Oct 26, 2005

ついてゆく父親   芹沢俊介

05-8-17donnguri

 まずはじめに、この本に関しては、ちょっと長い文章を書くことになるだろうと思いました。また、このブログを読んで下さっている方からの「エッセーを書いてみないか?」というアドバイスも踏まえて、読書感想文というよりも、エッセーにより近い形で書いてみたいと思います。さらにこの本は三章に分かれていますので、わたくしも章ごとに書いてみることにしました。


【第一章 分解する家族】

 まず、ここで「家族」のキーワードとして使われている言葉「エロス」の解釈ですが、これは「フロイト」や「プラトン」的解釈ではなく、わたくしは「ギリシャ神話の愛の神」と解釈したいと思います。芹沢俊介は「家族」あるいはその要となった「女性」という存在を時代を追って、類別化してみたり、統計やその数値、アンケート結果、あるいは実例や小説などを用いて、論じようと試みていますが、そのどこにもわたくし自身、あるいはわたくしが、かつて「家族」と言っていたものがはあてはまることはないのでした。
 暴論を言うことを許していただきたいが、女性は「家族論」など書かぬ。これは本来、類型化が不可能なものであって、一つの家族には一つの「家族論」が存在するものだと思うからだ。

 「家族」とはつねに幻想の建造物である。この「幻想」の修復を幾度も試みながら、その日々から逃走することなく生きることが、おそらく「エロス」であり、「家族」の完成図なのではないだろうか?そして「家族」とは「子供の巣立ち」ということも含めて、いつでも崩壊するのだという確かな可能性をもはらみつつ成立しているものでもある。

 かつてその崩壊を免れさせたものは「家長制」であり、その底辺にいた女性の「忍従」であった。この女性の存在は見えにくいかもしれないが、大きな力で家族を結束させてきたと思う。そして子供は、次世代を担い、また将来的には社会的生産力ともなる期待のもとで誕生したのだろう。この古い家族形態を徐々にゆっくりと変化させていったものは「女子供の反旗」に他ならない。

   またこの章には「非婚」という言葉が登場するが、これが今日の「家族」の新しい形態を生みつつあるようです。「結婚」という可能性をいつも抱えながらの「未婚」、あるいは「離婚」を離別として受け止めずに、夫婦から友人関係に移行させた人間関係などを指しているようです。それはそれでいいのかもしれないが、「深傷」を負わない生き方を選択するという人間のひ弱さを垣間見るようであり、そこにはすでに「エロス」は存在していないように思えてならないのだが。。。


【第二章 教導する父 支配する母】

 かつては「忍従」という位置にいながら「家族」の核となっていた女性が、徐々に「自分」に目覚めることによって、とりわけ「育児」が女性の生き方の予想外の大テーマとなってしまった。それはさらに母親の子供への「虐待」という一つの社会問題にまで広がってしまった。芹沢は、さまざまな実例を挙げながら〈危機1〉というように母親のこの病状の度合いを分析してゆくのだが、このように分析されてゆく過程を読んでゆくのは背中が寒くなるような寂しさがありました。さらにそれらの母親の子供への「虐待」のルーツを辿ってゆくと、母親のそのまた母親に行き当たってしまうことは、さらに哀しいことだった。

 これを書いているわたくし自身も、かつては母親に叱られた記憶はかなり多いと思う。それを何故忘れずにいるかと言えば、大方母親の叱責や禁止などの理由がわからなかったからです。わからないながら、とりあえず母親のための良い子になるという「理不尽」を、重すぎるほどではないが抱えて生きてきたことは確かなことだった。時を経て、わたくしが母親になった時、その子供時代に抱えていた「理不尽」は、取りも直さず我が子の側のものとなったのだろう。これ以上は我が身に刃を突きつけるようなことになりますので、この辺で。。。

 子供は無力であり、生きていく上でのさまざまな判断基準を父親よりも「母親」に学ぶものだから、日常における「母親」の会話や行為は、鏡のように子供に反映するものだ。そのことだけはどのように時代が変わり、女性の意識が変わっても、変わることはない。次に「虐待」する母親に育てられた子供が大きくなった時どうなるのか?という方向に目を向けると、そこには「アダルト・チルドレン」が浮上してくる。
 この「アダルト・チルドレン」現象が現実のものとなった時には、このタイトル通りに「教導する父」が介入してくることになる。父親は自らが生きて、家族のために働いてきた経験からの尺度で子供を教導しようとすると「暴力」「甘え」「不登校」「ひきこもり」などは、とんでもない人生への「甘え」だということになるので、子供への強烈な「教導」が開始されることになる。母親に任せきっていた子供への接触を、父親がとって代わろうとしたところで、そこに到るまでの父親の傍観者としての時間は取り戻すことはできないのだ。

