May 12, 2008

加賀乙彦の講演を聴く。

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 加賀乙彦は一九二九年四月生まれ、現在七九歳。小説家で精神科医。
 一九四五年九月、東京府立第六中学校に復学。一九四五年十一月、旧制都立高等学校理科に編入学。一九四九年三月、旧制都立高等学校理科卒業。同年四月、東京大学医学部入学。一九五三年三月、東京大学医学部卒業。

 東京拘置所医務部技官を経た後に、フルブライト奨学金を獲得してフランス留学を果たす。パリ大学サンタンヌ病院、北仏サンヴナン病院に勤務し、一九六〇年帰国。同年医学博士号取得。東京大学附属病院精神科助手、東京医科歯科大学助教授、一九六九年から上智大学教授。一九七九年から文筆に専念。一九八七年のクリスマス(五八歳)に遠藤周作の影響でカトリックの洗礼を受ける。

 講演のテーマは(仮題)という括弧付きで「ハンセン病文学」についての講演でした。「文学」を括ることはとても困難なことです。「癩」という永い歴史を考える時に、どこを切り取って語ればいいのか?加賀乙彦氏は、見えない豊かな知識の引き出しを胸のなかに抱いて、聴衆の前に現れました。時と場を読む。それからゆっくりと引き出しを開けて、語り出したという風であったような気がします。

 これらの文学の歴史的資産、あるいは資料は放置されれば散逸する。国家機関に預ければ、都合の悪いものが隠滅させられる危機があります。これらを「癩」の歴史の証言として、すべてを残すことに努力していらっしゃる方々の組織が主催した講演でした。しかし加賀氏はこのようにもおっしゃいました。「現実に療養所内に保存された図書資料も過去百年足らずのもの。しかし癩は聖書の時代からあるもの。」と。。。

 さらに加賀氏は日本の古い文献については、詳しくおっしゃることはしませんでしたが、日本では「法華経義疏」(六一五年)に「白癩」と記されていますが、これは大陸から伝来した経典の注釈です。最初の日本人の記述は「日本書紀」に「白癩」と記されたもの。「今昔物語集」にも奈良時代の僧が「白癩」にかかった話があります。要約すれば以上にようなことではないでしょうか?

 ここで加賀氏の講演の出だしについて書いてみます。それは日本という風土と人間性の問題です。それは「ぼんやり」という言葉で表現されました。「ハンセン病」に限らず、たとえば「死刑」「戦争」など、人々が国家の危機とすら思わなければならないこと、あるいは急いで止めなければならないことを、日本人は「ぼんやり」としか受け止めることができないことへの不安でしょう。いつでも認識が外国に遅れるということです。そこで、わたくしは数年来嫌ってきた言葉の意味をようやく理解しました。それはかつて友人から教わった言葉です。


  敵を恐れるな─彼等は君を殺すのが関の山だ。
  友を恐れるな─彼等は君を裏切るのが関の山だ。
  無関心な人びとを恐れよ─彼等の沈黙の同意があればこそ
   地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。


  (ヤセンスキー著「無関心な人びとの共謀」巻頭文より)

 最後の加賀氏の希望としては、北條民雄を超えることのできる作家を待っているということでした。北條民雄の「いのちの初夜」の時代から、引き継いで次の歴史を書く優れた作家が現われなければならないということではないでしょうか?

 *五月十一日・多磨全生園福祉会館にて。
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Apr 28, 2008

没後50年 モーリス・ド・ヴラマンク展

Vla-mizu(川の辺り・一九一二年)

Vla-rose(花・クリスマスのバラ・一九三一年)

 二十三日午後、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館にて、「ヴラマンク展」を観てきました。「 モーリス・ド・ヴラマンク(一八七六年~一九五八年)」の画家の道に入るまでの経歴はちょっと変わっています。パリで音楽教師の子として生まれましたが、十六歳の時には家を出てシャトゥーに行きます。十八歳の時に結婚し、自転車選手をしたり、オーケストラでバイオリンを弾いて生計を立てていました。独学で絵を学び、一九〇〇年、シャトゥー出身の画家、アンドレ・ドランと偶然知り合って意気投合し、共同でアトリエを構え、画家として本格的な活動を開始しました。

