May 24, 2007

あなたが、いなかった、あなた  平野啓一郎(1)

07-5-18buranko

07-5-23sinryoku

 万緑の五月、家を出る度に、風花が舞うようにふわふわとやわらかく漂っているものが見える。それはタンポポをはじめとする、さまざまな野花の綿毛が飛んでいるのだ。音もなくわたくしのからだのまわりをすり抜けてゆく。これは「死」でありながら、次の「生」への営みであり、その「生」への確率がきわめて低いゆえに、綿毛たちはおびただしい数となって風に乗る。行き先の選択もできないままに。。。

 この季節に、平野啓一郎の短編集「あなたが、いなかった、あなた」を読んでいる。その冒頭の作品は「やがて光源のない澄んだ乱反射の表で・・・・・・/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵」は、三二ページの一ページ毎に「文字で表現された絵」がページの下の部分に横書きされて置かれているというレイアウトになっている。
 この物語は、中年初期にさしかかった主人公の男性のからだから、「砂」が少しづつこぼれ落ちる現象が表れるということから始まる。少年期に見た祖父母や父母もおなじことが起きたと回想する。その「砂」への処し方がその人間の生き方であったかのように。。。恋人(主人公より三歳年上。)との性愛の時間にも、その二人のからだから、おびただしい「砂」が降るというのだ。いのちは成熟する。その成熟の頂点を終える時、いのちは繰り返し降りつづける「砂」となってゆく。。。

   ふたりの上に砂嵐が
   いくにちも いくにちも 吹いて
   わたしたちが
   そこに眠りながら
   次第に埋もれてゆく風景を思う  

   (砂嵐・高田昭子/抜粋)

 誰の詩だったろうか?老父が風呂に入ると、浴槽につかった老父の首のまわりから、白い粉のようなものが水面に拡がってゆく、という詩があった。そしてわたくしも、かつて老父母の介護の時期に、それぞれのからだから降る白い粉を幾度か見たことを思い出す。人間のいのちとは固体のようでありなから、実は「砂、あるいは粉」の集合体にすぎないのではないか?とふと思う。「風化」という言葉がわたくしのなかをよぎる。

 今朝もベランダに出ると、野花の綿毛たちが風の行方を知らせてくる。五月・・・いのちの交代は絶え間なく続くのみだ。子供が産まれて三十余年の歳月を育ちゆくいのちと共に暮らし、反面死者を看取る日々もそこにあった。若いいのちとの暮らしに別れを告げ、新しい住処に移住して、約一ヶ月が経った。

 (二〇〇七年・新潮社刊)
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