には、実は必要なものがあります(^^)。
こんなところで地ビールをちょっぴり。。。この酒造屋さんでは地酒と地ビールを造っています。
きれいな川があるところには酒造屋さん、お蕎麦屋さんはつきものですね。
ここの庭には椿の花が見事に咲いていました。

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桜並木の土手を降りて近くの公園にも行きました。
木立はまだ新芽をかすかにふいている程度ですが、水仙が咲いていました。

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Apr 01, 2006

野の花

まだ枯れ草の残る草むらのなかに、ひっそりと小さな光のように咲き出した花たち。
はなやかな桜の木からふと視線を移すと、たくさんの花々が風に揺れていました。

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