Sep 27, 2005

退廃姉妹  島田雅彦

taihai

 「そんな日本へようこそ。いつの時代も退廃姉妹がお相手します。」これがこの小説の結びの一行です。この小説は東京の目黒の一家族の辿った戦中から戦後六十年までの歴史が書かれています。主人公は敗戦を女学生の時にむかえた美しい二人の姉妹(有希子・久美子)です。母親は戦争勃発直前に恋人と心中。父親は映画制作会社をやっていましたが、戦時下では戦争高揚の映画制作を余儀なくされ、また戦後には、「国策」としての「売春組織」へも協力をしていました。一家三人の貧しい生活の最中、父親は納得のいかない罪(米兵の人肉を食した。)により検挙され、父の借財を背負いながら、姉妹は生計の道を考えなければならなかった。
 やがて目黒の自宅は、二人の女性も加わって「スプリング・ハウス」となりました。姉は体を売らず(生きて帰れたら、必ず逢いに来る、と約束した後藤青年のため。)妹を含めた三人の女性は体を米兵に売りました。父親が釈放されるまで、その生活は続き、姉は後藤と再会、父の帰宅とともに「スプリング・ハウス」は閉じられた。
 姉の有希子は特攻帰りの後藤とむすばれる。有希子はその時、それは原初から引き継がれた人間の営みのその末端にいることを思いめぐらして、亡き祖母や母の視線にさらされている自分の肉体を思うのだった。(稲葉真弓の詩集「母音の川」などをふと思い出す。)

   (前略)
    祖祖祖祖母から祖祖祖母 祖祖母から祖母に 母にと
   白い種子は流れてきた
   うめき 叫び ゼリーのようにふるえ
   芽吹き 噴火し 落下してゆく カラダのなかの
   なづけようもない種の反復

   蛇行する川 次々と生まれる川を
   きょうも少女たちが渡ってゆく
   白い素足を濡らし 生温かい声を上げ
   ここは木曽川
   (カラダなんてウ~ザッタイじゃん)(足から魚になりたいよ)
   (後略)

   「22・それでも川は流れていく」より抜粋。

 また、二人の姉妹はそれぞれに生き迷いながら、未遂に終わった自殺(母親と同じ)も潜り抜ける。妹の久美子は女優になり、「肉体の門」の主役を演じて好評を得たが、結婚。姉妹は共に母となり、祖母となってゆくが、孫たちはまたその時代の「スプリング・ガール」を繰り返すのだった。この本来重いテーマを島田雅彦はスムーズにストーリー展開させながら、見事にその裏側には、島田特有の戦争と天皇制への皮肉あるいは批判が、チクチクと姿を現すのが小気味よい。

 母親の恋と自殺、父親の売春組織の仕事、これらは結局二人の娘が轍を踏む運命を背負っていた。そしてそれは形を変え、表情を変えながらも世代を流れてゆくのだった。戦争もまた。。。

【付記】
 戦争体験のない島田雅彦が、何故このような小説を書いたのか、その後でずっと考えていました。そこに「小熊英二」という存在も浮かびあがってきた。まだ未読ですが、この二人の対談もある。つまり時代は受け渡されてゆく。戦争も国家も天皇制も、経験者は高齢化しました。今その実体験のない若い世代の視点から、新たにこれらの問題を雪ぎ直し、再検討されることは必要なことかもしれません。

    (二〇〇五年八月十日・文藝春秋刊)
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