Oct 26, 2007

小さな中国のお針子

ohariko

監督・原作・脚本  ダイ・シージエ
プロデューサー   リズ・ファヨル

 「ダイ・シージエ」は一九五四年、中国福建省生まれ。両親は医者。一九七一年から一九七四年まで、「下放政策」により四川省の西康の山岳地帯で再教育を受ける。解放の後、高校に戻る。毛沢東の死後、中国の大学で美術史を学び、一九八四年に中国の給費学生としてフランスに渡り、パリ大学に留学し、美術史を専攻する。その後「パリ映画高等学院」に入学し、数本の短編を中国で撮る。
 初の長編作品『中国、わがいたみ』は一九八九年に数々の高い評価を受ける。ほかの長編作品に「タン、11番目の子」と「月を食べる人」などがある。

 この映画『小さな中国のお針子』は自ら書いた初小説「バルザックと小さな中国のお針子」の映画化である。自伝的な要素もある小説は、フランスのガリマール社から出版され、約四十万部のベストセラーを記録し、日本では早川書房刊。世界三十ヶ国で翻訳された。中国ではいまだ出版されていない。

  *  *  *

 一九七一年、中国の文化大革命の最中、医者を親に持つ十七歳のマーと十八歳のルオは、「下放政策」のため、チベットとの国境沿いにある、手つかずの自然とけわしい山々がそびえる村に送られる。雲に至る石段を上がると、小さな村と湖がひっそりと姿を現わす。村人は読み書きを知らなかった。二人の再教育生活は、屈辱的な仕事や、つらい畑仕事、未開の鉱山の過酷な作業だった。

 ある日二人は、老仕立て屋と美しい孫娘のお針子に出会う。ルオはたちまちお針子に恋をする。そして文盲のお針子に物語を語り聞かせる。彼女が一番気にいった作家が「バルザック」だった。
 お針子は「バルザック」の小説を通して「自由」という意識に目覚めていく。「バルザック」は彼女に四川省の山々の向こう側には、もっと自由な大地が拓けていると思わせるのだった。

   そして二七年後、すでに有名なヴァイオリニストとなったマーは、パリで生活している。ある日、あの村が三峡ダム建設のため、まもなく水に沈むというニュースを知る。思い出の地へ向かうマー。お針子の行方はわからない。次にマーは上海へ行き、現在では名医として知られるルオを訪ねる。青春時代の思い出を語りあう二人。

  *  *  *

 この「下放政策」には、イスラエルの「キブツ」も同時に思い出す。また日本のかつての戦時下では、軍人を除いて男子は徴兵された。入隊すればかかつての社会的地位は平等となる。下層階級にあった者が上流階級の人間を部下にできる社会がここで構成される。当然ながら「下放政策」に似た状況があったはずだ。人間はそれほどにおろかしい。そんなことも思う。
 人間に貧富の差ができる社会はおそらく間違っている。しかし、精神の貧富の差は一体どのように向き合えばいいのだろうか?そんな思いが心をよぎる。

 大分以前に観た映画ですが「芙蓉鎮」があります。この映画も忘れずにいたい。
Posted at 18:44 in movie | WriteBacks (0) | Edit
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