 ゴッホなどの影響から、鮮やかな色彩と骨太な筆致を学び、マティスやドランなどと共に「フォーヴィズム」の中心人物として評価されました。第一次世界大戦後は「フォーヴィスム」から離れて、ポール・セザンヌの影響を受けて、構図に変化がおこり、沈んだ色合いの作品に変わり、画家を志してから約二十年後には、独自の画風を確立しています。しかし決して抽象画へ移ることのない画家だったようです。

 風景画がほとんどで、次には静物画、人物像は自画像一枚だけでした。(これは今回の展覧会にあったものだけの印象ですので、「ヴラマンク」の全作品についてはわかりかねます。)繰り返し、よく似た構図の村の風景があったり、それには季節があって、その上の空の描写には深い思いいれがあるようでした。それは雲と光の作り出す、片時も静止することのない流れる風景です。人間が日々空に囲まれて生きていることを、改めて思うのでした。

 空に対して、地上には水がありますね。そこには逆さまの風景が映る。そして揺れる。日常の親しい風景、揺れる、あるいは流れる感覚が絵画になったようでした。
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Apr 11, 2008

ゆずり葉 

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 人間の三歳までの記憶は確かなものではないだろう。祖父母や父母が長い時間をかけて語り続けた物語のなかで、わたくしの三歳までの記憶は確かな形として支えられてきたのではないだろうか。それほどに大人たちが語り続けたことの意味が、今のわたくしにははっきりとわかる。三歳になってから、やっと歩き出したわたくしが一家にとっての戦後の復興の具体的な形であったということだ。歩きはじめた小さないのちは、きっと家族の希望の形をしていたはずだ。この思いに何度も帰りながら、わたくしはとにかくここまで生きてきたようだ。

 三月十一日、息子のところに第一子が産まれた。男児である。十二日に娘と共に病院に会いに行く。初対面を果たして、娘と息子と三人でイタリア・レストランにて、早々の、即席のワイン付きの祝宴となった。このメンバーで話す機会もおそらく長い間なかったことだ。

 息子は父に、娘は伯母になったわけだ。その娘の話を聞きながら胸があつくなった。娘曰く「大人になってから、双方のおじいちゃん、おばあちゃん、それからおばちゃん(わたくしの姉。五六歳で亡くなった。)と、わたしを可愛がってくれた人たちを失うばっかりだった。人間はみんなこうしていなくなってしまうのだと思っていたの。でも甥っ子と対面して、やっとその思いから開放された。このようにあたらしいいのちの誕生があるのね。」と。。。

ちちははを送りしのちの春の児よ    昭子

この「河井酔茗」の詩は、娘の小学校の国語の教科書に載っていたものです。覚えているだろうか?


ゆずり葉   河井酔茗

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずってー

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれどー。

世のお父さん,お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの,よいもの,美しいものを,
一生懸命に造っています。

今,お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい,花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。


子供たちにゆずられるもののなかに、武器や爆弾がないことを祈ります。
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Apr 05, 2008

モディリアーニ&ガレ

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  (若い娘・モディリアーニ・1917年頃)        (ランプ「ひとよ茸」・ガレ)

 四月のあたたかな午後に「国立新美術館」で「モディリアーニ展」を、さらに徒歩五分ほどで行ける「サントリー美術館」で「ガレとジャポニズム」を観てきました。至近距離とはいえ、「梯子」は「基軸を変える。」という精神的な作業がありますので、やはりちょっぴり疲れました。どちらを先に観るか?も問題点・・・・・・わたくしは迷わず「モディリアーニ」を主張、これに決まりました。すみませぬ。

 「モディリアーニ展」を観て、画集や絵葉書や小物などを購入。美術館を出てから最初の言葉は「よかったね。」でした。何故よかったのか?シンプルで地味な服装の女性が美しく描かれている。アンバランス、細長い顔立ちでありながら、そこからこちらに流れ込んでくるものは「しずかなやさしさ」「やすらぎ」のようなもの。また同行者の言葉をお借りすれば「画家もモデルも主張しない静かさ。」だろうと思います。あるいは寂しさ、哀しさ、すべてが静かにそこに在る。一人の女性として。画家はそこに主張を流し込まない。モデルから静かに溢れてくるものを受け止めて描いているようでした。

