Jul 06, 2005

シルヴィア

05-6-22murasakihana

 人間は「詩」なんてなくても、きっと生きてゆける。けれども「詩」はありつづける。「詩」という魔物のためにいのちを捧げた人間もいる。過去においても未来においても「詩」を離れることはいつでもありえたし、またありうると、わたしは思っているのだけれど……。

 二月三日午後、立春の前日とはいえ風は頬に痛く冷たく、空は見事に晴れていて、白い雲が美しく浮んでいた。いつものように空ばかり見ながら駅への道を歩いた。この時間がとても好きだ。渋谷着午後三時二〇分、渋谷の方が少しあたたかく、風もおさまっている。ここに来ると空は見なくなる。駅の人混みのなかから見つけた同行者の最初の笑顔を見るのが好きだ。わたしたちは「渋谷ぶんかむら」にて、映画「シルヴィア」を観る。

 「シルヴィア」のヒロインは詩人シルヴィア・プラスのこと。映画は、フルブライト奨学生として、イギリスのケンブリッジ大学に留学中のシルヴィアと詩人テッド・ヒューズとの電撃的な恋からはじまる。結婚してからはテッドの女性問題に嫉妬し、さらに家事と育児に翻弄されながら詩作に苦しみ、作品が世に認められないことに苛立つ、かなり世俗的な描き方がされている。わたしは詩作の停滞はそうした具体的な事情によるものではない、それはもっと内面的なものに起因するのではないかと思う。映画がそれを描ききることはやはり無理なことだったのだろうか。

 シルヴィアは結局夫と別れ、幼い二人の子供を残して、ガス・オーヴンにて自殺、三〇年の短い生涯を閉じている。映画のエピローグあたりからわたしのからだは震えはじめた。シルビアは、深夜に同じアパートに住む老教授から切手を譲ってもらい、友人宛ての遺書(多分)を送る。眠っている幼い二人の子供の部屋の窓を半分だけ開けて、二人分の朝食用のバターつきパンとミルクを置き、子供部屋のドア―に目張りをしてからキッチンへ。シルヴィアは静かな死に顔だった。映画はそこで終わる。

 かつてわたしにも幼い子供と暮らした時間はあった。その時期わたしは強いて詩に拘ろうとは思わなかった。しかもある時には自分の書棚をすべて空にしたこともあった。(この事情は子供が原因ではないが。)幼い子供と過ごすことは、心身ともに困窮の時間でもあり、また至福の時間でもあった。そして「この幼い子供のためにわたしは死ねない。」という、いのちの原郷にわたしは無意識に立っていたのだった。幼い子供がわたしを生かし、育んでくれた時間でもあったのだ。

 それでも幾度も同じ夢をみた。幼い子供を置いてわたしはふいに旅立つ。しかし旅の途中で、母親の不在に泣き叫ぶ幼い子供の声を聴いて、わたしは大急ぎで帰ろうとするのに、どうしたことか道に迷ったり、行先の違う列車に乗ってしまったりする。疲れ果てて目覚めて、それが夢だったことに安堵する。
 一方、子育てに疲れた母親による「子殺し」事件に共振するわたしもいたし、理由もわからず泣きやまない子供を、窓から放り出したい衝動にかられたこともあった。しかしそれらのことは「詩」との繋がりを産む出来事ではなかった。むしろ子供の心に「傷」として残存することを恐れ続けた。

 上の子供が十歳を迎えた時、わたしは自然に詩に向き合う時を迎えた。その時のわたしは子供の詩から書きはじめた。わたしは三度(一度目はわたし自身の子供の時間)の子供の時間を生きて、それを過去に送った。

 シルヴィアは八歳で深く愛した父親を亡くしている。それが彼女の短い生涯に影を落とし続けているのではないか?シルヴィアが「父の蘇えり」とさえ思い込み、結婚した夫テッド・ヒューズとの別離、彼女の詩の理解者である編集者アル・アルヴァレズからの愛の拒否。人間は人生のある時期に一つの心の「躓き」があると、同じ「躓き」を繰り返すものではないだろうか、とふと思う。映画のなかで、死の数ヶ月前に、シルヴィアが泣きながら書いた詩「Daddy=おとうちゃん」はそれを象徴してはいないだろうか?
   それに加えて、少女期からその才能を高く評価されたがために、少女シルヴィアの心がそれに追いつけなかったということ、さらに大学の一回だけの不合格、その後の自殺未遂(これも父のもとへ行こうとしたと思えます。)など、すべて見えないものに繋がれてゆく「躓き」だったのではないだろうか?

