Jun 16, 2006

沖で待つ  絲山秋子

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 この一冊は「勤労感謝の日」「沖で待つ」の二篇の小説が収録されていますが、どちらも三十代半ばを過ぎようとする、取り立ててエリートとも言えない女性の生き方が描かれています。「生きる。」ということは、誰にでもかすかな痛ましさがある。

 【勤労感謝の日】

 失業保険の期限が残り二ヶ月となった三十六歳の女性「鳥飼恭子」は、ご近所の方の薦めで大安吉日、勤労感謝の日に、お見合いをすることになった。相手の男性は、会社大好き人間の「野辺山清」という。しかし、会話のあまりの馬鹿馬鹿しさに恭子は途中で逃げ出してしまって、渋谷で女友達とお酒を呑み、さらに自宅近くまで帰りながら、見合いに同席した母親と顔を合わせたくないので、近所の飲み屋でまた呑んで帰るというお話である。

 人間の生涯なんて、なべて真っ当ではないということなど、この歳になればわかってくる。それにしても、その生涯の中間地点にいるような三十六歳の女性における、先が見えているようで、すべてが未定のような日々を名付ける言葉を、わたくしは見つけることができなかった。。。


 【沖で待つ】

 ここでの女性主人公「及川」は、大手企業の総合職という現代的で正体不明な(←わたくしの感想です。)仕事に必死で取り組み、転勤命令にもすすんで応じるタイプの女性で、前作の「恭子」とは少し違うようだ。同僚の牧原太(本当に太っているのだった。。。)は、彼女が敬愛していた先輩「珠恵」と結婚するが、「及川」と「太っちゃん」は何故か深い信頼関係で結ばれていたのだった。

 お互いにどちらかが先に死んだら、生き残った者が死者のパソコンのハード・ディスクを壊すという約束を取り交わしていた。それはお互いの相手の秘密は秘密のままに葬ることができるという信頼関係があったということだ。「太っちゃん」は単身赴任先の住居であるマンションの玄関を出た途端に、飛び降り自殺者の巻き添えとなって死んでしまう。彼女は即刻その約束を果たした。

 その後の彼女は「珠恵」の家を訪れて、「太っちゃん」が「珠恵」に書き送ったという詩(らしきもの。)を読むことになる。それはおそらくパソコンのなかのものだったかもしれない。その詩の一節がこの小説のタイトルとなる「沖で待つ・・・」だった。

 空室になったはずの「太っちゃん」の部屋にはまださまよっている彼がいて、二人は「同期」であることの親密さについて語るのだった。夫婦でも、恋人でも築くことのできない親和力によってこの二人は結ばれていたことになる。

 (二〇〇六年・文藝春秋社刊)
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