Nov 03, 2007

こんなに近く、こんなに遠く

sabaku

監督:レザ・ミル・キャリミ(イラン)

 テヘランの有能な脳外科医アーラムは、多忙な医師として日々を過ごしている。その最中で彼はこうつぶやいた。「わたしが患者の命を助けた時には神はいなかった。しかし患者の死の時には神が現われるのだ。」と。。。

 大晦日でありながら、アーラム、その妻、息子はばらばらな関係になっていた。息子に約束したプレゼントの天体望遠鏡を渡す時間すらない。しかも息子は助からないであろう病気に犯されていることに父親は気付く。そして天体観測の為に砂漠へと旅立った息子を追って父親は望遠鏡を届けるために砂漠を車を走らせる。

 なかなか縮まらない息子との距離。これがタイトルとなっているのだろう。旅はアーラムの予想をはるかに超えて困難を極める。砂漠の民とのさまざまな交流のなかで、欧米的な都市生活者アーラムの旅が続く。最新型の乗用車、ビデオカメラ、携帯電話、これは砂漠との違和感を見せる道具だ。

 星の光が地球に届くまでに何万光年とかかる。偶然と思われる砂漠の旅での人々との出会い、出来事の全ての背景には「神の大きな存在」があるようにも感じる。イスラムでは、自分自身を見失ってしまった人は、アッラーの神によって自分の居場所を見つけるために旅に導かれるという言い伝えがあるそうです。

 途中でアーラムは、車のエンストで立ち往生して砂嵐に巻き込まれ、車内に閉じ込められてしまう。意識を失う直前にアーラムに、車の天窓が開けられて、父親を捜していた息子の手が差し伸べられる。アーラムは最後の力をふりしぼって弱弱しい手を差し伸べる。ここで映画は終わる。このシーンはミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の天井画「アダムの創造」そのものだった。

 これを一つの家族ドラマと考えてもいいかもしれない。また砂漠の神の大いなる試練だという見方もあるだろう。
Posted at 03:35 in movie | WriteBacks (0) | Edit
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