Jul 03, 2005

孤島 ジャン・グルニエ (消え去った日々)

  

 ジャン・グルニエの「孤島」を読みました。アルベール・カミュは「アルジェで、はじめてこの本を読んだとき、私は二十歳だった。」と、この本とのよき出合いについて序文をよせています。これは十三章の作品から構成されていますが、そのなかの「消え去った日々」について少しだけ書いてみます。これはグルニエの誕生日(二月六日)の過ごし方について書かれています。今日はわたしの誕生日ですので、それへの願いもこめて。。

 『その誕生日に、私は自分の一日のヴァカンスを――空いた日を――もうけようと工夫した。(中略)私は空白をつくろうとつとめ、時間を中断しようと欲した。』

 『睡眠と覚醒とのあいだの、あの薄明の状態。それは昼と夜との専制的な王位継承からまぬかれている状態、抗しがたい時の分割からぬけ出るという幸福な意識を失わせない状態。』

 この二つの抜粋した文章は、とりわけ魅力的でありました。わたしの誕生日もこんな一日であればいいと思いました。どのような一日であっても、振り返ってみればおそらくは同じような表情をしていたのだろうと思えます。そんな日々をわたしは生きてきたのでしょう。狂気寸前まで哀しんだ記憶も、死ぬほどの寂しさの記憶も、あるいは甘やかな幸福の束の間の記憶も、潔く過去に流してしまえば死に絶えるもの、いつまでも抱いていれば腐乱するだけのもの。そして未来はまだ形をなしていないが、そのあたりから新鮮な果実のような香りがすでに漂ってくるように思えるのだ。

 その記憶の時間と未知の時間とのあいだに、一年に一度くらいは「十三時」とか「二十五時」とか、どこにも所属しない、時間ではない時間があるに違いない。そんな時間をわたしはわたしの誕生日にプレゼントしたいと思う。とりあえずは「薄明の祝福」とでも名づけておきましょうか。名づけようもない時間かもしれませんが。そしてわたしは一編の詩を書くことでしょう。
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