 さらのその時代は、画家は「サロン」から「画商」によって育てられ、方向性を示される時を迎えていました。生活のため、あるいは健康上の理由から、モディリアーニは彫刻を断念、油絵に移行、またその絵画の歴史には何度かの影響の変化、絵画の変化もみられます。下記のような「モディリアーニ」の絵画の変遷の結果に生まれた作品が、どなたでも思い浮かべるあのやさしい女性像ではないでしょうか?

一章・プリミティヴィスムの発見:パリ到着、アレクサンドルとの出会い
二章・実験的段階への移行:カリアティッドの人物像ー前衛画家への道
三章・過渡期の時代:カリアティッドからの変遷ー不特定の人物像から実際の人物の肖像画へ
四章・仮面からトーテム風の肖像画へ:プリミティヴな人物像と古典的肖像画との統合


 「エミール・ガレ」ですか?上のきのこのランプを将来において、買い取るつもりです。ゆめゆめ忘るることなし。忘るることなかれ(^^)。彼の日本美術への傾斜は想像を超えていました。生物学者でもあった「ガレ」の生き物、植物への視線は細密でもありました。下絵から立体へ移す創作作業の見事さに沈黙。。。
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Mar 06, 2008

ルノワール+ルノワール展

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 渋谷のBunkamura・ザ・ミュージアムにて、「ルノワール+ルノワール展」を観てまいりました。だんだん春めいてゆく季節に、この展覧会は楽しみに待っていました。素朴で愛らしく、ふくよか、ひかりを纏ったようなうつくしい肌の女性たちと子供たち、そしておだやかな風景・・・・・・ルノワールの絵の前に立つと、女性に生まれたことを祝福したいような気持になります。うつくしい女性画、風景画なら他にもたくさんあるのを知らないわけではありませんが。。。

 今回は、印象派を代表する画家の一人、ピエール=オーギュスト・ルノワールと、彼の次男であり、映画監督のジャン・ルノワールとの「ルノワール+ルノワール展」というわけで、父の絵画と息子の映画を同時に紹介するものでした。二〇〇五年パリで開催されたもので、オルセー美術館の総合監修とのことです。

 画家ルノワールは、家族の肖像を好んで描き、妻アリーヌ・シャリゴ、後に俳優となる長男ピエール、次男で映画監督となるジャン、三男の陶芸家となるクロードの姿が何度も登場します。「家族の肖像」「モデル」「自然」「娯楽と社会生活」と四つにわけて、二人の作品を同じテーマで絵画と映画を対比させることで、親子間の根底に流れる共通性を明かしています。ジャンが残した映画には、父が愛したひかりや色彩がそのまま投影されているかのようでした。投影ではなくて、ジャンの映画には父の絵画のひかりと色彩が再現されている、という方が適切でしょうか?目に見えない父と息子の絆、そして「画家の家族の肖像」を見るようでした。

 数日前から、ルノワールと同じく「印象派」の時代を生きた女性画家「ベルト・モリゾ」の評伝を読みはじめたのは全く偶然の出来事です。二人は同じ一八四一年生まれです。これはおそらくまだ女性画家が認められていなかった時代を生きた「女性画家の家族の肖像」となるかもしれません。いずれまた、この本について書いてみたいと思います。
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Mar 01, 2008

世界らん展日本大賞 2008

 今年で十八回目なるという比較的長い歴史を持つこの展覧会に、去年より幸運にも招待状を頂けるようになって、二度目の「らん展」に行ってまいりました。会場は東京ドームですので、かなり大掛かりな展覧会です。一度目の感動新たに、という気持がありましたが、どういうわけかそうはいきませんでした。「花酔い」あるいは「花疲れ」というような状況に陥った自分自身に驚きました。
 一年歳をとったせいなのか?あるいは体調不良か?二度目ということの重複する感覚の重さなのか?会場を出てからお酒を呑む気分にもなれず、軽い食事とコーヒーで済ませました。幸い相手が禁酒中でよかったけれど(^^)。。。