 子供が何故甘えてはいけないのか?何故自立しなくてはいけないのか?何故社会的な規律を守らなくてはいけないのか?子供が親に甘えたければ気が済むまで甘えさせてあげればいい。その内に必ず子供はそれに飽きて親を離れる。そこで「甘え」は自然に終わるものだ。社会的規律などどんどん破ればいいと思う。そんなことは子供時代にしかできないのだから。

 この章の最後で、この本のタイトルの意味がどうやら引き出されてきたようだ。『自己の内部の教導する父を解体する道を進むことはむずかしくないだろう。つまり妻についてゆくことで、子供についていくことはできるのである。』とむすばれている。


【第三章 教育家族の闇から】

 まず私事から書くことにする。子供を初めて教育機関(幼稚園)に送り出す時のわたくしの気持は「子供を濁流に放り込む」思いだった。目をつむって我が子の背中を押したのだと今でも思っている。そして次の小学校以降からは、わたくしは周囲の母親たちの「異様さ」に驚かされた。彼女たちには子供を「レースの勝ち馬」を育てるような勢いがあり、その熱意に唖然としたのだった。このわたくしの二つの記憶は、やがて世間で騒がれ始めた「アダルト・チルドレン」事件にすべて繋がっていった。それらの事件の根はそこからすでに始まっていたのではないだろうか?
 芹沢俊介は、ここでさまざまな事件を例にあげて、詳しい分析を試みているが、わたくしはそこに新しい論点を見出すことはなかった。すべてはすでにあの時から始まっていたのだからという思いの方が強い。「養育」「保育」ではなく「教育」を主体とした家族のなかでは子供は荒廃し、窒息する。幼稚園から果ては大学院まで、子供には教育機関に通う長い歳月がある。それは、ある意味では子供の人生そのものに対する一種の「暴力」にもなりえるのではないだろうか?

 子供の幼さゆえの「傲慢性」と父親の「教導性」とは常に対立する。しかし子供は傲慢であるべきだ。生意気なほどいいと思う。親がひるむほどの言葉が子供の口から飛び出すことは、一編の詩を読むようにうつくしいものだ。


【付記】

 わたくしは、二十代で新しい「家族」の出発点にたった。若さゆえ「エロスの永続」という幻想をも引き連れて、二人の子供の母親にもなった。この時にはおそらく「家族」というものについて何も考えていなかったと思うが、この本を読んで、わたくしが新たに何かを発見したわけでもない。わたくしが「家族」と「もう一世代前の家族」に明け渡した人生の時間は非常に長かったと思うが、決して立派なものではなかったし、さりとて無駄だったとも思わない。ただ放り出してしまえば、またたくまに死んでしまうかもしれない子供(あるいは老親)の「生命の水源」のようなものがいつも存在していて、それによってわたくしは生かされていたのだろう。そしてこれだけの長い時間を経なければ「家族」というものは見えてはこなかっただろう。しかしその役割はすでにすべて終わった。

(2000年・新潮社刊)
Posted at 23:38 in book | WriteBacks (4) | Edit
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 意識的に女性が書いたものを読んできた。が、女性が書いた家族論は読んだ記憶がない。これ直球ですね。

Posted by 上野朝夫 at 2005/10/27 (Thu) 16:22:28

ありがとうございます。

上野さん。ようこそ。
補足のお電話にも感謝します。
「直球」と「変化球」を織り交ぜられる文章が書けるようになればよいと思います。ぽちぽちと書き続けますので、これからもよろしく(^^)。

Posted by 昭子 at 2005/10/27 (Thu) 17:26:09

家族

■高田さん>経験に基づいた説得力がありますね。確かに、父親は「教導」したがる。そのとき父親は、子どもの側にはいないで、「社会」の側に立つことになる。これ、大きな間違いですね。どういうときも子どもの側に立つ。これが基本でしょうね。もう一つは、コミュニケーションですね。これがうまく行っていないと、「社会」の側に立って物を言うようになる。その結果は、互いに疎外し合うようになる。子どもや妻を愛するとはどういうことか。家族の中で「学んんで」いくんでしょうね、男は。

Posted by 冬月 at 2005/10/29 (Sat) 07:45:54

家族

冬月さん。
わたしは、あなたの結婚へのスタートラインは、とても純粋で、潔いことだったとひそかに思っていました。現実の生活に入ってから、さまざまな戸惑いがおありになったろうと思いますが、あなたはきっと誠実に向き合い、生きていらっしゃるのだろうと思います。拙いわたしの文章を読んで下さってありがとうございました。

Posted by 昭子 at 2005/10/29 (Sat) 12:09:26
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