Jul 04, 2005

エレ二の旅

 これはギリシャ人監督デオ・アンゲロプロスの映画である。「一言でジャンルを。」と問われれば「反戦映画です。」ですと答えることになるのでしょうか。これはわずか三歳で戦争によって孤児になったヒロインのエレニが、その後の人生のなかで、またもや戦争によって夫と二人の子供を失い、人生の孤児になる生涯を描いた物語です。この物語の時代背景は「ロシア革命・1917年」にはじまり「第二次世界大戦・1939~1945)」までの約三十年間です。

 この映画には血生臭い戦場シーンはまったくない。上映時間は長かったが、シーンの展開が非常にゆるやかな速度で進められているためでしょう。この速度はわたしにはちょうどここちよい。映画の登場人物はみな哀しく、貧しい人々ばかりだが、美しい音楽がたえずわたしの耳を満たしていました。

 ロシアのオデッサに移民したギリシャ人たちは、革命の勃発と赤軍のオデッサ入城により、1919年頃には難民としてギリシャのテサロニキ湾岸の荒野に戻る。その一行の長はスピロス、病弱な妻ダナエ、息子のアレクシス。そのアレクシスの手を離さない孤児の少女がエレニだった。エレニはこの長の家族として育つ。やがて一行は、河の近くに「ニューオデッサ」という村を築く。
 人間の暮らしの場はいつでも「水辺」から始まるものだが、その暮らしを崩壊させるものも、実はいつでも「水」なのであり、この村は水害をきっかけに水没する運命を辿ることになる。このコミューンのなかに、監督は「エディポスの神話」や「テーパイの神話」の痕跡を残そうとしているのだろうと思われます。わたしが「なぜ?」という思いにかられる物語の展開の裏には、これらの「神話」の仕掛けがあるようでした。

 やがてエレニの夫となるアレクシスはアコーディオン奏者、仕事を求めて「夢のアメリカ」へ行き、エレニと双子の息子たちを呼び寄せるはずだったが、国籍取得のために米軍兵士となり、「オキナワ」にて戦死。双子の息子は、皮肉な運命を辿り(これがわたしの最も深い哀しみだった。。)、ギリシャ国軍兵士と反乱軍兵士とに生き方をわかち、そして共に戦死。エレニ自身も投獄される数年があった。映画の最後のシーンは反乱軍兵士の息子の遺体のそばで号泣するエレニの姿だった。その姿は、オデッサの路上で死んだ母親にすがりついて泣いていた、三歳のエレニに重なる。その後のエレニはどう生きるのだろか?

 かつて若かったエレニとアレクシスとの約束「いつか二人で、河のはじまりを探しに行こう。」は、ついに果たされることはなかった。二人は「地に降る涙のように」流れる時代の大きな河に押し流されてしまったのだ。

 観終わってから、わたしはあの荒涼たるテサロニキの風景と美しい音楽に、ただぼんやりとしていた。同行者に促されて席を立ち、明るいロビーに出てから、わたしが一番先にさがしたものは、この映画音楽のCDであった。この原稿を書く間もいつもこの音楽と一緒でした。

ereni
Posted at 00:42 in movie | WriteBacks (0) | Edit
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