 このようなシルヴィアの事情があったにせよ、わたしは映画「シルヴィア」にからだが震えたのだった。それは幼い子供のために、何故生きることを選択できなかったのかという、シルヴィアへの密かな怒りだったかもしれない。幼い子供へは「生きる」ことを望み、シルヴィアは「死」を選ぶ。それは生き残された幼い二人の子供にとって、やがて人生の一回目のもっとも大きな「躓き」になったことだろう。シルヴィアが「詩」に支払った代償はあまりにも大きすぎる。それはほとんど「恐怖」となって、わたしに襲ってきたのだった。

 この「からだの震え」は、映画の後に同行者と話をする時間の前半まで続き、その時間を過ぎてからまた深夜まで続いた。深夜同行者にメールを書いた。「迷惑メールだなぁ。」と思ったが送信してしまった。返信がなかったとしても仕方がないと思っていたが、さらに深夜に返信は届いた。『あの映画から、あまり過大なものをうけとると、虚像を相手にしてしまうことになりますよ。』

 どうやらわたしは映画「シルヴィア」について書きながら、結果はみずからを曝しただけだったようです。以下にシルヴィアの作品を紹介いたします。この作品は同行者が入力してくださいました。ありがとうございます。


おとうちゃん  シルヴィア・プラス

あなたはおしまい、もうおしまいよ、
あわれな足のように、その中であたしが
三十年間、貧しく白く
呼吸(いき)することも、くしゃみもできずに、
がまんを重ねた黒い靴は、もうおしまいよ。

おとうちゃん、あなたを殺さねばならないといつも思ってたの。
間に合わないうちに、あなたが死んじゃったものだから。
大理石みたいに重くて、神さまがつまった鞄さながら、
サンフランシスコのあざらしのように
大きな灰色の足一つを持って
気まぐれな大西洋に頭を浮べた恐ろしい像のよう。
そこでは美しいノーセットの沖合の
波間で青に緑が混ぜられているわ。
あたしはあなたを取り戻すようにお祈りしてたの。
ああ、ドイツ人のあなたを。

ドイツ語でお祈りを続けたわ、
戦争、戦争、戦争と言うローラーに
ぺしゃんこにされたポーランドの町で。
でも町の名は珍しくもないもので、
あたしのポーランドの友だちに言わせると

一ダースも二ダースもそんな町があるそうよ。
だからあたしには判らなかったの、
どこにあなたが、足を、根っこをおいたのか。
あたしはあなたに話しかけることもできなかった。
舌があたしのあごの中で動かなくなり、

ひげ文字のような、有刺鉄線の中に囚われた。
あたし(イッヒ)は、あたし(イッヒ)は、あたし(イッヒ)は、あたし(イッヒ)は。
あたしはドイツ語で話せなかった。
ドイツ人はみんなあなただと思っちゃた。
そしてあのみだらな言葉は

機関車なのよ、機関車なの、
あたしをユダヤ人みんなのように駆り立てて行く。
ダッハウへ、アウシュヴィッツへ、ベルゼンの悲劇へとまっしぐら。
あたしはユダヤ人みたいに話し始めた。
あたしはユダヤ人だと言ってもいいわ。

チロル地方の雪も、ウィーンの澄んだビールも、
そんなに純粋でも真実でもないわ。
ジプシー女の御先祖と不幸を担って、
タロット・カードの予言を受けて、
あたしはユダヤ人の端くれと言ってもいい。

あたしはずっと「あなた」を恐れて来たの、
ナチの空軍を持ち、わけのわからぬ言葉をしゃべるあなたを。
それに小ぎれいな口ひげと
青くきれいなゲルマンの眼とを。
戦車兵、戦車兵、ああファシスト、

神ではなくてかぎ十字、
影が真黒、青い空さえすり抜けられない。
女は誰でもファシストを讃える、
凶暴な長靴(ブーツ)のような顔、野獣みたいな
あなたのような凶悪な男たちを。

あなたは黒板に向かっているわ、おとうちゃん、
あたしが持ってる写真の中でね。
足の代りにあごに裂け目、
それでもやっぱり悪魔のかたわれ、
あの腹黒い男と同じ仲間ね、

あたしの可憐な赤い心を真二つに裂いた奴。
あなたの埋葬の時に、あたしは十歳のはず。
二十歳(はたち)の時には、あたしは死んで
あなたのもとへぜひ戻ろうと志す、
骨だけだって何とかなると思ったの。

だけどあたしは引き出され、
にかわで接着されました。
それからわたしは手段(てくだ)を知った。
あなたのモデルを作ったわ。
黒服を着て総統のほまれ、

それに拷問も好きな男。
それを夫に迎えたの。
ねえ、おとうちゃん、やりとげたのよ。
黒い電話は根元で切れて、
しつこい声ももう伝わらないわ。

一人の男を殺したのなら、あたしは二人殺したわけよ。
自分があなただと言い張ったあの吸血鬼、
あたしの血を一年間吸った男、
本当を言えば七年にもなる。
おとうちゃん、やっとあなたは休めるの。

あなたの肥った黒い心臓に呪いのくいが打たれる。
村人たちはあなたを嫌った。
躍り廻って、みんなあなたを踏みつける。
それがあなただといつもみんな知ってたの。
おとうちゃん、やくざなあなた、あたしはすっかりやりとげたのよ。

皆見昭訳『シルヴィア・プラス詩集』(鷹書房)より。
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