May 17, 2006

国家の品格  藤原正彦

06-5-8ao

 この本は講演記録をもとにしているために、話し言葉に品がなくて(ご当人のお言葉です。念の為。)大幅に加筆したもののようです。ご当人のお言葉を拝借すれば、「品格なき筆者による品格ある国家論という極めて珍しい書」とのことです。たしかに。。。「品格」の有無はともかくとして、この本の文体そのものが文章と話し言葉との境界線をあいまいなものにしてしまったという感は否めないと思います。なにか、この本を早く出版しなくてはならないというような意図が背後に働いているのではないのか?という懸念がかすかにありました。とはいえ、藤原正彦の主張は明快なものですので、充分に読み取れるものではありました。

 藤原正彦はさまざまな例を出し、かなり乱暴な論法を駆使して、自らの考え方(論理とは言わない。)を押し出していました。藤原いわく「論理というものだけでは、国家、民主主義、平和、戦争、自由、平等などをくみたてられるものではない。」ということのようです。

『論理とか合理を「剛」とするならば、情緒とか形は「柔」です。硬い構造と柔らかい構造を相携えて、はじめて人間の総合判断力は十全なものとなる、と思うのです。」

 この「柔」の要素として、藤原は日本独自にあった「武士道」と、日本文学の永い歴史の底流をなしてきた「情緒力」や「もののあわれ」を差し出しています。一瞬「時代錯誤か?」といういぶかしい思いがありましたが、読み続けるうちに、それが決して古いものではなくて、時代を超えて相通じるものであることは納得できました。つまり藤原は日本人が真の国際人になるためには、「英語力」ではなくて「日本独自の言葉の文化や伝統」を内部に育てるべきだと言うことかな?こうしてやっとやっと「国家の品格」は浮上するのかもしれません。

 『民主主義にはもちろんきちんとした論理は通っていますが、「国民が成熟した判断ができる」という大前提は永遠に満たされないこと、その本質たる自由と平等はその存在と正当性のために神を必要とすること、という致命的とも言える欠陥があります。』

 この本を読みながらしきりに思い出していた一編の詩がありました。ルーパード・ブルックは若くして戦死した軍人でした。そしてこの詩はイギリス国家の戦勝祈願として使われたらしいという経緯はありますが、詩人が意図したものはそのようなものではなかったのではないかと、わたくしは思っています。


 軍人(The Soldier) ルーパード・ブルック(1887~1915・イギリス)

                (田中清太郎 訳)

万一ぼくが死んだなら ぼくのことはただ次のようにだけ思ってください、
どこか異国の野の片隅に
永遠にイギリスである場所が存続するということを。
そこの肥沃な土の中には もっと肥沃な土くれがかくされているはずだ。
その土くれと化した肉体はイギリスが生み 形を与え 意識をもたせたものだった。
かつてはそれに 愛するようにと花を さまうようにと小道を 与えてくれたのもイギリスだった。
それは イギリスの空気を呼吸し
川の水で洗われ 故郷の太陽によって祝福されたイギリスの肉体だったのだ。
そしてまた 次のようにも思ってください。すべての邪念を洗い流したこの心が
不滅の心のなかのこの鼓動が 同じように
イギリスから与えられた数々の思いを どこかにお返ししているのだと。
イギリスの風景と響き 昼間と同じように楽しいイギリスの夜の夢
友達から学んだ笑い そしてまたイギリスの空の下にある
平和な心の穏やかさを どこかにお返ししているのだと。

  (二〇〇五年初刷―二〇〇六年八刷・新潮新書)
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