Jul 08, 2008

密会    ウィリアム・トレヴァー

7-5sakana

翻訳:中野恵津子

 ウィリアム・トレヴァーは、一九二八年、アイルランドのコーク州生まれ。プロテスタントのイングランド系アイルランド人(アングロアイリッシュ=大英帝国からの入植者の子孫)に属する。トリニティ・カレッジ・ダブリン卒業。一九五八年より五十年間、長編、中篇、短編小説、戯曲、脚本、エッセーなど、膨大な作品があります。

 これは表題「密会」を含む、十二編の短編集です。最後に置かれた「密会」の最終部分が、この本全体の一環したテーマだと思われます。
 『今日、愛はなにも壊されなかった。彼らは愛を抱きつつ、離れてゆき、お互いから立ち去った。未来は、今二人が思っているほど暗いものではないことに気づかずに。未来にはまだ、彼らのその寡黙な繊細さがあり、そしてまだ、しばらくのあいだ愛し合ったときの彼ら自身がいるだろう。』

 これは妻のいる男性と、夫のいる女性の束の間の地味な恋物語です。しかしここで気付かされることは、男性は妻を捨てなかったこと。しかし女性は夫と別れて、恋人との時間を優先して生きようとしたこと。しかし二人の別れはしずかに訪れるのでした。互いに憎みあうこともなく。。。

 十二編はすべてはありふれたお話で、決して輝くような明るさもないものでしたが、人間が生きて、愛して、死んでゆく人生のなかに潜む「孤独」と「愛」と「信頼」が静かに流れ、「裏切り」や「殺戮」のないかそけき世界のような一冊でした。

 「密会」をエピローグだとすれば、冒頭に置かれた一編「死者とともに」は、この短編集のプロローグかもしれません。
 愛情の薄い(あるいは夫の打算か?)二十三年間の夫婦生活ののちに、夫は死んだ。その深夜に、妻エミリーのもとに、慈善活動の「マリア団」の団員である中年の独身のゲラティー姉妹が訪問する。彼女たちの奉仕活動は、死にゆくひとの最期に付き添うことであったのだが、それには間にあわず、妻エミリーの告白を聞くことになる。
 三人の女性の会話が深夜に繰り広げられることになる。初めて出会う姉妹に、夫の抑圧から解放されたようなエミリーの無防備な告白はこわいものがありました。それは明け方近くまで続き、エミリーとゲラティー姉妹の間に言葉の橋はかかり、救いはあったのだろうか?
 二人を送り出し、そのまま眠らずに葬儀屋を待つエミリーは気付く。亡霊のように深夜にあらわれた、あのゲラティー姉妹はエミリー自身ではなかったのか?と。。。

  *   *   *

人と人とが巡りあい、共に生きることは、苦しみを伴う幸福であるかもしれません。しかし、このことに真剣に向きあって生きてみなければ、結局なにも掴むことはできないでしょう。愛するということは、すべてを受け入れることからはじまるのではないだろうか。

 (二〇〇八年・新潮社刊)
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