Nov 09, 2006

中原呉郎遺稿集 「山椒・三十二号」

himeringo-g (多磨全生園の姫りんご)

 まず、このガリ版刷りの貴重な古い一冊を持っていらしたF氏の資料提供に深く感謝いたします。しかも古い貴重な本に触れるわたくしの緊張感を思い、すべてをコピーして提供してくださったお心遣い、ありがとうございました。また中原中也と中原呉郎を繋ぐ情報を下さった関係者の方々にも心より感謝いたします。

 中原呉郎は、「中原中也」を長男とする六人兄弟の五男にあたります。職業は医師。これを掲載した同人誌「山椒」は、ハンセン病国立駿河療養所において「中原呉郎」が療養所の方々に声をかけて始まったものでした。「三十二号」は昭和五十年(一九七五年)に亡くなった彼の追悼特集号となっています。彼は医師の仕事のかたわらに詩、随筆、小説などを書いていたのです。「中原呉郎」の略歴を記しておきます。

大正五年(一九一六年)山口市にて生まれる。父は医師中原謙助、母はフク。
昭和十六年(一九四一年)長崎医科大学卒業。

ここに空白がありますが、この期間にはおそらく軍医だったのでしょう。戦後には自らの生き方に彷徨いつつ、船医をしていた時期もあるようです。

昭和三十年(一九五五年)国立多磨全生園勤務
昭和三十八年(一九六三年)国立駿河療養所勤務
昭和四十年(一九六五年)茨城県稲敷郡河内村国保療養所長勤務。

   河内村は「無医村」だったのです。

昭和四十九年(一九七四年)八王子市散田南多摩病院勤務
昭和五十年(一九七五年)肝硬変にて逝去

 この遺稿集には「三代の歌」「ヨハネ伝第八章注釈補遺」「フク女覚書」「病院街行進曲」「墓標記」の五編が収録されています。「三代の歌」と「フク女覚書」は、中原一族と、母親「フク」について呉郎の視点から書かれています。残り三編は小説でした。

 【三代の歌】では、呉郎の祖父母、父母、そして兄弟のことが書かれていますが、その系図は大変に複雑ですので詳細は省きますが、中原一族の宿命とも言える「魂の彷徨性」「狂気性」と共に「いのちの儚さ」が、わたくしを圧倒してきました。また、中也の詩にもあたって、弟の視点で見た中也の生い立ちとの関連、詩人たちへの最期の手紙や詩作品の意味合い、母「フク」が好きだった詩は「冬の長門峡」だったことなど、わたくしの今後の中也詩の読解に大きく影響してくることでしょう。

 呉郎は中也の思想を「叙情性」からすべて出発したものであることを指摘しています。これは中也に限ったことではなく、わたくしはむしろ普遍的なことではないのかと思います。また中原家三代に渡る「含羞=はじらい」を中也が受け継いだとも書いています。それは「田舎馬が物に驚く」ような「なま」な感覚でむしろ「照れ」に近いもののようです。

 【フク女覚書】は、その「儚いいのち」の哀しみをすべて背負って、九十歳を超えるまでしっかりと生きられた母上の生涯が見事に書かれていました。「フク」は大変向学心もあり、とても愛情深い方だったように思いますが、残念なことに狂気と夭逝から中也を救うことはできなかったようです。

 【ヨハネ伝第八章注釈補遺】は、中原呉郎自身の解釈による「ヨハネ伝」で、一人の娼婦を主人公にした一編の小説の形となっています。

 【病院街行進曲】【墓標記】の二篇の小説は、中原呉郎自身の自伝のようなものであり、中原呉郎の生き方の表明に似たものだと思われます。前者が「地上の医者」ならば、後者は「海上の医者」と言えるかもしれません。この二篇に共通していることは、女性を愛すること、家族を持つことを呉郎自身がどれほどに恐れたか、ということです。その根底にあるものは前記の「魂の彷徨性」のようでした。
 現実の中原呉郎は結婚はしましたが、「子供を持つこと」はありませんでした。それはどうやら中原一族の「狂気」を恐れてのことだったようです。

 【墓標記】の方では、船は「海上の牢獄」だと書き、孤独と閉鎖性のなかで心を病む者が多く、海に出ることは決して開放ではないことに気付かされます。ペルシャ湾の嵐の折の描写では「全員が同一条件に立ち、過去と隣人との思いから断絶されて、死の恐怖に襲われる時、西川(主人公)は不思議な心のやすらぎを感じていた。身を痛めつけることが、せめて生きるしるしのように思われた。」と書かれてありました。

 以上は、「山椒」同人によってこの一冊に収められた作品のみで、それ以前の同人誌「山椒」に掲載された作品、のちに単行本となった作品、奥様の手による遺稿集などもありますので、さらに新しい発見はあると思います。最後に、これを書くにあたり、さまざまな情報を下さって、わたくしのこの一冊の読み解きを支えて下さったF氏に深く感謝致します。ありがとうございました。

 昭和五十年(一九七五年)刊
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