 これでは必死で期間中咲いている蘭たちに申し訳ないと思います。幸いにしてここは撮影自由ですので、しっかりとカメラにおさめてまいりました。膨大な量の画像を整理しながら、アップで撮影した花には、美しさの毒のようなグロテスクさに再会したりして、また疲れてしまって捨ててしまった画像も多くでました。ごめんなさいね。花の美しさ、華麗さ、豪華さ、こういったものは過ぎたらいけませんね。花は本来「生殖器」なのだと奇妙に実感した時間でした。あああ~~。

 ではほんの一部だけの紹介ですが。。。

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Jan 13, 2008

プラハ国立劇場オペラ「魔笛」

指揮:ヤン・ハルベツキー  ダヴィド・シュベッツ
演出:ダヴィト・ラドク
舞台美術&衣装:カタリーナ・ホラー  タジーナ・ファース
振付:ハカン・マイヤー
初演:プラハ国立劇場(スタヴォフスケー劇場)

日時:一月十二日 PM六時~八時四十分
会場:川口総合センター・リリア・メインホール

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 フロアーにあった、オランダのストリート・オルガンです。

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 何年ぶりなのか定かではないほどに、オペラ鑑賞は久しぶりの体験でした。庶民には入場料が高い。しかしプラハからすぐれたオーケストラ、そして多数のオペラ歌手、バレーダンサー、舞台装置家を呼び、日本公演を実現したことを思えば、庶民にも納得できる。ただCDで聴くだけだったオペラを、実際に観ることとは、大きな隔たりがあることを、今更ながら実感したのでした。

 「魔笛」はモーツアルトの「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」と共に「四大オペラ」の一つとされ、最晩年の仕事でもあります。生涯の宿敵「サリエリ」も絶賛したとか。その彼の敗北の言葉を思い出しますね。

 「天才はゆるす。」←おおお。こう言われてみたいものだなぁ(^^)。
 ちなみにモーツアルトの生涯は(一七五六年~一七九一年)、サリエリは(一七五〇年~一八二五年)です。

 「魔笛」はモーツアルトの思想的(あるいは宗教的?)な変化も見られます。興行師「シカネーダー」の協力のもとに、初めてドイツ語で書かれたこと、思想団体「フリー・メイスン」の影響など、さまざまな要素が混在したオペラとも言えるでしょう。
 このオペラのお馴染みの見所は「夜の女王」のソプラノ、超絶技巧のアリアです。これには、ハラハラドキドキ、人間の声帯能力を超えていました。

 舞台演出のメインは巨大な絹のようなやわらかな布です。この色彩、光の変化、揺れ、乗降によって、ドラマ展開の明暗、歓喜、恐怖、などを見事にシンプルに演出していました。
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Jan 03, 2008

ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート・2008

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 二日の夜、NHK・BS2で、三時間番組を観てしまいました。指揮者はフランスの八十二歳のジョルジュ・プレートルさん、かわいい笑顔、そしてすべて「暗譜」であることに驚きました。演奏会場は「ウィーン楽友協会・大ホール( グローサーザール)」です。「黄金のホール」とも言われる豪華な巨大ホールですが、それでも立見客がいることに、この国の音楽の在りようがわかるようでした。もちろん日本人の観客も大分いましたが。
 途中、音楽に合わせてテレビ画面ではバレエや「スペイン乗馬学校」の「白馬」によるうつくしく高度な演技などが挿入されています。会場ではおそらく放映画面が用意されていたことでしょう。

 ここでは毎年、演奏途中でちょっとした楽しい演出が行われます。今年は、オーストリアのサッカーチームのタオルや笛、イエローカード、レッドカードの小道具などを使い、指揮者と第一バイオリン奏者との楽しい寸劇が観客の笑いを呼びました。また「ラデツキー行進曲」では指揮者の合図のもとに、観客は手拍子(しかも強弱まで要求されて。笑。)を送り、観客を巻き込んだ楽しい演奏となりました。

プログラムは下記に。(長くなってごめんなさい。自分のための覚書です。)

