Apr 09, 2007

ふたりの老女 ヴェルマ・ウォーリス 亀井よし子訳

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 ヴェルマ・ウォーリスは、一九六〇年にユーコン川とポーキュパイン川の合流する地点に位置する「アサパスカ語亜族の村」である「フォート・ユーコン」に生まれ、アラスカ・インディアンの伝統にのっとって育てられました。このユーコン川流域のほとんどの集落でこのふたりの老女の伝説は語りつがれていました。それをヴェルマ・ウォーリスは一冊の物語として書いたのでした。
 この原稿は、アラスカ・フェアバンクス大学教師「ラエル・モーガン」と、その教え子達による「ヴェルマ・ウォーリスの友人たち基金」とエピセンター・プレス社の協力によって世に送り出されたのでした。

 この物語はアラスカ・インディアン版「姥捨山」と言えるかもしれません。酷寒の地に生きる狩猟の民は、寒さと飢餓との戦いの日々です。先日書きました「ヘヤー・インディアン」のなかでは飢餓のために死者を食べること(カニバリズム)さえあったのでしたから。。。その冬は獲物も少なく、飢えに苦しむ一行を率いるリーダーの苦渋の決断は、二人の老女を置き去りにすることでした。その二人の老女とは、七五回の夏を経た「サ」と八十回の夏を経た「チディギヤーク」でした。

 置き去りにされた二人の老女は当然失望のなかで「死」を迎えることを考えました。出発した一行もそう思ったに違いないのです。しかし彼女たちはその失望から立ち上がり、永い経験のなかで蓄えた豊かな生活の知恵が蘇り、食料の調達が豊かだったと記憶していた土地へ移動して、獣や魚の捕獲、食料としての保存、防寒衣類の作成、生活用具の作成、燃料の調達、そしてさらに保存できるほどの食料や、二人では多すぎるほどの防寒衣料なども蓄えたのでした。それは老いた肉体にとって決して楽な暮らしではありませんが、「生きる」と彼女たちは決めたのです。「若さゆえの体力」ではなく「老女ゆえの知恵」が彼女たちの命を救ったのです。

 一方、先へ進んだ一行にはさらなる困難に遭遇して、二人の老女を置き去りにした土地まで戻るのでした。老女たちの死の形跡すらない土地で、彼等は必死に老女を探し出す。無事に生きていたことを確認し、さらに一行は二人の老女に飢えと寒さから救われたのでした。おはなしはこれでおしまい。語り継がれた「教訓」と単純に思うなかれ。。。

 (一九九五年・草思社刊)
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