Jul 03, 2005

孤島 ジャン・グルニエ (空白の魔力)

  

 すでに、ジャン・グルニエの「孤島」のなかの「消え去った日々」について少しだけ書きました。この本は1968年初版、1969年第四版、竹内書店刊です。翻訳は井上究一郎、すでにセピア色になっています。これはわたしが望んだものではなく、ふいに差し出された本ですので、少々戸惑いがありました。この本の伝えようとしたもの、あるいは貸して下さった方の意図について、わたしは間違いなく受け取れるのだろうか?と・・・・・・。しかし、それはわたしの勝手な気構えかもしれません。さりげなく読めばいいのでしょう。また、わたしがまったく「フランス」という土地に立ったことがないという「断念」から出発するということも前記しておきます。以下は冒頭の章より。『 』で括られた青文字の文章はこの書からの引用部分です。念の為。


 【空白の魔力】

 この本を受け取った日の深夜、帰宅してからすぐにこの第一章だけを読みました。まず「虚無」という言葉に出会ってしまいました。その日の午後はある絵画展を観て、夕刻からお酒を呑み、さまざまなとりとめのない会話をしました。正体不明の哀しみ(のようなもの)をかかえたまま帰宅しましたので、この「虚無」はその時にはとても辛いものでした。冷静に受け止めることができずに、涙ぐむという始末の悪さでした。我ながら情けない。。。

 『私はこの世の「むなしさ」について人からきかされる必要はなかった。それについては、それ以上のものを、つまり「からっぽ」を感じていたのである。』

 『六歳か七歳だったと思う。菩提樹のかげにねそべり、ほとんど雲一つない空をながめていた私は、その空がゆれて、空白のなかにのみこまれるのを見た。それは、虚無についての私の最初の印象だった。』

 これはグルニエの少年期の感性であり、これが彼の思索の出発点であろうかと思われます。この「空白の魔力」がグルニエをさまざまな旅へいざなうことになるのでしょう。この旅によって、その欲望が満たされようとする瞬間こそ美しい。この美しい瞬間にのみ生きてきたのだとグルニエは言いたいのでしょうか?

   『私は海を愛していたとはいえない。私は海の力にじっと耐えていたのだ。』

 このグルニエの少年期の「空白」は、グルニエに親しいブルターニュの海に起因するようです。「海の力に耐える」――それに似た心の作業がこれからのわたしにはたくさんあるでしょう。今までもずっとありました。それに、とてもふさわしい言葉を与えられただけなのだと思います。それらが苦しみとしてではなく、心の根源への接近であることは確かなことです。この章を読みながら、しきりに思い出される詩集がありました。それは有働薫さんが翻訳された、ジャン=ミッシェル・モルポアの「青の物語」です。

 『人は、自分をとりまく物を拒み、ある中立した領域にとじこもることができる。その領域は、われわれを孤立させ、しかもわれわれを守っている。つまり、自分を愛し、エゴイズムによって幸福に暮らせる、ということだ。』

 この文章に出会った時には心が凍るようでした。わたしは永い間「幸福」という言葉の魔法にかかっていたのでしょうか?その魔法から解かれて、わたしは「幸福」から激しい報復を受けたのだと思います。そして「エゴイズム」はわたしが最も憎悪していたものでした。「幸福」と「エゴイズム」とは、わたしの心のなかで大きな配置転換を迫られていますが、この心の作業はまだ終わっていません。
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