Jul 04, 2005

高田昭子日記 2004年9月

2004/9/26(sun)
女といふものはみな戦争が嫌ひなのです。



与謝野晶子(1878〜1942)は日露戦争の始まった1904年に、あの有名な「君死にたまふことなかれ」を雑誌「明星」に発表した。この詩への反論は勿論あった。上記のタイトルはその折の晶子の言葉の一つである。


オルレアンの少女「ジャンヌ・ダルク(1412〜1431)」は、イギリスとフランスの間に長く続いた「百年戦争(1337〜1453)」の終結期に「神の啓示を受けた者」として突然にシャルル王太子の前に現われる。しかし両国の利害争いに巧みに利用され、最後は「魔女」として火刑に処せられ、たった19年の生涯を閉じた。魔女であるか、神の啓示を受けた聖女であるか、という問いかけのために「処女性」について屈辱的な行為を受けることもあった。シャルルの載冠式は無事に終わり、少女ジャンヌ・ダルクはイギリスの捕虜となり幽閉されて、フランスから見放された。それからのジャンヌ・ダルクは、自らの神からの啓示の誤読に悩み、さまざまな宗教裁判における審問に混乱したまま、神への懺悔の機会もないままに火刑台に上った。それから永い時間を経て、ジャンヌ・ダルクには「聖女」という敬称が与えられる。彼女は「魔女」でも「聖女」でもないと思うけれどね。

どうやら「戦争」と「歴史」というものは、男たちのためにあるんだね。



2004/9/24(fri)
文楽



日記とは、その日にあったことを書くものだと思うけれど、わたしの日記はいつでも「先日は……」になってしまう。ま、いいか。
先日、大阪育ちで現在東京在住の友人から「国立劇場に文楽を観にいきませんか?」というお誘いを戴いた。「文楽」はテレビでしか観たことのないわたしであるが、よい機会を戴いたのだからお断りする理由はない。友人は大阪の高校時代から「映画」を観る感覚で「文楽」や「歌舞伎」に馴染んでいたとのこと。う〜〜んそうか、わたしが、ナタリー・ウッドの『草原の輝き』なんぞにうっとりしていた代わりに、そういうものを観ていたのねぇ〜。


観たものは「通し狂言・双蝶々曲輪日記」、これはお相撲さん「濡髪長五郎」が主人公のお話。そして人形が踊る「関寺小町」「鷺娘」、休憩をはさみながら約五時間の公演であった。物語の見せ場の少ない平坦な場面ではさすがに少しだけ眠くなった(笑)。さらに舞台右脇にいる「大夫」の声と「太棹」の音に気をとられて(観たことないけど、活弁映画に似ているな。)、人形とどっちを観ればいいのか悩んじゃうのだ。「人形を観るものです。あっちはBGMです。」「はいはい。」物語も時々わかりにくくなる。そんなわたしに、友人はきれいな大阪弁で時折解説を入れてくださる。この大阪弁が文楽に妙にマッチするのだ。「つまりこれは舞台と観客との予定調和の世界なんです。水戸黄門の印籠みたいなものです。これを楽しむことです。」うんうん。「大学時代に、友人にカフカの芝居を観せられて翌日寝込んだという体質ですから。」あ〜〜あはは。なるほど。


感動したのは「関寺小町」「鷺娘」!舞台装置、照明、人形の衣装と顔立ち、すべてがとても幻想的な美しさだった。老いた小町の寂しい姿、鷺娘の白い衣装から桜模様の衣装に早代わりする初々しさは、対照的であった。


一体の人形を三人の人間が操るわけだが、その中の一人の太夫だけが顔を見せていて袴姿、後のサポート役の二人は黒子姿で顔も見えない。(イラクの捕虜を思い出してしまって複雑な気持にもなったが…。)当然ながら人形より人間の方が大きくて、人数も多いわけだが、不思議なことに目障りな感じにならないものだ。表情の変わらない人形をいきいきと動かせる「文楽」とは不思議な芸術である。一体いつから「人形」に演じさせるということは始まったのだろう。


