Sep 11, 2007

人生の実りの言葉   中野孝次

077-9ginnan

 中野孝次は、一九二五年(大正十四年)生まれ。この本が単行本として出版されたのは一九九九年、中野が七四歳の時となります。中野の最も古い蔵書は十五、六歳ころに求めた「論語」であり、十八歳ではアリストテレスの「ニコマコス倫理学」だそうです。その若き日に、その本に傍線を引き、感想を書き込んだ箇所に、七四歳の中野はもう一度同意しているのですね。ここが中野孝次の一貫した純粋性なのかもしれませんね。

  子ののたまわく、後世畏るべし。
  いずくんぞ来者の今に如かざるるを知らんや。
  四十五十にして聞こゆること無くんば、
  斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。
   (論語)

  相手かたにとっての善を相手かたのために願うひとびとこそが、
  最も充分な意味における親愛なるひとびとたるのでなくてはならない。
   (アリストテレス「ニコマコス倫理学」)

 ここで中野によって取り上げてられている言葉たちは、どれも純粋であり、生真面目であります。そして、これらの言葉たちは長い時間の中野孝次の読書メモのエッセンスの集約なのです。(1)の「愛」から始まり、最後の(40)では「災難と死」で終わっています。その(1)で取り上げられた言葉が下記の詩です。この言葉は最初に置く言葉として最もふさわしいと中野は書いています。

  わたしの誕生を司った天使が言った
  喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
  行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも。
   (ウイリアム・ブレイク・・・中野孝次訳)

   (40)での良寛の言葉は、文政十一年(一八二八年)秋、越後に起きた、マグニチュード7,4という大地震の折に、友人の山田杜皐宛てに書いた手紙の一部です。良寛の住む島崎あたりは被害は少なかったとのこと。

  しかし、災難に逢時節には 災難に逢がよく候
  死ぬ時節には 死ぬがよく候
  是ハこれ 災難をのがるゝ妙法にて候

 今日の新潟の方々を思う時には複雑な思いがありましょう。良寛の生死に関するすさまじいまでの達観と思うほか、凡々たるわたくしにはできませぬ。
 ここに取り上げられた言葉は、まさに古今東西の文学者、哲学者の言葉が選ばれていますが、ケストナー、シェークスピアが全く見当たりませんでした。どうして?

 (二〇〇二年・文春文庫)
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