Oct 28, 2006

杉田久女随筆集

hisajo

 杉田久女(一八九〇年「明治二十三年」~一九四六年「昭和二十一年」)は、一九〇九年、十九歳で美術教師の杉田宇内へ嫁す。一九一七年、高浜虚子主宰の句誌「ホトトギス」が女性俳人輩出のために設けた投稿欄「台所雑詠」に五句が掲載され、それが俳人としての出発点となる。
 久女の虚子への尊敬と恋情、病苦、夫の久女への抑圧による俳人と主婦との間の葛藤と苦悶、虚子からの破門、などなど話題の多い俳人ではありましたが、それが「心の病」であるのか、久女本来の情熱的な性格によるものかは、解明されていません。しかし随筆を読むと、生まれた土地、父上の仕事の関係で移り住んだ土地が、すべて南国的風土だったことが、久女の性格に大きく影響しているのではないかと思われます。

      常夏の碧き潮あわびそだつ
      南国の五月はたのし花朱欒(ザボン)

     歯茎かゆく乳首かむ子や花曇
      足袋つぐやノラともならず教師妻
     病める手の爪美くしや秋海棠


  またこの随筆集は、久女の長女「石昌子」によって編纂されていますので、ここに全体像を見ることは、少し無理があるのではないかとも思えます。久女の随筆、俳句の執筆活動は、このような環境にありながら、かなり多いのです。

 この随筆集と並べてみたい一冊があります。それは中村汀女の「をんなの四季―昭和三十一年・朝日新聞社刊」、汀女書き下ろしの随筆集です。汀女は明治三十三年(一九〇〇年)生まれ。熊本第一高女卒。昭和六十三年(一九八八年)没。久女と同じく、「ホトトギス」の「台所雑詠」から誕生した俳人の一人です。
 この本のなかには、句会に出席してもいつも途中で抜け出して急いで帰宅する汀女がいる。それに不満や無念を抱きながらも、家族の夕餉を整えられたことに安堵する彼女もいる。また幼い子供が重い病にかかり、病院で手厚い治療を受けている最中、罪の意識にかられながらも、それを書かずにはいられない汀女がいる。静かな病室では鉛筆の音さえ響くのだった。

   それにしても、その時代とはいえ「台所雑詠」という言葉には、やはりわたくしには抵抗がありました。久女も随筆のなかで、男性俳人からの侮蔑の言葉に対して、女性俳人の感性の柔軟性、言葉のよき器であることを書いています。と同時にやはりかなり個性の強い女性俳人だったことは確かなようです。

     虚子留守の鎌倉に来て春惜む
    張りとほす女の意地や藍ゆかた
    虚子ぎらひかな女嫌いのひとへ帯

    蝶追うて春山深く迷ひけり
    花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ
    谺して山ほととぎすほしいまま


 (二〇〇三年・講談社文芸文庫)
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