Jul 24, 2009

マルテの手記ーメモ4

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 ここでは「愛する女性」について書かれたところを引用します。

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 彼女たちは幾世紀もの間、ただ愛だけに生きてきたのだ。いつも一人で愛の対話を、たった一人で二人分の長い対話を続けてきたのだ。男はへたにただそれを口まねするだけだった。男はうかうかしていたし、ひどく物ぐさだったし、嫉妬深かった。(嫉妬は物ぐさの1つに違いない。)男はむしろ彼女たちの真実な愛の邪魔ものにすぎなかったと言わねばならぬ。それに彼女たちは夜も昼もじっと耐えて来たのだ。愛と悲しみをじっと深めてきたのだ。無限な心の苦しみと重圧におしひしがれながら、いつのまにか彼女たちは根強い「愛する女性」になってしまった。男を呼び続けながらついに男を克服したのだ。去った男が再び帰らなければ、容赦なくそれを追い抜いていったのだ。

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 この「愛する女性」の代表的な人物として、マリアンナ・アルコフォラド(ポルトガルの尼僧)とガスパラ・スタンパ(イタリアの詩人)が登場します。

 リルケの著作に「ポルトガル文」というものがありますが、この作品の元となったものは、あるポルトガルの尼僧が、自分を捨てて、遠い国へ帰ってしまったフランスの武人に宛てて書いた5通の手紙です。そのもとの原文書はすでになく、1669年フランス語に訳されて出版されたものが唯一残されたもので、武人の名も「マリアンナ・アルコフォラド」の名前もなかったものですが、大変な評判となったのでした。それをドイツ語に翻訳したのが「リルケ」でした。まだこの「ポルトガル文」には尾ひれのついたお話がありますが、それは省きます。

 イタリアの詩人「ガスパラ・スタンパ」については、「リルケの手紙」のなかに登場しますが、「ガスパラ・スタンパは少なくとも1部分でも翻訳したいと常に考えています。ベネチアの女で1550年ごろ、コラルティノ・コラルトオ伯爵に愛の手紙や詩を贈っているのが、彼女の名前を純粋な永遠なものにしたのです。」と書かれています。

 この2人は代表的な方たちで、リルケが思う「愛する女性」は、追い詰められた困難のなかで、ぶくぶく太った女性、意識的に男と同じになってしまった女、8人もの子供を産まされて、産褥で死んだ女、場末の酒場の女、などなど手紙や詩さえ残すことのなかった女性などを含めて「愛する女性」と言っています。

 さてさてリルケ(マルテ?)は、このあとで「こんどは僕たちが少しばかり苦しい坂道を切り開き、だんだんに、ゆっくりと、少しずつ愛の仕事の一部を引き取ってゆかねばならぬのかもしれぬ。」と書いていますが、どうなったことやら。。。
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