1. ナポレオン行進曲 作品156 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
2. ワルツ「オーストリアの村つばめ」 作品164 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
3. ラクセンブルク・ポルカ 作品60 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
4. パリのワルツ ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
5. ベルサイユ・ギャロップ 作品170   ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
6. 天国と地獄のカドリーユ 作品236 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
7. ギャロップ「小さな広告」 作品4 ( ヨーゼフ・ヘルメスベルガー作曲 )
8. 喜歌劇「インディゴと四十人の盗賊」 序曲 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
9. ワルツ「人生を楽しめ」 作品340 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
10. ポルカ「かわいい曲」 作品271 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
11. トリッチ・トラッチ・ポルカ ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
12. ワルツ「宮廷舞踏会」 作品61 ( ヨーゼフ・ランナー作曲 )
13. ポルカ・マズルカ「とんぼ」 作品204 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
14. ロシア行進曲 作品426 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
15. ポルカ「パリジェンヌ」 作品238 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
16. 中国風ギャロップ 作品20 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
17. 皇帝円舞曲 作品437 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
18. ポルカ「インドの舞姫」 作品351 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )

(ここからは、予定されていたアンコール曲です。)

19. スポーツ・ポルカ 作品170 ( ヨーゼフ・シュトラウス作曲 )
20. ワルツ「美しく青きドナウ」 作品314 ( ヨハン・シュトラウス作曲 )
21. ラデツキー行進曲 作品228 ( ヨハン・シュトラウス父 作曲 )
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Dec 23, 2007

冬の新宿御苑

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 なんと昨日の二十二日は「冬至」ではないか。しかも朝の窓辺では雨音。天気予報より早い。半分元気なくして傘をさしてとにかく新宿に向かいました。南口を出る頃には雨はあがっていました。御苑散歩中には一滴の雨も降らない。誰の心掛けがよかったのかな?

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 御苑にお住まいの猫たち。風格がありますね。負けそう。。。

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 空にはゆったりと飛行船が。乗ってみたいなぁ。

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 まだ残っていたあざやかな紅葉、花はスイセンのみ。温室は当分の間改築工事のために閉館。あのなかの花や樹木や水中植物はどこに移動したのでしょ?御苑を出る頃には、ぽつぽつと雨が。紀伊国屋で本を買う。そこで合流したメンバーと共に「ぼーねんかい」でした。
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Dec 20, 2007

幸福な詩集

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 一冊の詩集を出して、その運命は様々です。これは「批評」とか「受賞」とかいう運命ではないし、そのような運命など、ほとんどどうでもいいことだと思ってきた。一編くらいの詩がどなたかの記憶に残ったり、共鳴できたりすればそれでいいのだと思う。

 上の画像は、昨日はわたくしの詩集「空白期」に着せてあげてくださいと、京都のYさんから贈られてきた手作りのブックカバーです。「幸福な詩集」という言葉がすぐに浮かびました。

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 ↑これは、詩集「空白期」を作って下さった「水仁舎」のキタミさんが、作ってくださった「保護ジャケット」です。これを頂いた時にも、「空白期」は幸福な生まれ方をした詩集だと思ったのでした。そしてずっとその「幸福」が続いていたようです。ありがとう。
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Dec 19, 2007

ピアノのバットフレンジ交換修理

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 四月の引越しとともに、今まで住んでいたところに娘が一人暮らしとなって、当然ピアノもそこに置いてあるのですが、調律師さんが娘一人の家で一日中かかる作業に気がかりな気分があるようで、しきりに「お母さんも一緒に見に来て下さい。」と言う。家は近い(自転車で五分の距離)ので承諾する。

 そういえば、ピアノを買ってから二十数年、調律師さんに会っているのはわたくしだけだったのだと気付いた。当然ピアノの解体現場を見ていたのもわたくしだけ。娘ははじめて自分(のですよ!)のピアノの中を見て、興奮気味になって「写真撮らせて。」と言い出した。それにつられてわたくしも写真を撮りました。

