Nov 22, 2006

海の旅路 中也・山頭火のこと他   中原呉郎

05-7-20-kikiumi

 十一月九日に『中原呉郎遺稿集ー山椒・三十二号』について書きましたが、それは「山椒」同人によって編纂されたものです。この「海の旅路」は新たに単行本として出版された遺稿集です。「三代の歌」「フク女覚書」「ヨハネ伝八章注釈補遺」は重複して掲載されていますが、それを含めて十四編のエッセーと小説が掲載されています。これらの著作も「山椒・三十二号」同様に、同人誌あるいは医学関係の雑誌などに掲載されたものを、呉郎の亡くなった後で遺稿として集められたものと思われますが、出典があきらかではありません。

 表題となったエッセー「海の旅路」は昭和三十六年(一九六一年)八月から、翌年十二月までの間に「日本郵船」の船医として訪れた海外の土地について書かれています。訪れた土地は約十五箇所です。日本を恋しいとは思わなかったが、反面ではどこも同じことだという感慨があったようです。この旅の後で呉郎は「日本の普通の医者になろう。」という結論に至ったようです。
 中原家は代々の医家であったのですが、長男の中也は家業を嫌い、文学の世界にいく。五男の呉郎は医師とはなったが、やはり中也同様に留まり続けることのない人間だったようです。略歴でもわかるように、軍医、船医、開業医、ハンセン病療養所の医師、無医村の医師など、変遷が多いようでした。それは友人「山頭火」が与えた影響も大きいものと思われます。

 「紫陽花」は、シーボルトの日本人妻とその混血の娘、孫娘の三代の歴史小説になっています。娘は医師となりました。また「蘭学のころ」は日本の蘭学のはじまりと、それを受け継いだ人々の系譜がしっかりと記述されています。この二篇が医師「中原呉郎」の思想の原点であり、中原家の源流とも言えるのかもしれません。

 また「故郷の中原中也」では、中原家を出た後の兄中也が五男呉郎へ与えた精神的な影響の大きさを物語っています。その後の生き方も、本来持っていたお互いの性格も異なりますが、評論家たちにはない弟の視線で「中也」を語る点には大いに注目してもよいでしょう。

   (一九七六年・昭和出版刊)
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