   人形の足音聴こゆ秋舞台   昭子



2004/9/16(thu)
巨きな顔・ちいさな顔 


   
    こどもが病む   八木重吉

   
    こどもが せきをする
   このせきを癒そうとおもうだけになる
   じぶんの顔が
   巨きな顔になったような気がして
   こどもの上に掩(おお)いかぶさろうとする


子供が殺される事件が頻発する。それについて「母親として何か書いてみなさい。」と言われたが、どこから手をつけていいのかわからない。「フェミニズム」だとか「教育」だとか「ジャーナリズム」だとか「漫画」や「テレビ」だとか、その原因をさぐっていってもどれもちがうような気がする。それで思い出したのが八木重吉の詩だった。


この詩だけはわたしの「実感」というか「実体験」があって、忘れられないものです。
かつて子供が一歳にもならない頃高熱をだした。一晩中、夫と一緒に子供の両側に寝て見守っていた。幼い子供を見つめていて、ふと見なれたはずの夫の顔を見ると「鬼瓦」みたいに大きく見えてくるのね。それほどに子供の顔はちいさいのよね。すると夫も突然「君の顔、可愛くないね。」。ムッ!!!


それから子供は大人になって、書物などを読むようになった。ある日愛娘が本を閉じてニコニコしながらこう言った。「お母さん、人間や動物の子供が何故あんなに可愛い姿をして生まれてくるのか?それはあまりにも小さくて一人では生きていけないから、大人に可愛がってもらうためなんですって。」というの。本の名前は忘れたけれど。


ちいさな子供はこの世で「ガリバー旅行記」をしているのよね。その旅行は楽しい冒険だった?こわい記憶だった?

   


   母の瞳


   ゆうぐれ
   瞳をひらけば
   ふるさとの母うえもまた
   とおくみひとみをひらきたまいて
   かわゆきものよといいたもうここちするなり


   
   母をおもう


   けしきが
   あかるくなってきた
   母をつれて
   てくてくあるきたくなった
   母はきっと
   重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう



この二編の母の詩は「すでに忘れ去られた母の原風景」をみる思いがする。「男女同権」「フェミニズム」「ジェンダー」さまざまな動きがあるが、これは逆利用されている「弊害」も出てきているような気がしてならない。こういうと反論がありそうだね。しかし幼い子供の命は誰かが守らなければ生きていけない、基本的にはこれだけなんだと思う。



2004/9/2(thu)
床の軋む音 雨の音


先日、娘が谷中にある彫刻家朝倉文夫の住居とアトリエであったという台東区立「朝倉彫塑館」を見てきた。おみやげの根岸芋坂の「羽二重団子」を食べながら「どうだった?」と聞くと「おじいちゃんとおばあちゃんの家を思い出したわ。」と言う。「おいおい、あたしの実家はあんなに立派な家ではなかったぞよ。」と驚くと、娘はおもむろに話しだした。

「つまりね。廊下を歩くと軋む音が聴こえるのよ。この家は高層住宅だから、そういう音はしないでしょ。その代わり上の階の音は聞こえたりするけれど。おじいちゃんたちの家はそういう音のする家だったのよ。」「なるほど。そういうことだったの。ここに住んでいると、雨の音に気付くのも難しいものね。」「うん、なんだか懐かしい音を久しぶりに聴いたのよね。」「うん、うん。」

もうすでに父母は逝き、老朽化した実家は取り壊された。おそらくその不動産の権利を譲り受けた姉は土地も売り払うだろう。なにも残らない、さっぱりとそれでいいと思っていたのだが、我が娘からそんなことを言い出されるとは……。しかしいい思い出を抱いていてくれてよかった。

さて、お話は「羽二重団子」に移る。感傷より団子♪
お団子は餡子のとお醤油のと……どっちもさらりとしておいしい、やわらかい。このお団子はさまざまな文人の著書のなかに登場する。
正岡子規の「道灌山」「仰臥漫録」、夏目漱石の「我輩は猫である」、司馬遼太郎の「坂の上の雲」、泉鏡花の「松の葉」、田山花袋の「東京近郊」など。

   芋坂も団子も月のゆかりかな    正岡子規
Posted at 11:43 in diary_2004 | WriteBacks (1) | Edit
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