Mar 03, 2008

自由死刑   島田雅彦

madobe

 人間が「自殺」に最も縁が深いのは思春期であり、その次が四十代だと言われています。この小説は島田雅彦(一九六一年・東京生まれ)が、その四十代を迎える前の精神上の危機管理を図るために、自らが「自殺」を考えること自体に飽きておく必要性から生まれたものだったようです。

 理由もわからずに「自由死刑」を言い渡された三五歳の独身男性が主人公。それまでの仕事は健康食品のセールスマン。言い渡される理由もない。言い渡した人間も居酒屋にいた赤ん坊であり、法廷ではない。人間は誰しも罪深いものですが、この「自由死刑」を宣告されるほどの罪は犯していない。そしてその死に方は強制的な「死刑執行」ではなく、一週間の間に自分で死ぬことでした。これを「何故?」と訊かれても困る。つまりそれからの一週間、三五歳の独身男性がたどる物語を作家が書き始めなくてはならないからでしょうね。。。

 ここからが作家の想像力が試されるわけで、一週間という制限のなかで人間がどのように生ききるのか?あるいは死にきれるのか?一章の金曜日夜からはじまって、曜日毎に次の金曜日夜まで、そしてそのあとに「SOMEDAY」、合計九章の小説になっています。
 これを特異な世界とはせずに、木曜日までは書いた。平凡な三五歳の男性が、多分死ぬ前にやっておくであろうと思われる出来事にすぎない。あるいは「死」を覚悟すれば、人間はこれくらいのことは出来るであろうというほどの日々である。「生命保険屋」「秘密の臓器移植売買業者」「外科医兼殺人鬼」の登場。そして百万円ほどの預金を持った三五歳の男の「ありふれた酒池肉林」などなど。。。

 しかし予定の金曜日に、車ごと海に飛び込む「自殺」に失敗した(つまり、半自殺状態です。)男性が、本当の「死」に向き合う「SOMEDAY」が書き加えられています。ここで人間は初めて「死」の困難に遭遇するわけです。しかしこの小説の最後は「主人公は死んだ。」とは書かれていません。「ヘリコプターの音」「人の声」という暗示。そして最終行は「ここは何処だ。まだ”あいだ”か?」でした。

 ここでわたくしは島田雅彦の弁護人になり(^^)、最後に彼の一文を引用しておきます。

 『もし、虚無が癌や免疫不全を引き起こすウィルスの仲間であるならば、宿主の細胞に忍び込み死に至らしめてくれるものならば、歓迎もしよう。でも虚無は何もないってことだ。何もないくせにあらかじめ全ての結論にするのは詐欺だ。その時、虚無には怪しい実体がつきまとっている。本当の虚無は死に結びつくことはない。ただ清らかなゼロとして、無限の彼方に漂っているはず。虚無と諦めは違う。思考停止と虚無も別物だ。(中略)それは虚無と死の本来の結びつきではない。あいだになにか邪魔が入っている。そいつをつまみ出してから、清らかな無限のゼロと一体化したい・・・・・・(中略)虚無は汚れている。虚無の発見以来、人はわけのわからない衝動やモヤモヤした気分を全て虚無に委ねてきた。結果、虚無はファンシーグッズになった。』

   (一九九九年・集英社刊)
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