Dec 05, 2006

ミス・サハラを探して・・・チュニジア紀行  島田雅彦

suna

 この紀行書は美女を求めての旅ではないようです(^^)。冒頭から「私はユリシーズという男が嫌いだ。」とはじまるのです。そして『蓮の実喰いの国にとどまる願いを果たせなかったユリシーズの部下たちへの同情を込めていつかはジェルバ島を訪ねてみようと私は思っていた。』と書かれています。

 この旅はある依頼からはじまりました。ヨーロッパの彼岸にある地中海リゾート地のチュニジアはヨーロッパ人で賑わうが、日本人はいないのだそうです。(おそらく、この本を書く以前の時点では。。)そのために島田雅彦は、この地を紹介するべく、三週間のリゾートの旅に出されるのでした。ですから、この本は砂漠と駱駝と太陽と海と、異質な時間の流れる人間の暮らしが島田によって書かれ、写真が半分を占める、一種の観光ガイドの本と言ってもいいでしょう。

 旅する島田雅彦の時間の経過とともに内面の変化もあって、この心の旅路を追うことも興味深い。知らない土地に踏み込み、徐々にその土地や人間を理解しながら、戸惑いが島田特有のアイロニーに変わってゆく過程の面白さです。それぞれの土地で出会った人間や生き物、風景、出来事が時間の経過に沿って書かれています。そのなかでわたくしが興味深かったことを書いてみます。

 まずは、ドゥーズの遊牧民の詩人との出会いです。遊牧民は夜のオアシスや砂漠のテントでは、夕餉の後でタンバリンをたたきながら歌います。白い服を着た詩人が喉の奥から絞り出すような高い声で。。。単調なリズムでも反復はない。朗誦は三十分に及ぶ。テキストがあるわけではない。全く日本語のわからないその詩人は、島田雅彦のつぶやいた即興の日本語の詩を、即座に音として記憶してその場で朗誦したというのです。書きしるすことをしない遊牧民詩人はこうして記憶を夜毎に朗誦するのでした。

 次はカルタゴです。ここでは島田の書いたものをそっくり引用してみましょう。
『カルタゴ滅亡後、すぐにローマ人の入植が始まり、大浴場や劇場が作られ、町並みもローマ風に作り変えられた。ローマ浴場跡は今も残っているが、それが必要以上に大きく、なにゆえローマ人はかくも風呂に見栄を張ったか呆れるほどである。ローマ人は植民地には必ず大浴場を建てた。それこそリゾートの元祖というわけだ。観光を主な収入源とするチュニジアの今日と古代ローマの植民地だった昔は見事に結びついている。』

 砂漠を抜けジェルバ島へ向かった時、町の賑わいやヨーロッパのツーリストの集団に出会った時には、砂漠に引き返したくなったと島田は書いています。それはかつてチベットから下界に下りてきた時の感覚に近いと。。アラビアのロレンスが「何故、砂漠を愛するのか?」という質問に「清潔だから。」と答えたそうですが、この言葉は砂漠に立ったことのある人間ならば、すぐにわかるでしょう。わたくしが八年ほど前にモンゴルの南ゴビ砂漠から持ち帰った砂が、全く変質していないことでも、これは証明されるのではないかと思います。島田雅彦はこのように書いています。

 『この世の形あるものもないものも、いずれはこの砂に埋もれてゆくのだ、と呟いてみては、一人ほくそ笑むのである。それにしても砂漠の砂は、歴史の虚栄や残虐や愚行を数千年にわたって呑み込んできたにしては、美し過ぎる。』

 最後に宗教に少しふれておきます。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も砂漠から生まれました。そしてその宗教が原型に近いほど、純粋であり、人間の暮らしの根源に見合っているのではないでしょうか?「もう一度砂漠を見てから死ぬよ。」これが島田雅彦の旅の別れの言葉でした。

 (一九九八年・KKベストセラーズ刊)
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