Aug 05, 2009

ゴーギャン展

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《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか・1897-98年》
   

 5日、東京国立近代美術館にてポール・ゴーギャン(1848パリ生まれ-1903)の53点の絵画、版画、彫刻を観てきました。上記の大型の絵画は日本初公開だそうです。この絵画は、ゴーギャンの遺言のごときものと思われます。ゴーギャンは1998年2月に、パリに住む友人の画家ダニエル・モンフレーへの手紙には、このようなことが書かれています。

 「 私は12月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。(中略)この作品がこれまで描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これより優れているもの、これと同様のものも、決して描くことはできまいと信じている。(以下略)」

 この絵の向かって右側には産まれて間もない幼児、左側には「死」を予感して恐れている老婆、黒い犬は、ついにこのタヒチで「よそ者」でしかなかったゴーギャン、中央には禁断の木の実に手を伸ばしている若い女・・・人間の生誕から死までのすべてがここにありました。


 株式仲買人として成功を収めたゴーギャンは、デンマーク人女性メット・ガッドとの幸福な家庭生活を送っていましが、ピサロをはじめとする印象派の画家達との交友のなかで、徐々に絵画への情熱がたかまり、1883年(35歳)に画家として生きる決意をします。家庭は破綻し、孤独な放浪が始まりました。印象主義の影響が色濃く残る初期のスタイルは、ケルトの伝説が息づくブルターニュ地方との出会いによって、ゴーギャンの内面の「野性」が目覚め、大きな変化をもたらしたのでした。さらに熱帯の自然が輝くマルチニック島、ゴッホとの伝説的な共同制作の舞台となった南仏アルルなど、それらの土地はパリからタヒチへの移動過程でした。


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《純潔の喪失・1890-91年》  


 ゴーギャンがタヒチに旅立つのは1891年。つまりこの絵を最後に、タヒチへ行きます。しかし、1880年にフランスの植民地となったこの南太平洋の島は、すでに「楽園」ではありません。ゴーギャンは、原初の人間の生命力や性の神秘、さらに地上に生きるものの苦悩を、タヒチ人女性の黄金色に輝く肉体を借りて描きました。その豊かなイメージには、タヒチの風土と、エヴァやマリアといったキリスト教的なモチーフなどが混ざりあって独自の絵画を生み出しました。

 1895-1901年、2度目のタヒチ滞在。1897-1898年《我々はどこから来たのか》を描く。1898年パリのヴォラール画廊で《我々はどこから来たのか》を中心とする個展開催。1901年マルキーズ諸島のラ・ドミニック島(現ヒヴァ=オア島)に移り住む。1903年心臓発作により死去。出発点が遅く、不遇な画家ではありましたが、最期に大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」をわたくしたちに残してくださいましたね。幾たりかの女性を悲しませたけれど。。。


 美術館を出て、お堀端で見つけた「槐 (えんじゅ)」です。

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Posted at 16:57 in nikki | WriteBacks (0) | Edit
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