 今回は毎年行う二時間ほどの「調律」だけではなく、一日がかりの大仕事「バットフレンジ交換修理」なのです。

・バットフレンジ新品に七五本交換
・その他、フレンジセンターピン交換
・ピアノ調律、全八十八鍵整音

 いくらなんでも一日中いることもないだろうと、正午前に「一旦戻ります。終わる頃にまた来ます。」と調律師さんに申し上げたら、不安そうなお顔(^^)。まぁ、とりあえず作業は夜七時に無事に終わりました。来年からはまた普通の調律を繰り返すことになります。

 そんなわけで、ピアノとの長い日々を思ったものでした。現在ピアノがある家に引越しする時には、ピアノを以前の家の玄関から出せず、一階の居間の一間分のガラス戸を外して、そこからクレーン車で引っ張りだして、引越し先の二階の部屋には男性二人、方向指揮の男性一人、計三人の力持ちの男性三人が手動で持ち上げて下さったピアノでした。娘はあらためてピアノへの思いに目覚めたようでした。めでたい(^^)。 
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Dec 14, 2007

ムンク展

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 十三日(木)午後には雨があがり、曇り空の上野公園に到着。いつもの如くまずは猫のいるカフェ・テラスへ。以前いた盲目の猫はどこへいったのだろう?姿が見えない。代りに妙に人なつこい猫に出会う。友人のカバンに頭を出していた、折畳み傘の取っ手にいきなり噛り付く。なにが入っているのやら猫はそのカバンに興味しんしん、まさか「鯵の干物」は入っていなかったと思うけど(^^)。。。

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 「ムンク展」はまさに三度目の正直。一回目は臨時休館、二回目は、ある催し物の後でしたので、ちょうど連休中にあたってしまって、あまりの混雑に頓挫。十三日はとりあえず雨も上がり、館内もちょうどいい混み具合でした。

 ノルウェーの画家「ムンク」と言えばあの「叫び」のような陰鬱な作品のイメージが強かったのですが、今回集められた作品は「装飾」というプロジェクト作品が多いことに意外な思いがいたしました。オスロ市立ムンク美術館などから一〇八点の作品が展示されていました。

第一章:〈生命のフリーズ〉 装飾への道
第二章:人魚 アクセル ハイデルベルグ邸の装飾
第三章:〈リンデ・フリーズ〉 マックス・リンデ邸の装飾
第四章:〈ライン・ハルト・フリーズ〉 ベルリン小劇場の装飾
第五章:オーラ・オスロ大学講堂の壁画
第六章:〈フレイヤ・フリーズ〉 フレイヤ・チョコレート工場の壁画
第七章:〈労働者フリーズ〉 オスロ市庁舎のための壁画プロジェクト

 ざっとこんな感じで、今回は公共的な仕事が多く見られる。第三章では、医師マックス・リンデ邸の子供部屋を飾る絵という条件で受けた仕事ですが、下絵の段階でマックス・リンデ氏の「子供部屋にふさわしくない。」と、描き直しの注文が出たのですが、「ムンク」はそれを無視したとのことで、絵画を買ってもらえなかったというエピソードも紹介されていました。

 フレイヤ・チョコレート工場の社員食堂の壁画は映像としても紹介されていました。見ていたお隣のご婦人が「贅沢な社員食堂ですねー。」と、わたくしに声をかけて下さったのですが、わたくしは実はお返事に困りました。チョコレート工場の社員ではないのですから、その気分は想像しかねますもの(^^)。

 例によって、一番好きだった絵「The voice/Summer Night」です。ムンクの恋人です。

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Nov 26, 2007

年月の記録 スケッチ帳より 堀文子展

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 ぼんやりと日々を過ごしていましたら、十八日が展覧会の最終日でした。午後からは同人の合評会が控えているのですが、無理をしてその前に観ようと「ニューオータニ美術館」に駆けつけました。このわたくしの突然の計画の決行に同行して下さった同人の心やさしい紳士お二方に感謝いたします(^^)。

 展示された作品はほとんどがスケッチで、わずかな彩色がされているだけの作品でしたので、展覧会場全体はこじんまりとした地味な雰囲気でしたが、堀文子の世界のあらゆる「いのちあるもの」への、しっかりとした視線と愛おしさが観られました。その後での合評会の場では、「堀文子のような事物への視線は、詩作にも通じるものがあるのではないか?」という話題を提供して下さった同行者の言葉も嬉しく共感いたしました。

