Sep 04, 2008

日本語で一番大事なもの 大野晋×丸谷才一

oono

 これは、今は亡き国語学者「大野晋」と、作家、評論家、翻訳家である「丸谷才一」との日本語の文法解釈と歴史についての対談集です。丸谷才一が聞き手となり、大野晋が応えるという形になっています。話題の初めは「式亭三馬」の「浮世風呂」でした。その登場人物である本居信仰の女性国学者「鴨子」と「鳧子」との珍妙な会話からはじまりました。もちろんこの女性二人は「古語」の「かも」「けり」から付けられた名前ですね(^^)。

 日本語の文法の歴史は、遡ればきりがないのですが、以下のこの三人の学者が主に「大野晋」の先達学者として挙げられています。

山田孝雄(一八七五年~一九八五年)
松下大三郎(一八七八年~一九三五年)
橋本進吉(一八八二年~一九四五年)←この橋本文法が今日の学校文法になっています。

ちなみに。。
大野晋(一九一九年~二〇〇八年)
丸谷才一(一九二五年生まれ)

 さらに日本語の文法に影響を与えたものが「英語教育」だそうです。これには「主語」「助詞」「述語」「動詞」などが必須であるという文法を日本語にも要求されてくる結果となりました。ここで少し、お二人の面白い対話を引用してみます。

大野:日本語では、「君は」と言うと「うなぎだ」と答える、うどんの話なら「君は」と言うと、「かけ」とか、「おかめ」とか、「きつね」とか返事すれば済む。

丸谷:ある雑誌を読んでいましたら、自然科学の先生が、日本人は「僕はうなぎだ」などという野蛮な言語を使っていると、日本語をさんざんに罵っているんですね(笑)。それは日本語が野蛮なんではなくて、それを文法的に正しく把握しない自然科学の先生の方がむしろ――野蛮とは思わないけれども――間違っている。


 このような丁々発止の対談のなかで、日本語の文法の歴史と解釈が、さまざまな和歌からはじまり、口語体の現代短歌までを例に挙げながら語られていきます。まさにこれ自体が辞書さながらの様相を呈しています。図書館で借りて「さようなら」と言えるような本ではないですね。最後の大野晋の替え歌が楽しい。

おろかなるなみだ袖に玉はなすわれはせきあへずたぎつせなれば
 (古今集・小野小町)

おろかなるなみだ袖に玉と散るわれはせきあえずまるでナイアガラ

 ↑これは大野晋が「俵万智」風に作り換えたものですが、ここでは「ぞ」「が」になるまでの言葉の変遷が語られているのでした。「たぎつせ」は激流のことですが、そこを「ナイアガラ」として故意の誤訳(?)を楽しんでいました。

 とにもかくにも、この一冊の対談集はまるごと面白いものでした。飽きずに読めますが、絶対に全部が覚えられるものではありませぬ。肉声を聞くような楽しい辞典と思いながら、身近に置いておくものだと思います。

 (昭和六二年・中央公論社刊)
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