Jun 29, 2008

フェルメール全点踏破の旅  朽木ゆり子

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 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 一六三二年~一六七五年)は、十七世紀にオランダで活躍した風俗画家。レンブラントと並んで十七世紀のオランダ美術を代表する画家。生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごしました。フェルメールが活躍した時代のオランダはスペインからの独立を果たし、経済的繁栄を極めていました。しかも中流階級層が豊かであったことがこの国の特長でしょう。
 フェルメールの四十三年の生涯のなかで残された作品は少なくて、大方三十二点~三十七点というのが定説となっています。そして弟子もいない。多作のレンブラントとは対照的です。

 朽木ゆり子はジャーナリスト。これまでにも数冊のフェルメール関係の著書を出版している実績があります。この美しいカラー画像入りの新書版は、集英社の企画として、彼女に依頼した全点踏破の旅の記録です。
 旅は二〇〇四年十二月から翌年の一月、わたくしの想像よりもはるかに短期間なものです。さらにこの期間では残念ながら三十二点で終わっています。それは絵画というものは一応定住の美術館にはあるものの、国内外の展覧会に貸し出されるという場合が多いからでしょう。すでに日本もその例外ではなく、今秋にはさらに七点の作品が観られる機会が訪れる。こうして待っていると、あるいは死ぬまでに全点観られるやもしれぬと、貧しいわたくしは夢みるのです(^^)。

 のちに朽木ゆり子は残り四点を観る機会に恵まれ、残るは「合奏」一点だけだそうですが、この一点が彼女をフェルメールに関心を持ったきっかけの絵画であるという不可思議な縁・・・・・・これは人生そのもののようです。待っているものをあきらめなければ、その願いは届くということに外ならない。きっと届くでしょう。

 フェルメールの絵画の特性は、それまでの西洋美術の特性はキリスト教が背景にあったという動かしがたい風潮から開放されたものであると言えるでしょうか?もう一点は(これは私見ではありますが。)オランダはこの時代から庶民生活が豊かであり、美術が特権階級にのみ愛好される時代から、もっと広い愛好家を得たことにより、絵画のテーマが拡がりをもてる時代を迎えていたということも言えるのではないだろうか?

 六月二十七日の朝日新聞に掲載された上記の画像はありがたい資料です。お叱りを覚悟の上でスキャンしてしまいました。赦されよ(^^)。これらの美術館を朽木ゆり子は旅したわけですね。うらやましいなぁ。
 しかしながら、オランダの画家フェルメールの作品が、オランダ以外六ヵ国に分散したのは何故だろうか?もちろん画商、コレクター、盗難、贋作など理由はさまざまにある。しかしここにも「戦争」「政治」「富の侵略」という背景があることを考えざるをえない。彼女の旅にはそうした意識も強く働いていました。

 (二〇〇六年初刷・二〇〇七年第八刷・集英社刊)
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