Nov 03, 2008
〈うさぎ穴〉からの発信 河合隼雄(その一)
約四十冊の「児童文学」を例にあげながら、河合隼雄は、ここから発信されるものに耳をすましていました。まず「児童文学」とは大人の書き手が子供に向けて書くものではないということ。子供の目を通してみた世界が表現されているものだと書いていらっしゃいます。そして、河合隼雄の一貫したお考えは「子供は大人以上に、いのちの誕生と死について考えている。」ということだったように思われます。
〈うさぎ穴〉はもちろん「ふしぎの国のアリス」です。
いつもなら、本の紹介と感想などを書くのですが、今回は自らの体験を、少し書いてみたいと思います。
まずは、自分自身のことから。
記憶としてはありませんが、祖父母や父母の「物語り」のなかでは、わたくしは三歳まで歩けない子供だったそうです。敗戦色濃き時期にハルビンに産まれ、何事かに備え、いつも母の背中に負ぶわれて引揚げ(つまり自らの足でよちよちと歩ける機会がなかった。)、さらに栄養失調、帰国直後に即入院、ドクターの説明によると「あと二日、帰国が遅れたらこの子は死んでいたろう。」とのことでした。この三歳までのわたくしの「物語り」はこうして大人たちによって確かな形となったわけですね。これがわたくしのいのちの物語の序章でした。
次は子供たちのこと。
二人の子供は普通に育ち(多分。。。なにしろ母親がこのわたくしですから。笑。)、普通の社会人となり、次世代も産まれましたが、この子供たちの時代にも忘れられない出来事はありました。
息子が四歳の時に、近所のお友達の弟さん(まだ赤ちゃん。)が、一夜にして亡くなりました。小さな柩、泣き叫ぶ母親、葬儀に息子とともに出ましたが、息子は小声でこう言いました。「ママ、子供も死ぬの?」わたくしは一瞬絶句しましたが、「あなたは死なない。ママが守ってあげるから。」と答えました。これが嘘だとは小さな息子は気付いたことでしょう。
また、娘は四歳くらいから、日常的に「一人語り」をしていました。そのなかから一つ。「ママのおなかには二つの卵がありました。一個目をママが産んで○○(娘=姉です。)になりました。二個目を産んで●●ちゃん(弟)になりました。」
この二つの出来事は、まさに「死」と「生誕」を見つめた二人の子供の物語でした。世界には膨大な「児童文学」がありますが、これがわたくしの一番大切な作品だったかもしれません。
(つづく)
(一九九〇年、マガジンハウス刊)
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