 上に掲載した画像は二〇〇一年二月に描かれた「私を生かした手」の一部です。一九一八年に生まれていらっしゃるので、この時の堀文子さんの手は八九歳の手ということになりますね。人間が生きているということは、限りなく美しいものです。人間に限らず、ですね。。。

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Nov 17, 2007

シュルレアリスムと美術

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 十三日(火)はJR桜木町駅で待合せて、横浜美術館にいきました。「まさに快晴。雲一つない空♪」とうかれているわたくしに同行者は「あそこに小さな雲が。。。」と。。。

 展示された作品はさまざまでした。観終わってから「どうだった?」と聞かれても、一言では言えない。一人の画家の展覧会ではその流れに沿ってゆく見方ができます。しかし一つの時代に「シュルレアリスム」という思想のもとに括られたさまざまな画家の描いた作品の展示ですから、観る側は意識の転換を何度も繰り返しながら、作品を観ることになります。

 サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、パブロ・ピカソ、ジョルジオ・キリコ、マン・レイ、アンドレ・マッソン、などなど、絵画と写真の入り混じった作品たちでした。絵の具もさまざま、立体表現もあり、という多様性でした。表現者たちはそれぞれに独自の表現のあり方を追求しているわけです。「シュルレアリスム」と括ってしまってよいのかな?とも思います。

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 例によって、一番気に入った作品は大事に観ます。今回は「サルバドール・ダリ」の「ガラの測地学的肖像」でした。「ガラ」は「ダリ」にとって大切な存在の女性です。その後姿、少しあらわな肩、首のひねり、などを「測地学的」に表現するとは、なんでしょうか?「ガラ」そのものが一つの地球だということかしら?うつくしい稜線のような肩ですね。

 横浜まで行きますと、美術館以外の楽しさも当然ありますね。美術館を出た途端にみた美しい夕焼け、そして海が近いこと。そこから中華街までの散歩。。。

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Oct 22, 2007

フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展

 二十一日午後、六本木の国立新美術館で、「『フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』を観てきました。この美術館は今の日本では一番新しい美術館でしょう。建物の規模も大きく、警戒も厳重なところでした。「国威の建造物?」という説も(^^)。

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 十七世紀オランダの市民や農民の生活を描いた「風俗画」というよりも「日常画」と言った方がふさわしいのではないか?と思われる絵画がまとめてみられる展覧会でした。全体の絵画のサイズが小さいのも特徴でしたね。
 これは、オランダという国は庶民には比較的豊かな生活がありましたので、これらの絵画は特権階級ではなく、庶民が買えるほどの絵画だったということもありますね。そんなことを思いながら、それぞれの絵画を観てゆきますと、何故か懐かしい思いがします。「針仕事」「糸繰り」「料理」「授乳」「酒場」などなど、身近な自分のからだが体験した風景のようでした。
 フェルメールは「牛乳を注ぐ女」一点だけの展示でしたので、ちょっと淋しい。でもどのような絵の具が使われたのでしょうか?工夫された証明のなかで、画面の金色の粉のような光沢がきれいでした。

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 これらの絵を観ながら、しきりに思い出していたのは、小田実の「中流の復興」に書いてあった一文でした。ここに再掲しておきます。

 『私は世界のいろいろな国に行くたびに、外国人、とくに差別されたり抑圧されたりしている外国人がその国をいかに受け止めているかが、一番大きな指標になると思って、オランダでも、肌の黒い人など、普通ならすぐに差別されたり抑圧されたりする対象となる外国人たちに聞いてみるのです。すると、多くの人が、この国が一番いい国じゃないかと、と言います。(中略)
 理由は一つあります。まずオランダの人たちが、私の言う中流の暮らしの土台を形成していることにあります。経済的な問題を解決せずに政治的な問題をせっかちにやると、強制力を伴ってかつての社会主義のようにもなるけれど、普通に人間が中流の暮らしを形成していれば、生活にゆとりができて、その上で政治的な問題が解決できるようになるでしょう。』
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