May 23, 2009

手紙 ~親愛なる子供たちへ~

5-3margaret

歌:樋口了一
詞:樋口了一・角智織
曲:樋口了一

 この元の詞はポルトガル語で書かれており、作者不詳。樋口了一の友人、角智織の元に偶然届いたチェーンメールに詩が記載されていて、この詩に感銘を受けた角が詩を翻訳、樋口に見せたところ樋口も感銘を受けたため、曲の制作・発売に至ったとのことです。(某所から頂いた情報です。)以下はその歌詞です。


年老いた私がある日
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを
理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れても
あなたにいろんな事を教えたように
見守って欲しい

あなたと話す時同じ話を
何度も 何度も 繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに
うなずいて欲しい

あなたにせがまれて 繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を
平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ
消え去ってゆくように 見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず
下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがる時には
思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った
懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの
手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのはつらい事だけど
私を理解して支えて
くれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで
私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ
付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って
笑顔で答えたい

私の子供たちへ

愛する子供たちへ


 この詞を初めて知りました。ヒットしている歌なのでしょうか?これは不自然というか、無理に子供時代と老年を重ねようとしているようです。多分これを詞にした方は「老人」でもなく、「子供」でもない。どちらにも属していない(つまり立ち位置がない。)人間の考えた詞であろうと思います。あるいは翻訳の段階で何があったのか?という思いもあります。または「ポルトガル」という国の家族意識との相違があるのでしょうか?

 わたくしが老親の介護の最中に思ったことは、そこには老いに逆行する可能性はないということでした。それはわたくしの努力では取り戻せるものではありませんでした。子供を育てることも困難なことは多いのですが、この困難はいつか終わるのです。子供は「育つという希望」があるのですから。しかし老親には長い視点に立って見える希望はないのだと思い知らされました。残酷な言い方をどうぞお許しください。それでも老親にかすかでも希望を抱いてもらうことが、娘としての最後の仕事だったのだと思います。

 子供を育てることには、何の代償も求めるものではありません。将来その子供が親の面倒をみるのだとも考えたことなどありませんでした。わたくしがまさに狂気寸前まで老親の看護をしましたが、愛娘は「そんなに苦労しなくても、社会には福祉というものがあるでしょう。」と言いましたが、お粗末な国の福祉に委ねることは、心身ともにぎりぎりまで拒否しました。そして娘に宣言しました。「お母さんが今、あなたの祖父母にしてあげていることと、同じことをお母さんにして欲しいとあなたには望んでいません。のたれ死にで結構です。」と。娘は沈黙していました。それでも娘と息子(その頃は高校生から大学生の時代でした。)の溌剌とした若いいのちがそこに存在してくれることが、老親の看護に疲れたわたくしのひかりある唯一の存在でした。「なにもしてくれなくてもいい。老親の看護に大方の時間を費やして、母親が充分に機能していないもう1つの家庭のなかで、元気で生きていてください。」と密かに祈りましたが、子供たちは自然に生きていたことでしょう。

 我が子を育てることはごくあたりまえのことで、その時間のなかで母親も育てられたのです。繰り返し子供のお願いに応えることで、母親はもう一度子供時代を自覚的に過ごすことができたのです。それは大きな収穫でした。その時間のなかで母親が育てられたことの力が、老親の看護に生かされたことだったということです。 
 子供を育てることと、老親を見守ることとは全く次元の違うことです。いかにもきれいに整えられた詞のように見えますが、これは「嘘」だとしか言いようがありません。

暴言多謝。
Posted at 15:26 in nikki | WriteBacks (4) | Edit
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やはりそうですね

拝読していて強く、強く、心を打たれました。

>その時間のなかで母親が育てられたことの力が、老親の看護に生かされたことだったということです。

これはまさに「名言」だと、深く頷かされました。まさに・・・。 

涙が止まりません。

Posted by リベル at 2009/05/23 (Sat) 17:43:00

緊張しました。

実は、ここに書くことを躊躇う気持はありました。
しかし、やはり書いてしまいました。
ここに書いてしまったことの責任の重さも自覚しています。

読んで下さいましてありがとうございました。

Posted by あきこ at 2009/05/23 (Sat) 21:19:13

緊張と躊躇と

御自分が正面から立ち向かい血の汗を流し、智恵を尽くして生き抜いて来られた、そこから発せられる言葉は重く強く圧倒的であるものだなと、そう思いました。

堂々と稔り豊かな秋を目指して歩みをお進めください・・・。

Posted by リベル at 2009/05/24 (Sun) 04:51:48

秋から冬へ・・・

人間の生涯は、1回限りの四季のめぐりですね。
数百年という樹などに出会いますと、つくづくとそう思います。
それに比べれば、1人の女性の生涯は、ささやかなものです。

そのなかで、恐らくもっとも心を張り詰めて生きた時間は、幼児を育てた時期と、老親に寄り添って生きた時間だったように思います。

その記憶を忘れずに生きていこうと思います。
ありがとうございました。

*このコメント欄は難儀ですね(^^)。重ねて御礼申し上げます。

Posted by あきこ at 2009/05/24 (Sun) 14:03:55
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